3話
私の目の前に立つレオナード・ヴァルハルト。この国が誇る最高の剣士であり、国に仕える騎士団の団長様だ。
扉を開けた私を目にした途端、彼の口元が少しだけ柔らかく緩む。
今まで何度か会った事はあるが、そんな表情を見せられたのは初めてのことだった。その眼差しは、戦場で見た彼のものとは異なり、まるで全身で私を包み込むような強い意志を宿していた。
「突然の訪問、失礼します」
レオナード様の声は低く響き、彼の持つ存在感が一気に玄関を満たした。そして、逞しい腕になぜか抱えられている真っ赤な薔薇の花束がいっそう彼を際立たせる。
薔薇の意味は分からないが、彼は私を連れ戻す為にここへ来たのだ。穏やからな表情の彼とは違い、私の手には汗が滲む。2ヶ月ではあったが楽しく穏やかな日々が今この瞬間で終わる。
「……どうぞ、中へ」
村の人たちに混乱を招かない様に、なるべく平常心を保つ事を考えてる。彼の手に持つあまりに大きな花束に戸惑いながらも、私は彼を家の中へ招き入れた。
「こぢんまりしたところですが、」
「ありがとうございます」
レオナード様が家の中に入ると、小さな食卓に彼の大きな体では収まっていない様に感じる。ふと、かつて見た堂々たる騎士団長様の姿を思い出し、無意識に背筋を伸ばしてしまう。
「セシリア様、この花をお渡ししたくて……」
彼の腕の中にある薔薇の花束は見たことのないほど立派なもので、香りが一瞬にして部屋中を満たす。
「こんな素敵な花、ありがとうございます。でも……わざわざ私に?」
「もちろんです!」
訳もわからず震える手で花束を受け取る。なるべく平穏に、なるべく取り乱さない様に、短かったこの生活の終わりに失望しながらも1分でも1秒でも終わらない為にはどうすれば良いのか、頭が高速で回転する。
そんな私をよそに、彼は胸を張り何か言葉を発する前に一呼吸置くような仕草を見せた。そして、深く息を吸い込み、私の方へ向き直る。
「……セシリア様、私と結婚してください!」
それは突然の言葉だった。
「結婚……?」
信じられない言葉に私は問い返すと、彼はもう一度背筋を伸ばし、低く響く声で繰り返した。
「セシリア様、私の"お嫁さん"になってください!!」
突然のプロポーズに圧倒されると同時に、彼の真剣すぎる表情に息が詰まる。
「……待って、ちょっと待ってください!」
先ほどまで使っていた思考を停止するもの、新たな衝撃に流石に混乱を隠しきれず、思わず手を前に突き出す。
「まず、どうしてあなたがここにいるのかも分からないし、いきなりそんなことを言われても困ります!私はただ静かに暮らしたいだけで、聖女には戻りたくありません」
そう告げると、彼は一瞬だけ眉を寄せたが、すぐに柔らかな笑みを浮かべた。
「セシリア様、誤解しないでください。私がここに来たのは、あなたを聖女に戻すためではありません。むしろ、あなたが聖女としての役割から解放され、普通の生活を送れるよう、ずっと願っていました」
彼の言葉は予想外だった。今まで私にかけられたことのない優しい響き。
「……じゃあ、どうして?」
「私の思いをずっと伝えたかったんです」
彼はまっすぐに私を見つめた。その視線の強さに自然と目を逸らしたくなる。
「私はずっとあなたを見ていました。国を支えるために必死に祈り、戦い、疲れ果てているあなたを。それでも誰にも頼らず、孤独に耐え続ける姿を……」
彼の言葉が胸に刺さる。
「聖女を守ることが私の務めでした。けれど、その役割を超えて、私はいつしかあなた自身を救いたいと願うようになっていました」
「私を……救う?」
彼は大きく頷く。
「私は、あなたをただ守るだけではなく、幸せにしたい。あなたがもう何も背負わなくてもいいように……」
「でも、私は、聖女という立場から逃げ出しました。聖女で無くなった私に何の価値が…」
「それは、違います」
私の言葉を遮るように、彼の声が強く響いた。
「あなたが聖女だから愛しているわけではない。私は、あなた自身を愛しています。だから、聖女に戻る必要なんてない」
その言葉に胸が熱くなる。
「本気です。だから、どうか……私と結婚してください」
彼の瞳には真剣さが宿っている。けれど、その必死で早口な言葉が私にはあまりに唐突で、現実味が全く無い。
「セシリア様が大聖堂からいなくなったと聞いた時、私は胸が張り裂けそうで。あなたがずっと苦しんでいたことに気づいていながら何も出来なかった自分を恥じています。だから、せめてこの先の人生を私が、あなたを幸せにしたい!!!だから、」
「レオナード様、あの、落ち着いてください」
早口で話す彼を私はなんとか言葉を挟む。
「えーと、今は恋愛や結婚とは距離を置きたくて……」
そう言うと、彼の表情が一瞬固まった。それでもすぐに、さらに情熱的な言葉を紡ぎ始める。
「それでも!私は本気です、セシリア様。あなたを愛しています!」
「だから!ちょっと待ってください」
私は彼の言葉を遮った。
「レオナード様!私は今、自分自身の生活を築くことで精一杯なんです。誰かに頼ることも、ましてや結婚なんて、婚約破棄されたばっかりですし考えられません」
冷静な声でそう告げると、彼はまるで打ちのめされたかのように肩を落とした。
「……そう、ですよね。ですが……」
彼は何かを言おうとして口を開きかけたが、結局言葉にはせず、頭を掻くような仕草を見せた。その動きが、普段の彼らしからぬ不器用さを際立たせている。
「……また、日を改めて来させていただきます」
少しだけ俯きながらそう言う彼を前に、私は困ったように微笑むしかなかった。
「そうしてください。この花は受け取っておきますね。……本当に、とても綺麗ですね」
私が花束に目を向けて微笑むと、彼は一瞬だけ嬉しそうな表情を見せた。そして、再び真剣な顔で言葉を紡ぐ。
「ありがとうございます!興奮してしまい、申し訳ありませんでした。また、出直します」
そう告げると、彼は深く頭を下げてから家を出ていった。窓から手入れが行き届いた白馬に乗って帰る騎士団長様の姿をぼんやりと眺める。
「こんなに困った人だったなんて……」
残された薔薇の花束が、部屋中に香りを広げる。私はそっと抱え、部屋の隅に飾った。それから、再び落ち着きを取り戻すように深呼吸をする。
心を揺らがせない。私には、まだやるべきことがあるのだから。