20話
エマがこの村に来てから数日が経った。
彼女の家は、村の人たちの協力もあってあっという間に見つかった。田舎の村には空き家が多く、古くはあるがしっかりとした造りの一軒家を借りることができたようだ。
フランツさんが仕事の合間を縫って家具を揃えたり、日用品を届けたりしている様子は、まさに"献身的"だった。
「いやぁ、俺も忙しいのに大変だよ。まったく、なんで俺がここまでしなきゃならないんだか」
口では不満を言いながらも、彼はエマの荷物を運んだり、庭の片付けまでしてくれていた。
「フランツさーん! これ、もうちょっと左です!」
「分かってる! もう少しで終わるから待ってろ!」
「その調子です! 頼りにしてますよ!」
そんなやり取りを、私は遠くから眺めていた。
(……本当に仲が良いなぁ)
いつもおどけた態度のフランツさんがエマの頼みには逆らわない。むしろ、なんだかんだ文句を言いながらも手伝っている姿が印象的だった。
(……惚れた弱みは、大きいわね)
エマも嬉しそうに笑うと、フランツさんもつられて微笑んでいるように見えた。
あの日のパーティから村の方も少し様子が変わった。それは、村の商店は向かう途中のことだった。
「おやおや、セシリアさん、今日も一緒かい?」
畑仕事をしていた村のおじさんが、こちらを見てにやりと笑った。
「え? は、はい……一緒ですけど……」
私がきょとんとしていると、隣にいたレオナード様が「ああ……」とため息をついた。
「今日もデートかい?」
「……!」
その言葉に、思わず息をのんだ。
「で、デートじゃないですよ!」
慌てて手を振る私を見て、おじさんはさらに笑った。
「へへ、照れなくてもいいのに。毎日一緒にいるってことは、もう夫婦みたいなもんだろ?」
「ふ、夫婦なんて……!」
顔が一気に熱くなり、必死で否定するが、後ろにいたレオナード様が静かに「気にしないでください」と呟いた。
しかも、このやり取りが毎日のように続くものだから、村の人たちも悪ノリを始めた。
「おや、今日も一緒かい? 新婚気分ってやつだねぇ」
「早くいい返事をしてあげてね」
「花嫁姿、見せてくれよ!」
村の女性たちまで口をそろえてからかってくる。
「も、もう! 皆さん、そんなからかいはやめてください!」
顔が熱くなっていくのを感じながら、なんとか否定しようとするが、村の人たちは面白がって笑うばかりだった。
一方、レオナード様は、どうも様子が変だった。以前の彼も毎日この家に顔を出していたが、今はいつも以上に滞在時間がとても長くなった。あの日を境に夜まで家にいるようになったのだ。
「セシリア様、今夜もここに泊まります」
「……えっ、今夜もですか?」
「ええ。何かあった時にすぐ対応できるように」
「でも、レオナード様のお家は……」
「問題ありませんよ。さ、今夜は冷えますから」
彼はそれ以上何も言わず、勝手にリビングの椅子に腰を下ろした。それからというもの、前の住人の方が残していった本を読んだり、夜遅くまで私と一緒にミルクを飲みながらおしゃべりをしたりするようになった。
ささやかな会話が、なんだかとても心地よかった。
(……これが普通の生活なんだな)
そう実感するたび、胸がほんのり温かくなった。
◇
セシリアが部屋で眠りについた後、家の中は静寂に包まれていた。夜の涼やかな風が窓の隙間からわずかに流れ込み、カーテンがふわりと揺れている。
リビングに残ったのはレオナードただ一人。ソファに腰掛け、手には湯気の立つマグカップを持っていた。ミルクの温かい香りがほのかに鼻をくすぐる。彼は静かに息を吐き、カップを口に運んだ。その時、
「団長、失礼します」
窓の外から声がした。カーテンの隙間から、ひょいと男の顔が覗き込む。彼の名はリード、騎士団の一員であり、レオナードの腹心の部下だ。
「……遅いぞ、リード」
「ええ、村に入るのに手間取ったもので。隠密行動はいつも緊張しますね」
リードは軽やかに窓枠を飛び越えて部屋に入ってきた。
(セシリア様には申し訳ないが、外での会話は危険だ…)
彼は手際よく靴の土を落とし、静かに頭を下げた。
「報告です。情報ギルドの件ですが……セシリア様の居場所は、まだ特定されていないようです」
「……そうか」
レオナードは表情を崩さなかったが、その目にはわずかな安堵の色が浮かんだ。
「ですが、調査範囲を徐々に拡大しているようです。この村周辺の他の村も、ギルドの目が入ってきているようです。となると、」
「ここに来るのも時間の問題だな」
レオナードは静かに呟き、カップをテーブルに置いた。彼の目は、暗い森のように鋭く冷たい光を帯びていた。
「まだ、泳がせておけ」
「……泳がすのですか?」
「そうだ。ギルドのマスターの正体が掴めていないのは不自然すぎる。表向きは情報屋の集まりだが、組織の動きが妙に統率されている。必ず何かを隠している」
レオナードの言葉に、リードは慎重に頷いた。
「了解です。情報ギルドの動きに怪しい兆候があれば、即座に報告します」
レオナードは、少し間を置いてから視線をリードに向けた。
「もう一つだ」
「……なんでしょうか?」
「エマの監視と身辺調査を頼む」
リードは一瞬、表情を変えたがすぐに平静を装った。
「彼女が……セシリア様を裏切ると?」
「セシリア様の居場所を突き止めた唯一の人物だ」
レオナードは立ち上がり、リードの肩を軽く叩いた。
「お前も分かっているだろう。エマがセシリア様を見つけたのは奇跡的な偶然なんかじゃない。必ず何かの理由がある。慎重に動け」
「……了解です、団長」
リードは真剣な表情で頷いた。彼の口調は、いつも以上に真面目だった。
「とはいえ、団長がこの村を見つけたのも、奇跡的な偶然だったんですけどね」
リードが小さく呟くように言った。
「……お前、何か言ったか?」
「いえいえ、なんでもありません。団長が一番にセシリア様を見つけたって話ですよ。いやぁ、さすがです」
「……」
レオナードはリードをじっと見つめたが、彼の視線を避けるように、リードは気まずくなり窓の方に視線を逸らした。そんな彼をよそに、レオナードの口から小さな笑い声が漏れる。
「……ふふっ」
リードが不審そうに問いかけると、レオナードは目を細めて、どこか得意気な笑みを浮かべた。
「セシリア様が俺を、優しくてかっこいいって言って下さった」
「……は?」
「つまり、結婚もそう遠くないってことだろう」
「……団長」
リードは一度まばたきをし、ため息をついた。
「それ、酔っ払った時の発言ですよね?」
一瞬、沈黙が流れたが、レオナードは視線を逸らしながら、何食わぬ顔をしてカップを手に取った。
(セシリア様の護衛は他のやつにすれば良かった……)
だが、リードは容赦なく言い放った。
「酔った時の発言を真に受けてるんじゃないですよ、団長」
レオナードは手に持ったカップを強く握った。
「だが、セシリア様は、俺のことを優しいと言って下さった!」
「はいはい、そうですね」
「しかも、かっこいいとも言ったんだぞ?」
「はいはい、よかったですね、団長」
「おいリード」
レオナードの声に普段ならピシッと背筋を伸ばす所だが、リードは呆れたように肩をすくめた。
「いやいや、順調そうじゃないですか?」
リードはニヤリと笑った。レオナードは一瞬考え込んだが、すぐに照れ隠しのようにカップを口元に運んだ。カップの中の温かなミルクの香りが、やけに心に染み渡るように感じた。
「……調査を頼む」
「了解です」
リードはひらりと手を振り、窓枠から軽やかに飛び降りた。静かに足音が遠ざかり、夜の静寂が再び訪れる。
カップに残るぬくもりを感じながら、レオナードはぼんやりと考える。
(……優しくて、かっこいい、か)
脳裏に浮かんだのは、眠る前のセシリアの顔だった。彼女の頬はほんのり赤く、無防備な笑顔が浮かんでいた。
(結婚、か……)
自分でも信じられないが、胸の奥に暖かい何かが灯ったような気がした。
「……ふふっ」
思わずまた笑みが漏れた。自分がこんな風に思うなんて。レオナードは椅子にもたれかかり、静かな夜の空気に身を委ねた。夜風が心地よく、眠気がじわりと体を包み込んでいった。




