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2話

 途中で何度も休憩を挟みながら、古びた馬車は2日かけて山道を越えた。目的地の村は、山々に囲まれた静かな場所だった。

空気は澄み渡り、どこか懐かしい香りが漂う。馬車がゆっくりと止まると、目の前には小さな可愛らしい一軒家が現れた。


「ここが、新しい家……」


私は窓から身を乗り出し、小さく深呼吸する。その家は質素だが、どこか温かみがあり私を優しく迎えてくれるような気がした。


庭には小さな菜園があった痕跡が残っており、端には木製のロッキングチェアが置かれている。読書が捗りそうなその椅子にふと心が踊った。今まで感じることのない自由の象徴のようにも思えた。


「セシリア様、着きましたよ。さあ、どうぞ」


馬車を運転してくれた男性が、笑顔で扉を開けてくれる。私はその優しさに感謝しながら馬車を降りた。少し冷たい春風が頬を撫で、旅の疲れを心地よく和らげてくれる。


「ここまでありがとうございました。どうか、あなたにも祝福がありますように」


お礼の言葉と共に、そっと小さな加護を彼に与える。彼は驚いた顔をした後、にこやかに笑った。


「いえいえ、こちらこそ貴重な経験をいただきました。お気をつけて、新しい生活を楽しんでください」


その言葉に見送られながら、私は扉を開けた。



 中に入ると、外から見た印象よりも広い空間が広がっている。壁には温かみのある木材が使われ、窓から差し込む明かりがやわらかな雰囲気を演出していた。


「思ったよりもずっと素敵……」


家の中には少し埃が溜まっているものの、それすらも新しい生活の始まりを予感させるようで、私は微笑んだ。


一人暮らしには十分すぎる広さだ。リビングには前の住人が使っていたのか、使い込まれた雑貨や柔らかいタッチの絵画が並べられている。古びたカップや皿を手に取り、その歴史を感じながら、丁寧に棚に戻した。


「誰が使っていたのかしらね……?」


ふと湧いた疑問も、新しい生活への好奇心に変わる。

次に奥の部屋を覗くと、真新しいベッドが目に飛び込んできた。私のために準備してくれたのだろう。その気遣いに胸が熱くなる。


「フランツさん……本当にありがとう」


彼の手厚い対応がなければ、この家にたどり着くことも、こうして安心して暮らすことも叶わなかっただろう。彼のような人が大聖堂に出入りする商人として成功しているのも納得だ。彼の人柄と実力を改めて実感した。


ベッドの端に腰掛け、部屋をぐるりと見回す。心の奥から湧き上がるのは、不思議な感情だった。ここは私の新しい拠点。喧騒から離れ、ただの"セシリア"として生きるための場所。


「明日から、どんな生活が待っているのかしら……?」


自然と笑みがこぼれる。この場所での未来を思い描きながら、私は手を胸の前で組んだ。新しい生活への期待と、少しの不安が入り混じった感情が心を満たしていく。


少し休んだ後、荷物を片付けるべきだろう。それでも今は、長い旅の疲れを癒すため、そっとベッドに身を預けた。やわらかな布団に包まれながら、私はこれからの日々に胸を躍らせるのだった。



 新居に引っ越してから、いつの間にか二ヶ月が過ぎていた。山間の静かな村での生活は、驚くほど穏やかで、私の心を少しずつ癒してくれている。


少し離れた隣家の農家を営む夫婦が、私の新生活を応援してくれるようになった。色んなアドバイスを頂き、小さいながらも菜園が完成した。土を耕し、苗を植え、丁寧に水をやる日々。


まだ小さな芽が顔を出したばかりだが、その成長を見るたびに心が踊る。収穫まではまだ時間がかかりそうだけれど、その日を楽しみに待つことがこんなにも嬉しいものだとは思わなかった。


最初は戸惑いの連続だった自給自足の生活も、今ではすっかり慣れてきた。井戸水で洗濯をし、薪を割り、簡単な調理をする。その全てが新鮮で、手を動かすたびに小さな満足感が得られる。


村人たちは、私を温かく迎え入れてくれた。日常の中でのささやかな交流が私の心を満たしてくれる。ここでは、誰も私を聖女だとは知らない。ただのひとりの村民として接してくれる。


平穏な日々を送る一方で、不安が完全に消え去ったわけではなかった。追っ手が来るかもしれないという恐怖は、胸の奥底に残り続けている。眠れない夜もあった。


それでも、この村での生活が、私にとってかけがえのないものになっているのは間違いない。この幸せを出来るだけ長く守りたい。



 ある日、朝日が差し込むキッチンで紅茶を淹れる。ほのかに立ち上る香りが眠気を優しく覚ましてくれる。椅子に腰掛け、今日は何をして過ごそうかと考えていると、扉をノックする音が響いた。


「誰かしら……?」


一瞬驚いたものの、この村では日常の出来事だ。誰かが挨拶に来たのかくらいにしか思わなかった。平和な日々に慣れ切ってしまったせいだろう。特に警戒することもなく、私は扉を開けた。


その瞬間、目の前の光景に息を呑んだ。


「ご無沙汰しています、セシリア様」

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