エンターテーメントの論理性、倫理性、認識
「創作物は誰のものだろうか? 受け手が全てなのだろうか? しかし、チョコがチョコじゃなくなることはない。カレーがカレーじゃなくなることも。まあ、宇宙も観測者の人に過ぎない観測者論理を使ってもいいが、そうであるならば宇宙という観測者はより純度が高い観測者だろう。そして、そこまで行くなら創作者という観測者が圧倒的な優先度を得ていい。しかし、それは退屈だ。それが出来るかはともかくそれが退屈だとするならば……」
「……言っている意味は難しいが、どうであれ自分だけの価値観で語るのは退屈だろう?」
「退屈かもしれない。だが、重要なのは観測者によって上昇することが重要なのであって上昇しないのであれば捨ててもいいのではないか?」
「では上昇の基準は何だ?」
「倫理基準のアップデートにより作品の評価は変わるだろう。そして、倫理とは発見されるものという論理もある。科学技術の発展により説得力が変わる場合もあるだろう。これらは別の軸による影響だ」
「つまり?」
「有り体に言えばその作物は論理も認識も人理も入り混じったものではないだろうか? そうしてそれらが入り混じり合い究極の何かに上昇する」
「……君はロマンチストだな」




