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仏陀を目標にした精神修行プログラム


「私は仏教を動機でも歴史でもなく仏陀を目標にした精神授業プログラムと解釈している。そして、精神到達時点を第一到達地点、第二到達地点、第三到達地点、覚者段階と定義しよう。その場合、第一到達地点までは一般層にも有用だと思われるが、第二段階からは対象が狭まってくる」


「どういうことですか?」


「第一到達地点では、一つの作業に対して集中力、怒りや恐怖などの自然な反応を少し制御できるなどだ。禅など聞いたことがあるだろう。そういった修行を経て、その()()を手に入れる」


「勉強すると雑念が押し寄せてきますもんね。いいな、私も修行しようかな」


「第二到達地点では、自らの行動原理、感情反応などを自覚して修正する。自己の離人化による短期的な反応ではない長期的な計画の実施。他者と自己との認識境界緩和などだ」


「……ちょっと怖いですけど、まだ有用に思えますね」


「第三到達地点では自己の固体認識を気体認識に変化させる、個ではなく流れに。そして、大切なものへの執着の希薄化だ」


「……本当ですか?」


「覚者段階では、動揺の一切排除。自他のみならず世界との調和。無私の慈悲だ」


「……なるほど、確かにその方向性なら到達点はそうなるでしょうね」


「そうだ。仏教の精神修行は確かな方向性があり、最終地点に到達するまでのステップを踏んでいる。精神はステップを踏み到達するものと言えるのかもしれない……だが、確かに覚者は精神の一つの到達点だが、到達点は一つではないだろう? それぞれの到達点には、それぞれのスモールステップがあり、それぞれの精神修行プログラムがあるのだろう」

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