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ナラティブと心


 ……なぜ、彼は私のことが嫌いなのだろう? ……究極的には考えている事であり、それが出力された態度が嫌いなのだろう。心が問題なら非言語的コミュニケーション能力が本質ではないか? いや、非言語的コミュニケーション能力が高いのであれば結局はいいように取るか? 


 それに心を相手に受け入れやすいようにごまかす事も可能だろう。彼が実際に心を見抜く能力を大事にしているとは思えない。つまり実際に彼の心の中では相手のそのように思っているという事が不満だが、実際には相手が見せている非言語的コミュニケーションに不満を抱いていて。実際の心を見抜こうとするインセンティブは働いていない。


 心を大事にするのと非言語的コミュニケーションを大事にする差を見抜くのは難しいが、あえて言えば自らの生の能力に傲慢な自信を持たず、批判的に常に相手の心を見抜こうとするインセンティブがある。コチラが見せる建前発信能力と相手の建前発信能力だけに注目しているのが態度派の思考だろう。


 いや、そこまで考えるのならば彼が否定的なのも相手の心が気に食わない相手が否定に思うことが気に食わないというよりも相手がそのような態度を見せることが不満なのかもしれない。建前をちゃんと表現しない、ナラティブの表現の甘さに不満を抱いているのかもしれない。


 ならば、学ぶべきなのは行動原理ではない。ナラティブだろう。


 これにより、大体の言葉を心を否定しているのではなくナラティブを否定していると変えることが出来る。究極的に心という概念を全く無視して話を出来る。


 ……だが、やはり、態度だけを気にしている人だけが態度発信力だけをみて、心を見ている人はその奥の思考と行動原理を見ているのだろう。


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