死の魔法への抗い
魔法とは何か?
それは法則をねじ曲げることである。捻じ曲げるという事は短期的なことだ。だが、捻じ曲げ続けるということはどういうことか。それはつまり新たなルールができるということである。
こうして、一切の無駄のない清流ではなく荒々しい無駄のあるねじれのルールが新たに生まれた。それこそがねじれのルールである。
この世には元からルールがある。神に逆らってはならない。太陽は昇る、命は不滅であるなどだ。
死なないこれがねじれた。今はもうねじれて全ては死に向かう。それに相反する全てのルールは押し流される。その濁流の中、人は皆、ねじれたルール『死』に抗うためまた魔法を使う。これが新たな世界、死界、ねじれた魔法世界である。
人々はすべからく、魔法を使って死に抗っている。しかし、その死すらも魔法だったりする。その事実を人々はすっかり忘れているが。
そして、抗えないものは死んでいく。真なる魔法は二つしかない、生きる魔法と、無から有を作り出す魔法。つまりは生命創造。新しく生まれた真なる魔法だ。魔法使いは世界の理を知り、この真なる魔法に挑んでいく。
……そのための実験を繰り返し地獄が生まれているがまあいいとしよう。
とにかく、この魔法を使えないものは死ぬ。そして、ときたま適性を持たない存在が生まれてしまう。魔法で自らの体を死から防護できない存在。それが私の息子だった。
魔法の適性は魂であり、魂は遺伝ではなく無から生まれては消えていくため魔法の素質は子供に遺伝しない、運が悪かったという事だがそれで納得できるわけがない。
……もっと魔力が必要だ。魔力があれば息子も生き長らえるかもしれない。この世には魔力を他者から奪う存在がいる。そいつの身体を参考にすれば息子に魔力を与えられるかもしれない。
多くの犠牲を出したが息子に魔力を与えられた……しかし息子は死に向かうのみだった。魔力の問題ではなく、魔法の問題、生きる魔法が下手なら何をしても無駄だというのか。
息子は日々死んでいく。この魔法は強すぎる。この世界の理、法則を変えてでも滅ぼそうとするこの魔法に抗う方法などあるのか。
いや、我らは魔法使いだ。ルールに抗うためねじ曲がった存在。ならば何をしてでも抗い続ける。
この世界のルールは清流だが新しいルール『死に迎え』が追加された。正確にはルールではなく、そうなろうとする魔法だ。
この魔法にも方向性があるはずだ。この殺そうとする魔法に生きようとする魔法を補う方策を取っていたが別の方策、身体を失っても精神だけを残す方策でどうだろうか。いや、生の魔法こそが最大の対抗策だ。それ以外の方策など。
はっ、そこで気づいた。我々は生きている、我々の魂により生の魔法を発動しているからだ、それの有効範囲はどれか、魂であり、魂の入れ物である肉体である。ならば正常な魂に別の魂が自分の守るための物だと誤解すればいい。加えて、その出力を多くすることで二つ分の魂を守る魔法を発動させる。やって見せる。
時間稼ぎのためにより様々な魂と血と肉を払う事になったがそれでもここまでたどり着いた。我が息子よ我が魂と肉体をもって再誕せよ。意識が消えていく。わが息子よ、あいし…て……る……ぞ…………




