正義と悪の存在
「『戦いに正義や善はなく生存競争でしかない』とか言っているやつが生存競争以上の熱意をもって敵を殺すんだよね」
坊ちゃまはいつものように語りかけてきた。しかし、今回はいつもよりも彼の言葉には鋭い悪意が滲んでいる。
「偏見では?」
「いやいや、本当だよ。その言葉を言う人はそういった立場なら虐殺をしないのかな? ちなみにゲーム理論では虐殺をするよりも協調したほうが生存評価は高いよ」
確かにそういったことを言う人が理性的に一番生き残る選択をするのかというと……
「いや、それは……そうは思いませんが、なぜそうなるんですか?」
「それが生存競争だろうとなんだろうが、恋人や家族が殺されたら我慢出来ないからだよ。その事実を無視して、正義や悪がないなんて目を逸らしている人が正義と悪をコントロールできるわけがないだろう。つまり、正義や悪を否定する人ほど、それに囚われやすいんだ」
「つまり」
「正義とか悪はある。少なくとも人間はその認識から外れることはない。それが人間だけなのか。もしくは知性や社会には必要な概念なのかはわからない。だが、少なくとも人間の社会には存在しそれから逃れることは出来ない」
坊ちゃまの話は確かに説得力がある。正義と悪は人間が普遍的に持つ概念だろう。
「しかし、正義と悪にこだわりすぎて、悪を許せなくなってしまうのも良くないと思いますが」
そう、最近のネットでは正義と悪の暴走が多すぎる気もする。
「そう、だからコントロールしないといけない……でも、本人が正義と悪の暴走から逃れることは難しい。というよりも、そのトラブルの渦中にある本人に完全に理性で判断しろというのはちょっと求めすぎている気もする」
「じゃあどうするんですか。感情的に判断させたままですか?」
「いや、確かに本人は難しくても最近の事件は第三者がトラブルを加速させることが多い。第三者に理性を求めるのは求めるべき倫理的基準だろう」
「ですが、第三者が正義と悪のコントロールをするにはどうすればいいんですか?」
「決まっている。それを獲得するために必要なのは……批判的視点だ」




