第43話
「――終わりにするって、何をだよ?」
頭では言葉の意味を分かっているくせに、俺は彼女に訊かずにはいられなかった。
「剣真との、この生活のこと。実は私が住んでいるマンション、来月中に出ていかなくちゃいけなくてさ」
淡々と事実を話す彼女に、俺は呼吸をするのも忘れるほど聞き入る。
「今年に入って彩名叔母さんから連絡があって、あの部屋ローンがまだかなり残ってるらしいんだよね。今の私じゃとても払えない金額が」
「それでこの街を出る、引っ越すのか......新しい家はどうするんだ?」
「彩名叔母さんの家で一緒に住む話しになってる。高校卒業までの期間限定の条件付きだけど」
親戚の家なら何の問題もないと思いたい。
しかし彩名叔母さんとやらは一度彼女を見捨てて連絡を絶っている人物。
手放しで『はい、そうですか』と言うには不安の割合が大き過ぎる。
「......お前はそれでいいのか?」
「いいも何も、子供の私にはどうすることもできない。それとも剣真、私をここに住まわせてくれるの?」
「それは......」
真剣に俺の顔をじっと見据える彼女に、思わず目を逸らしてしまう。
これまでの半同棲の状態とわけが違う。
今の彼女とは戸籍上、何の繋がりもない赤の他人。
しかも相手はJKで未成年。
そんな彼女が俺みたいな天涯孤独のおっさんの家に本格的に一緒に住むとなったら、想像以上に世間的な厳しい障害が発生するだろう。
周囲からは俺はともかく、彼女まで変な目で見られてしまう。
「――でしょ? 私をここに住まわせるなんて、剣真にとってリスクでしかないもん。こんなわがままなお姉ちゃんの相手をしてくれて、今まで本当にありがとね」
考えを見透かしていたかのように、彼女はにこりと悲哀交じりの微笑みを浮かべた。
「終わりにするって言っても、引っ越す日まではちゃんと最後まで面倒みるから。そこは安心して」
「......分かった。こちらこそ、よろしくな」
彼女に会話の主導権を握られたまま、話しは終わってしまった。
喉の渇きを癒そうと、お互い自然とそれぞれの手元にあるコーヒーカップに口をつけた。
冷めてぬるくなったブラックコーヒーの苦みを、ほとんど感じることができない。
「......ハァ~。なんかいろいろと昔のこと思い出したら疲れちゃった。悪いんだけど、今日はもう帰るね。明日からはまたいつもの私に戻るから」
「あ! ちょっと!」
彼女は立ち上がって、俺の視線から逃げるようにリビングから玄関前まで移動した。
「――何?」
俺の言葉を待ちながら期待の眼差しをこちらに向けてくる彼女。
とっさに引き留めはしたが、それだけ。
肝心の言葉が出てこない。
「......今のお前はロコなのか? それとも加那なのか......どっちだ?」
ようやく出てきたのはこんなどうでもいい質問だった。
彼女は一瞬悲しそうな表情をみせたが、またいつもの笑顔に戻り。
「どっちもだよ」
そう言って部屋を出て行った。
玄関の『バタン』という音が、強烈に耳から俺の身体中へと響いて震えた。
*
夕方。
彼女が帰ってから、俺はずっとこうしてリビングに寝ころんで天井を眺めている。
テーブルの上には放置された二人の飲みかけのコーヒーカップ。中身だけでなくカップ自体も冬の室内の寒さで冷えきって、ホットだった名残はない。
昼食を食べる気分にもなれず『彼女がもうすぐ俺の前からいなくなる』という、どうしようもない現実にただ放心するしかなかった。
その時がいつかやってくると覚悟はしているつもりだった。
が、こんなに早くその時がやってくるとは思わなかった。
ただでさえ初めて知った彼女の境遇・事情に驚愕したというのに......。
一斉に衝撃的な情報達に襲われて、処理不能で頭がオーバーヒートを起こしそうだ。
ふと天井に手を伸ばす。
当然だが、天井には全く届かない。
届かないのが当たり前なのに、それが悔しくて悔しくてたまらなかった。
――俺は、またあいつのことを救えないのか!?
伸ばした方の手で床を思いきりグーで叩く。
拳に鈍い痛みだけが残る。
外からは子供に帰宅を促す防災無線のチャイム。
痛みと、哀愁を誘うBGMが、俺をよりいっそう深い寂しさの沼へと引きずり込む。
完結まで残りあと3話......。




