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恋と知らば、

作者: 櫻井入文

 運命で決められた二人の中には、同じ炎が燃えているらしい。


 双子の炎の話を聞いた由貴は、何だよそれと笑って。


「炎の形なんてどうでもいい。自分が好きになった相手が、オレの運命の人」と私の目を見て言った。


 でもね、由貴。


 私の好きになった人には、もう運命の人が居たんだよ。


 ねぇ、私の運命の人の運命の人は、私じゃなかったんだよ。


 ねぇ、由貴。


 私の胸の炎は、誰と同じ形なのかな。




 ○。○。




 新館から方形校舎に向かう途中の渡り廊下で、フワリと飛んでいくシャボン玉に目を奪われた。


 足を止めて、塀の向こうを覗き込む。


「何やってるの、先生」

「割れないシャボン玉をさ、作ってみたいと思って」


 そこには、縁石に腰を掛けて実験準備室から失敬してきただろうビーカー片手に、ストローを銜え中庭でシャボン玉を吹いているいい年をした生物教師がいた。


「え、バカなの?」


 色素の薄い茶色い髪は、見た目からしてサラサラとしていて、一度でいいから触ってみたいと思う。


 サラサラ、サラサラ。


 シャボン玉を吹くストローを持つ右手の薬指。骨張った細長い指に嵌っているなんの飾りもない細いホワイトゴールドのリング。


 あの指から抜き取って、投げ捨ててやりたい。


「七海、シャボン玉好きか?」


 私が好きになった相手には、もう好きな人がいて。


 それってつまり。

 私の運命の人は、その人ではなかったと言うことでしょう?


 ねぇ、由貴。



 ○。○。



 怠そうに制服を着崩した由貴が、殊更真面目な顔で後ろの席に座る私に話しかけて来る。


「オレの運命の人は、七海だと思うんだよな」


 多分違うよ。


「オレが好きになった相手が、オレの運命の人だからさ」


 私が好きなのは、あなたじゃないもの。


「ってことは、お前がオレの運命の人って事じゃね?」


 そんなわけないじゃない。

 あなたはいつも唐突で、雑で、なんか適当だし、よくわからない理論で胸を張るし、口が悪いし、迂闊だし、私を困らせては喜んで……。


 でも、優しい。


 あなたが私の運命の人だったら良かったのに。


「なぁ、七海」


 ああ、でも。


「好き」

「やめてよ」


 でも。


「七海、好き」

「しつこい」


 あなたが好きだと言ってくれるたび、胸が苦しくなるの。


「好きだよ」


 あなたが私の運命の人だったら――――。




 ○。○。




 季節は、移り変わる。


 制服が夏服に変わり、先生の指輪は右手から左手に変わった。


 新しい指輪は、隕石で出来ているんだって。

 予想を裏切らないロマンチストぶりに笑ってしまう。


 ねぇ、先生。


 あの、春の日。


「シャボン玉は、デンプン入れると割れないってテレビでやってたよ」


「夢がないねぇ、七海は」


「何それ、ムカつく」


 あの春の日、飛んでいったシャボン玉は、何処まで割れずに行けたのだろう。


 キラキラ、キラキラ。


 サラサラの先生の髪。大人の男のクセに、痩せて薄い身体。でも、背中は広いの。


 少し、意地悪そうに見える顔は、きっとツリ目がちなせいね。唇も薄いから冷たい印象なのよ。

 学校で隠れてシャボン玉をするくらい気が抜けたダメ教師なのにね。


「ねぇ、先生。運命って信じる?」

「お前ら、そーゆーの好きだなぁ」

「乙女だもん」


 唇を尖らせたら、先生は楽しそうに笑った。


「先生も好きだぞ」


 でも、信じてるとは言わないんだね。




 ○。○。




 コンビニで買ってきたシャボン玉セットをあの日の先生と同じ場所で吹いてみる。


 キラキラ、キラキラ。


 虹色に光る丸い泡が、風に運ばれ飛んでいく。


 結構、楽しい。


 ふーっ。思いっきり吹いたら、沢山のシャボン玉が一斉に飛び立った。


「おぉ、スゲェ」


 あの日の私の様に、由貴が廊下の囲いに手を掛けてこちらを覗き込んできた。


 本当に、何処にでも現れる。


 素直に由貴に反応したくなくて、私は溜息代わりにストローを吹いた。


 シャボン玉が、空に上っていく。


「なぁ、オレのこと少しは好きになった?」


 いつもそればかり。


「なりませんー」


 笑ってしまう。


「一ミリくらいは?」


 あなたの運命の人が私でも、私の運命の人はあなたではなくて。


「無理です」


 私の運命の人の運命も、私には繋がってなくて。


「ナノミクロン」

「そんな単位ないから」


 運命の人って、何なんだろう。


 ――――オレが好きになった相手が、オレの運命の人。


 子供かよ。


 ――――ってことはさ。七海がオレを好きになったら、オレが七海の運命の人じゃね?


 都合良すぎ。


 ――――だからさ。迂闊にオレのこと、好きになってみない?


 そんな言い方で、好きになれるわけないでしょう?


「なぁ、七海」

「なーに」

「好きだよ」


 フーッっと息を吹くと、沢山のシャボン玉が空に飛んでいった。


「知ってる」


 迂闊になんか、好きになれない。


「オレは、オレの運命を信じているよ」


 息が詰まって、ストローから唇が外れた。


「信じろよ、七海」


 いつも、適当なことばかり言って。怠そうに机に突っ伏して寝て。授業に飽きてくるとノートに落書きして、態と体をずらして後ろの席の私に見せてくるの。

 本当に、バカなんだから。


「信じないわよ」


 あなたの好きが心地よくて。


 あなたの好きが優しすぎて。


 泣いてしまいそうになるの。




 ○。○。




「あっ、おま。ここに居たのかよ」


 新館校舎から出てきた人は、由貴を見つけると小走りに駆け寄って来た。


 顔に見覚えがある。確か、隣のクラスの由貴の友達。


「んー、なーにー?」


 ダラダラと気が抜けた声で返事をする由貴をつい睨んでしまった。


 さっきまでの芯の通った声は何処に行ったのよ。


「何って、新しいマネ紹介するから今日は部活来いッっただろ」


 腰に手を当てて、半ば呆れたように由貴を見る彼の格好は、由貴がいつも着ているサッカー部のユニフォームの色違いだ。


「この前から新しく一年のマネが入ったってのに、お前先週から部活来ないから紹介できてないだろ」


 何やってるのよ、アンタ。と、振り返って目で訴えておいた。


「いや、別に。オレ知らなくても困らねぇし」

「お前なぁ」

「あの、先輩」


 由貴の友達を追いかけて来た女の子が彼の横に並んだ。


 ルーズなゆる三編みをお下げにした女の子。パッチリとした黒目がちの丸い瞳。小柄で華奢な体躯。

 凄く正統派な女の子らしい女の子なのに、笑顔は快活さがにじみ出てて眩しい。そんな彼女の愛らしい瞳が、零れそうなほど大きく見開かれた。


 視線は、私の後ろに向いている。


 トクリと、心臓が跳ねた。


 ――――ああ、どうして。


 生まれてはじめて、誰かが恋に落ちる音を聞いたんだと思う。


「マネージャーとして入部しました。一年の羽鳥です。宜しくお願いします」


 ペコリと由貴に向かってお辞儀をする。


 顔を上げた彼女の頬は、隠しようがないくらい朱く染まっていた。


「あー……、ヨロシク?」


 運命は、優しくない。


 あなたが、どんなに優しくたって。


「んじゃ、サッサと着替えて部活来いよ」


 マネージャーを連れて、由貴の友達が去ろうとする。でも、彼女の目は恥ずかしそうに瞬きを繰り返しながら由貴から離れない。


 私はシャボン玉を吹いた。


 運命の、二人なのでしょう?


 だったら、出会いはロマンティックに演出しないと駄目だもの。


 ストローを持つ指が震える。


「行かないよ」


 とても静かな声だった。


「だって。今、七海口説いてる最中だから」


 向こうとコチラ。線引したような声。


「それに、先週退部届出したし」


 藪から棒過ぎて、シャボン液の入ったボトルを落としそうになった。


「今日からオレは、理科部なの」


 意味がわからない。


 ボール蹴って、女の子にキャーキャー言われてなさいよ。


「入部を認めた覚えないわよ」

「乾一郎は、いいって言ったもん」

「先生を呼び捨てにしないで。あと、もんとか可愛くない」

「えー」


 不服そうに唇を尖らせてるくせに、とても優しい目をして彼は私の髪に触れた。


 あの時、私は怖くて触れなかった先生の髪。由貴は、容易く手を伸ばすのね。


「いや、いやいやいや、辞めるとか聞いてないし」


 ご尤も。

 二人の世界を作るなと突っ込んできたサッカー部の彼に、思わず心の中で同意してしまった。


「今言った」

「お前……!」


 結局、その後の言葉は声にならず、由貴の友人と由貴に恋した一年生はグランドへと去っていった。


 残された私達は、どこか気まずい。


 ううん。気が重いのは、私だけかもしれない。


「あの子」

「なに」


 視界から二人の姿が消えて、本当は私から言ってはいけない事が口から滑り落ちた。


「由貴のこと、好きだって顔してた」


 人の好意を他人が暴露するなんて絶対ダメなことだ。

 なのに、どうしても言いたかった。


 言って、安心したかった。


「えっ、今日初めて会ったのに?」


 こんなのは酷い。酷すぎる。


 わかってるのにっ。


「それが運命の人なら、秒で分かるんじゃないの?」


 私を好きだと言う由貴を取られたくなくて、由貴に私が好きだと言って欲しくて。


 私は。


「あー、確かに。それは一理あるかも」


 いつもと違う、どこか考えるような返事に胸が震えた。


「だってオレ、七海見た瞬間。告白しなきゃって思ったもん」


 宝物を見つけた様に笑う。

 笑うとキレイに三日月になる目が優しくて。


「だから、七海の運命がどこに繋がってもいいの」 


 運命なんて信じない。


「オレの運命の人は、七海だし?」


 でも。


「いつか、オレが七海の運命の人になるから」


 あなたの言うことは、信じてるみたい。


「待ってる」

「えっ?!」



 ――――これが、恋なら。







お時間頂き

有難う御座いました。

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