転生前
みじかっ
広瀬海が剣道を始めたのは小学校1年だった。週1回日曜日の朝だけである。
最初は基礎の素振り、すり足と退屈だったが稽古が始まってからは違った。
いかに相手の裏をついて1本取るか。楽しくて楽しくてしょうがなかった。
いつも同学年では相手にならず上の学年と稽古をしていた。
そこでも海は勝ちまくった。構え、予備動作を見て相手が何しようかわかってしまうのだから楽勝である。
そんな海が剣道の大会に出たのが小4の時である。
海は地区予選も突破。県大会へと駒を進めた。
特に強敵はおらず準々決勝まで来た。
そこで対戦するのは隼豪、同じ4年だった。
隼は綺麗な正統派の構えで癖もない。
予備動作から打ってくるスピードも段違い。
実力が違う防戦一方だった。
そこで海はひたすら守りに入って返し技しか攻撃しない。その一打はいずれも浅くポイントに入らない。
結局隼の優勢勝ちで終わった。
試合後隼が話しかけてきた。
「なぜ本気出さなかった?」
「俺は本気出したよ。ただ剣道はしなかった。殺し合いのつもりで戦ったよ。殺し合いならお前は傷だらけで死んでたな」
「!俺は殺し合いなんてやってない。剣道を真っ当にやった」
「いいんだよ。すべてお前が俺より上回っていた。だから一人で殺し合いを楽しんでただけだよ」
「お前の剣道は間違ってる!」
「来年も殺し合いしようね」
海は笑った。
これが高校卒業するまで壁となる敵との初対決だった。
隼の打ち込みは高校生並。
その日から稽古は高校生以上との稽古を多くした。
結局小学生のうちは隼と差が縮まらず試合も同じような感じになった。
中学生になって部活に入り平日毎日稽古をやるようになってすべての能力が底上げされたのを感じた。
稽古量が増えて隼とまともな剣道の試合が出来る気がした。
1年ながらレギュラー入し大将を任せられた海だが中学時代も結局1回も個人戦、団体戦でも勝つことはできなかった。
何本か1本を取ったが接戦まで行くことはなかった。
中学3年間は隼が個人戦全国優勝3連覇という結果で終わった。
高校は近くの公立校に入った。
剣道部に入った海はスピードに磨きをかけた切れのある打ち込みで相手が防ぐ暇もないほどの武器を手に入れていた。
そのうえ高度な駆け引きで相手を翻弄するのだ。高校では隼との実力は格段に詰まった。
しかし結局はほぼ実力が拮抗していながらたくさんの試合で隼に1本をとってもギリギリで2本目を取れず2本取られるか判定負けで高校でも隼には勝つことはできなかった。
もちろん隼の個人、団体全国高校3連覇だった。
団体では大将を務め優勝に貢献した。
結局凡人はどんなん頑張ったって天才に勝てないと身にしみた。
一方隼の方は「毎回広瀬と戦うのが全国大会の決勝みたいなところがありました」と評価した。
そんな雑誌のインタビュー記事を海が見ることはなかったのだが。
大学に入って剣道をやめて柔道を初めて1年の秋にはレギュラーである。
柔道は技が多く駆け引きの余地が大きいのが面白い。
柔道は投げられて背中が床についたら死んだも同然という言葉を聞いて余計楽しくなった。
しかし大学でも同じ階級にオリンピック候補(後の金メダリスト)が同じ学年にいたため惜しいところで全国に行けなかった。
結局天才二人に勝てず凡人は無理をしないと諦めてしまうのである。
その後普通の会社員になるが優秀だが飛び抜けてはいないという評価だった。
40歳になった時たまたまコンビニに寄った。
急に包丁を持った男がレジに向かって金を出せと叫びだした。
隙だらけだったので素早く近づいて投げた。そして抑え込んだ。
しかし背中に熱い感覚を感じた。
強盗は二人いたのだ。背中から一突きである。
まさか殺し合いで負けて死ぬとはな思わず笑ってしまった。
こんなまぬけな死に方俺らしい。そして意識が遠のいた。




