その8
ある時、僕は夢をみた。
どのある時なのかはわからない。思いだせない。
どうして、そんな夢を見たのかもわからない。
楽しかったのか悲しかったのかわからない。
視界が揺れていて、思い通りに身体が動かない。
不思議な感覚だ。
重いのか軽いのかわからない身体を起こし、普段通り学校に行く支度をはじめた。
登校中、知ってるやつも知らないやつも同じ制服を着て
僕と同じ高校へ向かっている。
「おはよう」
「あぁ、おはよう」
みんな一様に挨拶を繰り返す。
見知ったクラスメイトを見つけ僕も同じようにして挨拶をする。
が、その背中は僕のほうを振り返ることもなく歩いていった。
それどころかそいつは別のクラスメイトの方へ駆け寄り元気に「おはよう!」と声を掛けていた。
イヤホンをしているでもなく、スマホを弄ってるわけでもなく、本を読んでいるわけでもない。
聞こえなかったのだろうかと思い、僕は再び駆け寄り今度は肩を叩き
「よ。おはよう。よもぎ!」と声を掛けた。
しかし、彼女は僕の声などどこ吹く風と言わんばかりに美月と楽しげに会話している。
「・・・・・・なぁ、美月?僕、よもぎに何かしたのかな?」
美月の隣に駆け寄り、そう訊いてみる。
しかしまるで、僕の事なんて視界に入っていないみたいだ。
美月からも何の返事も返って来なかった。
「おい!わかったよ。何したか忘れたけど謝るから返事くらいしろよ!」
「なんで無視すんだ!?」
「美月!よもぎ!!」
どれだけ声を掛け、どれだけ名前を叫ぼうと梨のつぶてという感じで
変わらず二人は見向きもしなかった。
どころか、周りのやつらすら僕に気付いていないように平然と歩いていく。
途端に心細さが全速力で追いかけてきて
一瞬で僕を飲み込んでいった。
眼球でも潰されてしまったようで何も見えない。
二人がどこに居るのかすらわからない。
ここがどこなのかもわからなくなってしまう。
僕は無作為に手を伸ばす。
慌てふためいているように、「無」を引っかく。藁に縋るように。
そうして、ようやくだ。
やっと掴むことができた手をしっかりと握り振り落とされないように堪えた。
こんなの夢だってわかっている。
そして、そんなのはなしたらきっと二人は笑うだろう。お前達は笑うだろう。
だけど、僕はそれでも楽しければそれでいいと思った。
あんな悪夢のような苦しみに食い殺されるよりずっといい。
きっと僕はいつまでたっても、どんなに大人になっても変わらずにこの「選択」をするんだろう。
『悪夢ね。でもそんな『悪夢』もたまには心地よいって思わないか?』
「思わないよ」
僕をひっぱりあげたソイツはそうやって捻くれたことを言い出す。
「見れるならもっと楽しい夢がいいに決まっているだろ。」
『へぇ、ボクも同じ考えだよ。納得納得。』
彼はケラケラと笑う。なんだか不愉快だ。
『でも、幸せな夢だって悪夢を踏み台にして見れるものなんじゃないかな。不幸があって幸せがあるんだからね。』
「回りくどい屁理屈は嫌われるよ。僕の友達に似たような奴がいるからわかるけど」
そういうと『その子とは馬が合いそうだね』と不愉快な笑い顔を作る。
『君はどっちにしたんだ?右?それもと左かな?』
「なんの話だよ。」
『後学の為かな。いや、単純な知識欲かもしれないね』
僕の考え方なんてニュートンやアドラーほど偉大ではないので後学という言葉に若干、どころか明らかに不適切に感じた。
「君が僕なんかの何を聞きたいのか知らないけど、そんなの忘れたよ」
僕がそう冷たくあしらうと彼は肩を竦めた。
苦笑いをしつつ。
『そっか。まぁ、そうだよね。ごめんごめん。』と言った。
その仕草が実に腹立たしい。
なんだかむかつく。
『欲張れないって不便だとは思わないか?ボクらの腕は2本しかなくて、だから抱えられるものにはどうしたって限りがある。』
人間だから、非力だから、限界がある。
彼が、僕の目の前で尋ねだしたそれは、悲しみか皮肉なのか。
『程度がしれてるんだ。』とまるで気に食わないという風に言った。
「愚痴か何かか?」
『その通りだ。』とだからキッパリと答える。
『抱えたかった。だけど、堪らずに溢れそうなくらいそう思っても抱えきれなかった分は愚痴で弔うしかないんだ。悲しいからな』
「だけど、仕方ないだろ?僕達の身体はどうしても一つしかないんだから。」
人生は一度きり。
命は一度きり。
リセットはきかない。
モラトリアムもない。
耳に蛸ができる程によく聞く、聞き飽きた言葉だ。
『仕方ない・・・。そうか、やっぱりそうなんだろうな・・・ボクも同じ気持ちだよ。そう思うよ。』
そして、『ありがとう』と彼は言うので僕も同じようにして「どういたしまして」と返す。
『君は後悔したことがあるか?』
「そりゃぁ、あるだろ。人間なんだから。君だって同じだろ?」
『違うよ。』
予想とは裏腹に彼は言う。
『ボクは違う。君とは違ったんだ。違う方を選んだ。』
『だから後悔した。』
『涙で溢れそうなくらい後悔した。』
『どれほど長い海を渡ったところで後悔は尽きなかった。』
そして、溺れたと。彼は言った。
琥珀色の夕日がコバルトブルーに食い殺されるように、
『ボクらは溺れて食い殺された』
そう言った。
『だから、きっと君も後悔する。』
「君はイジワルだな。」
『お互い様だろ?』
同じようにして言った。
『じゃぁな。ボクのそっくりさん。ボクの友達にもよろしく言っておいてくれよ。』
「言えたら言うよ」
仕返しに捻くれたことを言ってやる。
ボクも存外、ひねくれ者だなと思った。
どっかの誰かさんと同じようにだ。