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第2話 旅立ち

「ここは……?」

 魔王は辺りを見回した。

 真っ暗な闇の中、満天の星が頭上に輝いている。

「元の世界か……。勇者の封印が破られたんだな」

「魔王様!今のは一体!?」

 シトラスがパタパタと、羽を羽ばたかせて言った。

「吾輩を歪みに封じていた封印が解かれ、召喚の儀式が行われたようだ」

 魔王はくぼんだ地面から、僅かに浮き上がり辺りを見回した。


 魔王のいた辺りを中心に、爆発を起こしたかのように地面が円をかいてえぐれている。

 その周りには、爆風でなぎ倒された木々が無残に転がり、ところどころ燃え上がっている。

 その先は、深い森が広がっていた。

「懐かしいな。ここは王都の東にある東森ではないか……」

「魔王様!あそこに人間がおります」

「ほう……」

 魔王はシトラスが指した、爆風でえぐれた地面の先を見た。

 倒れた木々の隙間に、マントを着た人間が数人、横たわっている。

 そのうちの一人が、倒れた一人を引きずるように抱えていた。


 魔王はゆっくりとその人間に近づいた。

 そして言う。

「吾輩を召喚したのはその方か……?」

 声に気付いた人間が、驚愕した表情を浮かべ魔王を見た。

「ま、魔王様……。そ、そうでございます。我々“魔力解放団”が魔王様の封印を解きました。こ、ここにいるのがリーダーのオリバー……、いえ、イオです」

 そう言うとその男は、引きずるように抱えていた人間を示した。

 魔王は男の言った人間を見た。

「……死んでいるな。(魂がもぬけの殻だ……どこかに吹き飛んだか?)」

「……」

 男はその言葉に、奥歯をかみしめ苦い顔をした。

 男のもとに、もう二人ほど倒れた人間も、すでに息絶えていた。

 魔王は後ろを振り返った。

「魔界の太陽と、こちらの解封と召喚の魔術が干渉して、連動して爆発を起こしたようだな。おかげで、我がしもべの魔物どもが、この表の世界に吹き飛んでしまったようだ」

 魔王はそう言うと、その男を睨むように見た。

 そして言う。

「その方、名はなんという?」

 男は強張った表情で、こめかみを伝う冷や汗を拭って言った。

「ハンク、と言います……」

 その声が恐怖に震えている。

「ハンクよ、我がしもべどもは、どこに吹き飛んだ?あいつらは、放っておけば三十年前のようにまた悪さをするぞ。そうなれば、再び勇者が現れ、同じことを繰り返すことになる……」

 落ち着いた声ながらも、威圧的な気配をもって魔王が言った。


 周りに生きた人間の気配を感じる。その数、五十人ほど。

(ふむ。吾輩の召喚に関わった者どもか)

 その気配は、なぎ倒された木々の影に隠れ、魔王とハンクの様子を、息をのんで窺っている。

「ま、魔王様。恐れながら、魔王様を封じた勇者は、封印を解くための生贄としました。……もう、勇者はこの世界にはおりません」

 ハンクはそう言うと、強く拳を握り、イオの死体を見つめた。

「ハンクよ。勇者とは、選ばれた者の称号ではなく、自ら行動したものに与えられる称賛なのだよ。この世界に我がしもべどもが放たれた以上、それを討伐する勇敢な者が現れるだろう。それこそが勇者なのだ」


「あ、あの。魔王様!」

 突然、倒れた木の陰からマントを着た若い女が出てきた。

「ルメイア!」

 ハンクが振り向いて叫んだ。

 ルメイアは美しい青い髪をなびかせ、ハンクの横に来るとひざまずいて言った。

「魔王様のおかげで、我々魔道士は魔法を使うことができます。……その。なんとかこの世界にお力を、その魔力を使っていただけないでしょうか?」

 恐怖の表情を浮かべつつもルメイアは、まっすぐに魔王を見た。

「クックック、身勝手なことをいう人間だな。三十年前に吾輩を封じて空間の歪みに追いやったのは、その方等と同様に人間だろうに」

「そ、それは……」

 ルメイアは、今にも泣きだしそうな顔をしてうつむいた。


「吾輩は、魔物どもが勇者に討伐される前に、回収しに行かねばならぬ。シトラス!」

 黒い靄のような魔王はそう言うと、頭上を偵察するように飛んでいたシトラスを呼んだ。

「魔王様、この方角、村を二つほど越えた先に、ラミンを見つけました!」

 シトラスがパタパタと羽ばたいて言った。

「そうか」

 魔王はそう言うと、シトラスが示した南の方角を見た。


 遠くから、大勢の人間が騒ぎ立てる声が風に乗って聞こえた。

「なんだ?」

 魔王は、森の奥を見た。

 ハンクとルメイアが焦ったように同じ方向を見る。

「お、王国軍!?やはり気づかれたか」

 ハンクがつぶやくように言った。

 声の集団が次第に近づいてくる。

「王国軍……か。かつて勇者とともに吾輩を封じた軍勢か。吾輩が不在の間のこの世界の魔力は著しく低下している。魔力を扱えぬ人間どもに、魔力の根元たる吾輩が負けるはずがなかろう……」

 魔王はそう言うと、うっすらと笑い、その声の方向に勢いよく飛んで行った。

「あ!魔王様、お待ちをー!」

 シトラスが慌ててその後を追う。



「急げ!森から流れる風の中に、魔力が含まれ始めた!魔王が復活したぞ。その首謀者、魔道士オリバーも、近くにいるはずだ!」

 そう言って指揮を執っているのは二十代半ばほどの年頃の女性だ。

 艶消しされた銀色の鎧に、落ち着いた赤いマントをなびかせ、大勢の兵士を従えて森の中を進んでいる。

 その凛とした美しい顔に、一つに結った燃えるような真っ赤な髪が妖美に映える。


「魔王様、あそこに人間どもが」

 シトラスは眼下の森の中を進む王国軍を見て言った。

「クックック、三十年前の借り、今こそ晴らしてくれよう」

 魔王はそう言うと、先陣を切って進むその若い女性指揮官の前に降り立った。


 突然現れた魔王に、軍勢は焦ったように足を止めた。

 そのうちの一人が叫ぶ。

「ま、魔王だ!やはり魔王が復活していた!」

 恐怖の混じるその声は、瞬く間に軍勢のすべてに行き渡った。

 百人ほどのその部隊は、指揮官と同じように艶消しされた銀色の鎧を身に着け、槍と盾を持っている。

 魔王はその軍勢を見回した。

「クックック(このような深い森の中で、長い槍を持つとは愚者どもめ)」

 魔王の、その地鳴りのような低い笑い声が森の中をこだまする。

 その恐怖を伴う声に、後ろや端にいた兵士が、戦慄に恐怖の表情を浮かべ腰を抜かす。

 一部は槍を放り投げ、逃げ出す者も現れた。

「こら!お前たち!」

 指揮官の女性が声を張って言った。

「ひ、ひぃー」

 魔王の姿を目の当たりにした兵士たちは、一様に驚愕の表情を浮かべ、槍を手に持ったまま固まっている。

 女性は苦虫を噛み潰したような顔をして、腰の引けた兵士どもを睨んだ。

 そして一人、勇敢に魔王と対峙する。

「私は、デグレード王国、王国軍所属王都対魔部隊隊長サリラ・リンガ!お前が魔王アルマか!?」

 サリラはそう言うと、左の腰に付けていた剣の柄頭に手をかけた。

「……」

 魔王は沈黙のままに、サリラを見ている。

 パタパタと飛んでいたシトラスが、魔王の横に降り立ち、サリラと魔王を交互に見た。

 そして焦ったように言う。

「こ、これは……。ひょっとして三十年前と同じ状況?」

 魔王がサリラのもとに近づいた。

 サリラのこめかみに冷や汗が流れる。

「う、美しいお嬢さん。一目ぼれしました。どうぞ吾輩とお付き合いしてください」

 魔王はそう言うと、顔を赤らめて手元に一輪の赤いバラを出現させた。それをサリラに差し出す。

 突然のことに、サリラは驚いた顔でそのバラと魔王とを交互に見た。

「ど、どう言うつもりだ!ふざけるな、魔王!」

 サリラは長剣を勢いよく抜き、構えた。

 周りの兵士たちは動揺を抑えられず、戦慄に腰を抜かし、ただその様子を見ていた。

「あちゃー、やっぱ三十年前と同じになっちゃったか。まったく魔王様は、こういうタイプの女性にめっぽう弱くて困る」

 シトラスはあきれたようにそう言うと、羽をバタバタと勢いよくサリラに向けて羽ばたかせた。

 強風が森を駆け抜ける。

 その魔力を帯びた強い風に、兵士の軍勢もろともサリアは森の外れまで吹き飛んでいった。

「ささ、魔王様。いったん先ほどの場所まで戻りましょう。魔界に戻るには、あの場所が一番」

 そう言うとシトラスは魔王の端っこを足で掴み、夜空に紛れるように飛び去った。



「ハンク……、うぅ、これからどうしよう?」

 ルメイアが、イオの死体に抱き着いて泣いている。

 ハンクもその横に力なく座り込んでいた。

 そして、他の二人の死体を虚ろに見る。

「……魔力が、少しは戻ってきている。我々は魔道士だ。魔力がもっと強くなれば、こいつらも復活の魔法をかけてやれる……」

 その言葉とは裏腹に、声はすでにあきらめたように暗い。


「お、いたいた。その方たち、少し力を貸せ」

 シトラスが木々の枝葉の高さから見下ろして言った。

 ハンクとルメイアが呆然とシトラスを見上げる。

 魔王を足に抱えたシトラスが闇に紛れるように浮いていた。

「……魔王様」

 ルメイアがつぶやくように言った。


 シトラスと魔王がその傍らに降り立つ。

「とりあえず、あの軍勢は追い払った。しばらくは戻ってこないだろう。魔王様が安全に隠れる場所は無いか?今のうちに移動したい」

 シトラスが二人に向いて言った。

 その言葉にハンクが少し考えるように言う。

「三十年前の魔王封印の時に、その時の我々の同志が建てた隠れ家があると聞いたことがあります……。おそらく、この爆発の範囲には入っていないはず……」

 ハンクはそう言うと、なぎ倒された木々の遠く先に、大きく円形にえぐられた地面を見た。

「うむ。ではそこに行こう」

 シトラスがそう言うと、ハンクが顔を曇らせて言った。

「ですが……。イオ様と、同志をここに置いていくわけには……」

 そう言ってルメイアの抱えた死体を見る。

「うーむ、面倒くさいやつらだ。魔王様、魔王様、ちょっとよろしいですか?」

 シトラスは顔をしかめながら、魔王を揺さぶった。

「……サ、サリラちゃん……」

 魔王は、何かを思い出すようにうす笑いをし、シトラスが揺らすのに合わせ、ゆらゆらと揺れている。

「な、何かあったのですか?」

 ハンクが魔王の異変に気付き、顔を引きつらせ言った。

「とりあえず話はあとだ」

 シトラスはそう言うと、魔王を止まり木のようにして掴まり、キツツキのようにその額にくちばしを連打させた。

 カカカカカッ!

「魔王様!」

 カカカカカッ!

「正気に戻ってください」

 カカカカカッ!

「ハッ!」

 額の部分だけへこんだ魔王が、正気を取り戻したのか辺りを見回した。

「魔王様、移動しますから、ここにある死体を運ぶための袋をください」

「あ、あぁ」

 シトラスの言葉に、魔王は靄状の身体の中から、大きなひまわりの柄の布袋を取り出した。

 その袋の柄を、ハンクとルメイアが呆気に取られてみた。

(ひ、ひまわり柄!?)

 シトラスは、くちばしと足を使い、マントを着た死体を二つまとめて袋の中に押し込んだ。

 しかし、袋はその大きさを変えることなく、シトラスが持ち上げているその様子も、とても軽そうに見える。

「さ、そいつもこれに入れるといいぞ」

 イオの死体を抱えたルメイアに、シトラスは袋の口を開けて言った。

 ルメイアはためらうようにハンクを見た。

 その視線に、ハンクは促すようにルメイアにうなずいた。

 ルメイアは、そっとイオの死体を袋に入れた。

 その袋の口を縛りながらシトラスが言う。

「この中に入れておけば、死体が腐ることはない。こいつら三体は、魂がどこかに吹き飛んでしまったようだから、復活させるには膨大な魔力を使うだろうな」

「生き返るのですか!?」

 ルメイアが目を見開いて、シトラスの羽を握った。

「ひ!?」

 その勢いに、シトラスが驚いてルメイアを見た。

「魔王様、イオ様たちを生き返らせることが……?」

 ハンクもそう言って驚いた顔で魔王を見た。

「うむ。できなくはない。だが、今は我がしもべどもを探すのが先だ」

 その言葉に、ハンクに若干の笑顔が戻る。

「わ、わかりました。魔王様のしもべの捜索、我々もご協力いたします!ですから、イオ様を……、同志たちを、どうか生き返らせてください!」

 ハンクはそう言うと、ひざまずき、地面に頭をくっつけた。

「クックック。交換条件とはな。こうなる原因を作ったのはその方等だというに……。まぁ、いいだろう。では、先ずはその隠れ家とやらに行こうではないか」

 額のへこんだ魔王は、二人をその靄の中に隠すように持ち上げた。そして言う。

「さあ、案内しろ」



 鬱蒼と生い茂る深い森の木々。

 その中にひときわ大きな木が目印のように立っていた。


「魔王様、ここです」

 ハンクはそう言うと、その太い幹に手を当てた。

 その様子をルメイアが心配そうに見る。

「……開かない。魔力が戻ったとはいえ、三十年前の水準ではないのか……?」

 ハンクはそう言って、木々の枝葉を見上げた。

 シトラスがその隣に寄る。

「ハンク、三十年前のこの世界の魔力は現状の五十倍はあるぞ。魔王様がこの世界に常駐されれば……、そうだな、ざっと五、六年くらいで元の水準に戻る」

「そ、そんなに!?……私は当時まだ子供でしたから、そのころがどの程度の魔力だったのか、わからないのです」

 そう言うと、木の幹から手を離し、落胆したようにため息をついた。

 そしてもう一度木の幹を見て言った。

「私の魔力では、当時の魔道士が使っていたこの隠れ家の扉を開くことはできないようです」

「こんなの、大したことない。簡単に開くぞ」

 シトラスはそう言うと、先ほど魔王を止まり木にしたときと同じように、その幹につかまり、そのくちばしで幹を三回つついた。

「あ、トントントン、っと」

 そして幹から降りると言った。

「もう入れるぞ。ハンクお前先に行け。そして中の様子を教えろ」

 シトラスは隣にいたハンクを、その長い足で思いきり蹴飛ばした。

「ぐはっ!」

 ハンクは悲鳴を上げ、幹の中に吹き飛んでいった。

「うわぁ……」

 ルメイアが引きつった顔で幹を見る。


 少しして、這うようにハンクが出てきた。

「だ、大丈夫です。中は時が止まったかのように、当時のまま、綺麗です」

 その言葉に、魔王たちは幹の中に入った。


 真っ暗な幹の内部、ハンクが魔力により僅かに指先に炎を灯し、部屋を照らしている。

「暗いな」

 魔王はそう言うと、小さな光の玉を作り出した。

 それは幹の天井の高さまで上り、内部を明るく照らし出す。

「さ、さすが魔王様……」

 ハンクがつぶやくように言った。

 外から見る幹の大きさとは裏腹に、内部は直径十メートルはあろうかというほどに広い空間となっていた。

 その空間の端に、ドアが一枚取り付けられている。

 魔王は興味本位にそのドアを覗いた。

「ほう。水場だな。用を足す場所と体を洗う場所が取り付けられている」

 そう言うと、その小部屋の中に入り、確認するように見回した。

「水属性の魔晶石による水の浄化か。なるほど……」

 魔王は部屋の片隅に落ちていたビー玉ほどの大きさの、水色の透明な球体を手に取った。

「ま、魔晶石!?」

 魔王の後に続いて入って来たルメイアが、魔王の手にある球体を見て驚いたように言った。

「そうだ。だが、これはもう魔力がほとんど残ってはいない……」

 魔王はそう言うと、魔力の結晶体である魔晶石を強く握った。

 すると、その手のうちから一瞬まばゆい光が漏れた。

「うむ、これで良い。魔力は満ち足りた。もうこの水場は使えるぞ」

 そう言って、水属性の魔晶石を隅に置いてあった水瓶の中に戻す。

「魔王様、ここはなかなか心地の良い空間ですな」

 シトラスが、死体の入ったひまわり柄の袋を部屋の隅に置いて言った。

「そうだな。だが、ここで時間を食っているわけにはゆかぬ。しもべの魔物どもを探しに行かねば……」

 魔王はそう言うと、部屋の出入り口を見た。

「お、お待ちください、魔王様!」

 シトラスが焦ったように言う。そしてハンクとルメイアに視線を向けた。

「お、お前たち、ちょっとこっちに来い」

 ハンクとルメイアは顔を見合わせ、シトラスの近くに寄った。

 シトラスは、チラチラと魔王の様子を窺いながら、二人に小声で耳打ちするように言う。

「良いかお前たち、魔王様は気の強い女性にすぐに惚れてしまう癖がある。三十年前の敗因は、勇者がまさにそういう女性だっだからなのだ。先ほども、勇者となりえる気質の、気の強い女兵士にうっかり一目ぼれしてしまったようなのだ。このままでは三十年前と同様の結果になりかねん。何か良い方法は無いか?」

 その話に、二人は苦笑いをした。

「そ、そういうことだったんですか……」

 ハンクが少しあきれたように言った。

 ルメイアは引きつった笑みを浮かべ頬に手を当て、「うーん」と、何か考えるようにうなっている。

 シトラスはちらっと魔王を見た。

 魔王は部屋に置かれた、簡素な椅子やテーブルなどの家具を興味津々と言った様子で見ている。

「は、早くしろ……。何か良いアイデアを出せ」

 シトラスが急かす。


 突然、魔王が入り口になっている木の幹の部分を見た。

「ま、魔王様?」

 シトラスが焦ったように振り返って言った。

「……意識の気配がする」

 魔王はそう言うと、その入り口になっている幹に手をかざした。

 その途端、部屋の中に一瞬強い風が吹く。

 風は幹の外から何かを連れて戻って来た。


 その何かが部屋の隅に、白い靄のように漂っている。

 それはすぐに人型になった。

「おお、幽霊ですな」

 シトラスはそう言うと、その人型の靄に近づいた。

「おい、ザコ幽霊、何の用だ?魔王様の御前だぞ。用がないなら喰ってしまうぞ」

 その言葉に、幽霊は慌てたように横に手を振った。そして、ひまわり柄の布袋を指す。

「も、もしかして、イオ様!?」

 ルメイアが、声を震わせて言った。

 白い靄が、コクコクとうなずく。

「イ、イオ様……!」

 ルメイアはそうつぶやくと、その靄に抱き着くように白い靄めがけて駆け寄った。

 が、幽霊には実体がない。

 ルメイアは白い靄を透き通り、勢いよく木の幹壁にそのままぶつかった。

「ぶっ!」

 額を思いきりぶつけたルメイアは、そう言って床にひっくり返った。

 ハンクが引きつった笑いを浮かべてルメイアを見た。

「あほか」

 シトラスがあきれたようにルメイアを見て言った。

 魔王は少し考えるように靄を見た。

「交換条件だからな。約束は守るぞ」

 そう言うと、ひまわり柄の袋に手を向けた。

 その手が淡く光る。

 それと同時に袋の口が開き、イオの死体が一体、ゆっくりと出てきた。

 靄がその死体を見るなり、急いで近くに寄る。

 そして死体に乗りうつろうと、その身体に靄を重ねる。

 しかし、靄は身体を透き通り、死体の中に入ることはできない。

「クックック。何を焦っている?その器は死んでいるのだ。乗り移れるはずがなかろう……」

 床に転がったイオの死体は、齢九十を超えたような見た目をしている。

 魔王は足元に転がった死体に手をかざした。

「この器が死んだのは、ほぼ寿命というところもあるが……。今回は、魔物探しに協力してもらう条件で、少しサービスしてやろうではないか、クックック!」

 地鳴りのような魔王の低い声が、威圧的に部屋に響く。

 その声に、ハンクもルメイアも恐怖に震えた。

(や、やっぱり魔王は魔王だ……)

 ハンクのこめかみに冷や汗が流れた。


 狭い木の空間が、目を開けていられないほどに眩く輝く。

 魔王はどんな魔法を使ったのか、光が消えると、そこには先ほどまで死体だったイオが、若返って立っていた。

 イオは驚いた顔をして自身の身体と、周りの様子を見回した。

「イ、イオ様!」

 ルメイアがイオに抱き着く。

 二十歳ほどに若返ったイオが、ルメイアの頭をやさしくなでた。

「心配かけたな、ルメイア、そしてハンク――」

 そして魔王を見る。「――魔王様。私は魔道院最高責任者、魔道院長のイオ・スコットです。魔道院には現在影武者を立てており、私は“魔力解放団の魔道士オリバー”という偽名で活動しております。この度は、復活の魔法をかけていただき、心より感謝申し上げます」

 イオはそう言うと、胸に手を当てて深々と頭を下げた。

 はきはきとした声、責任感のある態度、イオはメイリアと同じ青く美しい長い髪をおさげに結い、気品のある佇まいだ。

 頭を上げたイオが再び言う。

「先ほどのお話、かしこまりました。魔王様の眷属たる魔物探し、我ら全力をもって協力いたします!」

 その澄んだグレーの瞳がとても力強い。

 シトラスは、魔王とイオを交互に見た。

(ヤな予感)

「……吾輩と結婚してください」

 そう言うと、魔王はイオに赤いバラの花を一輪差し出した。

(案の定かよー!)

 シトラスはあきれたように魔王を見た。

 ルメイアとハンスも苦笑いをする。

「申し訳ございません、魔王様。私、既婚者でございます」

「ガーン」

 その言葉に、ショックを受けた魔王は硬直してひっくり返った。

 その隙に、シトラスが三人を向いて言った。

「お前たち、ちょっとこっちに来い」

 そして先ほどと同じように小声で言う。

「言った矢先からこれだ!これでは魔物探しもままならぬ。何か良い策は無いか?」

 イオは状況がつかめないといった表情を浮かべた。

 その様子に、ルメイアがかいつまんで説明をする。


「なるほど……。これはいささか厄介かもしれぬ」

 イオはつぶやくようにそう言うと、シトラスに尋ねた。

「シトラス様。魔王様は女性が好きということは男性なのですか?」

「うーむ。魔王様は見ての通り、靄モヤな状態。肉体が無いのだ。だから男とか、女とかそういうくくりには入らないのだよ。だからなおさら困っている」

 その言葉に、三人は難しい顔をして考え込んだ。

 少しして、イオが口を開いた。

「身体がないというのを逆に利用できないでしょうか?」

「うん?」

 シトラスが首をかしげる。

「身体がない状態で女好きなのであれば、女性の身体に魔王様を入れてしまえば、プラスマイナスゼロになるのではないかと……。つまり、男性が好きな女性の身体であれば、相反する二つの嗜好が、互いに打ち消しあうのではないかと思うのです」

 その話に、シトラスは難しい顔をした。

「うーむ。確かに、そうなれば現状よりは良いかもしれない。だが、下手したら両刀使いの気持ちの悪い女子が出来上がるぞ。なにせ中身があの魔王様だからな……」

 シトラスはチラッと魔王を見た。

 三人はシトラスの言葉に引きつった笑みを浮かべた。

「だが、他に策も出ないようだし、他の代案が出るまではその案を試してみるか……」

「でも、どうやって女性の身体を?死体を探して、それにでも乗り移らせるのですか?」

 ハンクが難しい顔をして言った。

「いや、それは大丈夫だ。まぁ、ワタシに任せなさい」

 シトラスはそう言うと、ひっくり返っている魔王の様子を窺った。

 そしてそのそばに寄って言う。

「魔王様。それほど女性にフラれるのがショックなのであれば、ご自身が好みの女性になってはいかがでしょう?そうすれば、好みの女性が自分なのですから、自分に振られるということは無いでしょう」

 それを聞いた三人は苦笑いをした。

(それじゃ、ナルシシストだよ!)

「ほう!良い考えだ!」

 魔王は閃いたように起き上がった。

(今ので、納得したんかいー!)

 三人は内心、思わず魔王に突っ込みを入れた。


 魔王はゆっくりとイオに近づいた。

 そして、その隣に並んで立つルメイアとを交互に見る。

「な、なんでしょうか?」

 ルメイアは引きつった笑みを浮かべ言った。

「その方ら二人、髪の毛をもらうぞ」

 魔王はそう言うと、身体の一部から靄を二人の頭にかぶせた。

 その靄が頭全体を覆う。

「え?」

 二人は恐怖した表情を浮かべ、頭に手を当てた。

「うむ。これをもとに器を生成する」

 魔王はそう言うと二人から髪の毛を奪い、靄の中に取り込んだ。


 ハンクが二人を見て引きつった顔をした。

 そのこめかみに、大量の冷や汗が流れる。

「キャぁぁ!」

 二人は悲鳴を上げた。

 頭が天井からの明かりに照らされ、血色良く反射している。

「つ、つるつる……頭が、つるつる!」

 イオが叫ぶように言った。

「いやぁぁ、もうお嫁にいけないー……」

 ルメイアは頭を抱え、その場に泣き崩れた。


 部屋全体が、眩く光る。

 輪郭さえも消し去るほどのその光は、やがてゆっくりと収まっていった。


 部屋の明るさが元に戻る。


「うむ。こんなもんかな」

 部屋の真ん中、簡素なテーブルの横に、少女は裸で立っていた。


 十五、六歳くらいの少女は、自分の身体を確認するように見た。

 イオやルメイアよりも濃い青く長い髪。

 背はやや低く、細身の体形だが、胸がしっかりとある。

 透き通るような白い肌が、なんとも美しい。


 ハンクが、顔を赤くして焦ったようにマントを脱いだ。

「ま、魔王様!?ふ、服を……、せめてこれを羽織ってください!」

 そう言って魔王にマントを投げる。

「お?そうか?」

 魔王はそのマントを空中で受け取ると、颯爽と羽織った。

 頭がつるつるのイオが、魔王のそばにより言う。

「す、素晴らしい魔力……。髪の毛から身体を生成したのですね……」

 イオは魔王を観察するように見た。

「うむ。だが、二人分では、やはり少し足りぬ。あともう一人分あれば、背ももう少し高くできたのだが……」

 そう言って、イオとイオよりやや低いその背とを比べる。

 ハンクがその言葉に戦々恐々とした表情をする。

「……男の髪などいらぬ」

 魔王は冷たい視線をハンクに送った。そしてその足元に泣き崩れているルメイアを見た。

「……ルメイア、髪は一週間もあれば元に戻る。そんなに気にするなら、これでもかぶっていろ」

 魔王はそう言うと、ハンクに向けて手をかざした。

 その手が光る。

 と同時に、ハンクのマッシュヘアのアッシュ色の髪が、カツラのようにそのままの形で宙に浮いた。

「ひえっ!?」

 急に涼しくなった頭に手を当てて、ハンクは驚愕した表情を浮かべた。

「お、俺の髪が……。頭がつるつる……」

 そのハンクのカツラ状になった髪の毛がルメイアの頭に乗る。

「あ……」

 ルメイアは、その髪を確認するように手で触った。

 そしてルメイアは立ち上がると、ハンクを申し訳なさそうに見た。

「ハンクさん……。すみません、元に戻るまで一週間、髪の毛をお借りしますね……」

 ハンクは力なく笑った。


「準備は整ったようですな」

 シトラスが四人を見回して言った。

「いや、まだだ!」

 魔王が言う。

「へ?」

 シトラスはキョトンとした顔をした。

「シトラス、お前そのままの格好だとすぐ魔物だとバレるぞ。そうなれば魔物探しどころか、吾輩らが魔物として追われてしまう」

 そう言うと、魔王はシトラスに手をかざした。

 その途端、シトラスの姿が小型の黒いフクロウの形に変わる。

「ほえ?これは一体……」

 シトラスは自身の身体を見回した。

「それから、人前ではあまりしゃべるなよ」

 魔王はニヤッと笑った。

「はは!」

 シトラスがそう言って頭を下げる。

「では、さっそくしもべの魔物どもを探しに行くぞ!」

「お待ちください!」

 イオが叫んだ。

「へ?」

 魔王はあっ気にとられた顔をしてイオを見た。

「魔王様、“裸にマント”は、完全に痴女です!服を着てください」

 イオはそう言って目を吊り上げる。

「あ……、あは……、そ、そうか……。やばいなそれは」

 魔王は苦笑いをして言った。


 イオは自分の服とルメイアの服とを適当に見繕って魔王に着せた。

「魔王様、下着は途中の村ででも買ってください。それからその名前ですね。“魔王様”と呼ばれていたのでは怪しすぎます。自身に別のお名前をお付けください」

 イオは明朗に言った。

「な、名前か……。吾輩は、なんていう名前だったかな?アルマ……?」

「それもダメです!」

 すかさずイオが言う。

「そ、そっか……。じゃ、二人から作った身体だからな。一文字ずつ取って、イル……、いや、ルイにしよう!」



 東の空が白み始める。

 森の木々が弱く吹く風に、サラサラと揺れている。


 隠れ家となっている大木の前。

 四人と一匹が辺りを見回し、警戒するように立っている。

「うむ。近くに人間の気配はない」

 魔王が言った。

「予想とは違う結果となりましたが、魔王召喚は完全に成功しました。私は影武者を立てている魔道院に戻り、城内の様子を見てきます。魔道院と城内に残る同志にこの報告をしなくては……」

 イオは魔王に頭を下げて言った。

「うむ。わかった。ならばこれを持て」

 ルイはそう言うと、羽のモチーフの付いた首飾りをイオに渡した。

「それは低空飛行の首飾りだ。使い方は感覚だ。イオなら使いこなせるだろう」

「ありがとうございます!」

 イオはさっそく首飾りを首から下げた。

 そして、頭に青いバンダナを巻いたハンクに向いて言う。

「ハンク、ルイ様のことを頼んだよ。中身は魔王様だけど……、一応女の子なんだからね。何かあったら、ルイ様を守るんだよ!」

「わ、わかりました」

 ハンクはそう言って顔を引きつらせて笑った。

「うむ。では、隠れ家はルメイア、その方に任せたぞ!探した魔物どもは、この拠点に送るからな。ある程度溜まったら、一気に魔界に送る」

「はい!かしこまりました」

 ルメイアは気弱に微笑んだ。

 イオがその表情を見て言う。

「ルメイア、王都の様子を見てきたら、私もすぐにここへ戻る。心配する必要はない」

「はい!」

 その言葉に、ルメイアは安堵の表情を浮かべた。


 日が昇り始める。

 その柔らかい日差しが、木洩れ日となって森に差し込む。


「さあ!行くぞ!」

 魔王は声を張って言った。

「はは!」

 シトラスが魔王の肩に止まり言う。

「はい!それでは、イオ様、ルメイア、行ってきます!」

 ハンクはイオとルメイアに頭を下げた。


 ルイは意気揚々と森の中を南へと歩き出す。

 その後を追うようにハンクも歩き出した。


 その様子を、イオとルメイアは手を振って見送った。

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