紫
遅くなりました。
その日はいつもと変わらない朝で、僕はいつも通り学校に行き、いつも通り放課後がやってきた。
僕が教室から出ようとすると葵さんが僕を呼び止めてきた。
「光君、この日記、紫さんの物だと思うのだけど…… 名前が足利 紫になっているの」
それは確かに紫がいつも身から離さず持っている日記だった。
「紫はうちに引き取られる前は足利だったんだ。ありがとう、帰ったら紫に渡しておくよ」
その時、僕は思いついてしまった。この日記を見れば紫が僕をどう思っているか、不満はないのか、そう思うと僕はその誘惑に抗えなかった。そもそも日記を書かない僕は日記の重要性を日記の秘匿性をよく理解していなかった。だからそれ程の罪悪感もなく「兄の特権だ」と勢いで紫の日記を見てしまった。
今思うとここが一つの分水嶺だったのだろう、もしこの時僕が日記を見なければきっと僕は何も知らずに純粋無垢に人を傷つけながらも平穏に暮らしていけたのだろう。いや、たらればなどと言った所で、どう後悔しようと、過去は変わらない。そう変わる訳がない。
『×月○日
源さんが私を引き取ると言ってくれた、やっとこの地獄から抜け出せる。
×月◆日
今日、源家に引っ越してきた。光は恵まれた環境にいるのに、ため息ばかりついてるムカつく。
×月◇日
転校初日、緊張したけど、上手くできたと思う。光が狼狽えてて笑えた。
×月★日
光はやっぱりからかい甲斐がある。楽しい。
▽月□日
光と、キスをした、光は嬉しそうだった、めでたいやつだ。
▽月●日
光はお兄ちゃんと呼ばれると何でも言う事を聞くちょろい。
▽月☆日
私は光の事が嫌いだってあんなに温室育ちであんなに能天気であんなに馬鹿だもの。そうだから私は光が嫌い。』
そこには僕の悪口が至る所に並んでいた。
そこに紫が息急き切ってやって来た。
そして
「そうか、見ちゃったんだ……
そうよ私は光が羨ましかった!家族がいて!好きな人がいて!誰にも怯えず暮らせて!好きな事を好きなだけできて!
私も欲しかった。だから頑張った、光と毎日話をした、御夫妻にだって打ち解けられるように頑張った!キスだってした、でも、残ったのは虚しさだけだった! 光なんて、光なんて、大っ嫌い!」
僕は呆然と紫の吐露した言葉を聞いていた。
紫が教室から荒っぽく出て行った後も
「え? だって、そんな」
僕の口からこぼれるのはそんな意味のない言葉だけだった。
葵さんが優しく話しかけてくる
「光君、詳しい事は良くわからないけど、光君は悪くないよ。だって光君は騙された側じゃない。だから、私は光君の味方だよ」
「僕は紫といて、からかわれてばかりで、こき使われて、それでも、確かに楽しかったんだよ。それなのに、それなのに、紫はずっと僕を憎んでいたなんて、そんなのないよ」
僕は言葉にならないこの感情をどうにか表そうと必死に言葉を紡いだ。
「大丈夫、悪いのは紫さんなんだから、皆んな助けてくれるわよ」
「そうだよね、帰って両親に相談してみる」
そう言って、僕は学校を後にした。
家に帰ると、母さんが椅子に座って待っていた。
「光、紫について、少し話を聞かせてくれる?」
「母さん、紫が、紫は嫌いなんだ僕の事が、僕はあんな扱いでも、紫を良い妹だと思っていたのに、なのに、紫は僕の事を羨んで、恨んでいたんだ。もう、僕は紫の事なんか、紫の事なんか、嫌いだ!」
「光、少し落ち着きなさい。紫から、話は聞いたは。確かに紫は、光に隠し事をしていて、そして、光の事を羨ましく思っていたは。でも、それは紫だけに原因があるわけじゃないの、紫の育った環境が、私達の対応が、そして、光の対応が、紫をそうさせたの、勿論、紫にも原因はあるは、でも、それを防げなかった私達家族全員に責任があるじゃない? だから、許してあげて、私達は家族じゃない」
「どうして!どうして!母さんは、母さんは紫の側につくの!僕は裏切られたんだぞ!信用してたのに、家族だと思ってたのに!なのに!なのに!なんで母さんは紫の側につくの!母さんなんか、母さんなんか!大っ嫌い!」
「光!誰の為に、誰の為に母さんが頑張っていると思っているの!」
「自分のためだろ!僕は一言も僕の為に頑張ってなんて言った事はない、今回だって母さんは僕じゃなくて紫の味方なんだろ!」
僕は怒鳴り散らして、荒っぽくドアを叩きつけて、家を出て行った。
そして、僕は携帯の画面にこう打ち込んだ『葵さん、今どこにいる?今すぐ会いたい』と。