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愛悼歌-aitouka-  作者: 瀬戸夕菜
第一章 桜吹雪と夜の月
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美味しい紅茶と不味いはなし

 


 家を出たのは、昼過ぎだった。

 少し肌寒い路地を、母の背中を追いかけるようにゆっくりと歩く。


 昨晩の衝撃の告白からまだ状況を整理しきれていない私の足取りは、すこぶる重い。


「ちょっと。もう少しキビキビ歩けないの?」


 重い足取りの私に合わせて歩くことに業を煮やしたのか、振り向いた母は強い口調でそう言った。


「だって!昨日の今日で、急に挨拶だなんて・・・藤本さんなんて知らないし!」


 四月よりお世話になるという藤本家へ向かっているが、私はそんなの認めていない。

 大体、何故そのお宅なのだ。いっそ、関西の親戚の家に厄介になった方がマシだ。転校することにはなるが、親戚でもない人の家でお世話になるよりよっぽど良いだろう。


「とても優しいご夫婦よ。安心しなさい」


「そういう話ではなくて・・・」


 優しい方でないと、親戚でもない知り合いの娘、それも顔も知らない娘を預かるなんて真似、快く承諾してくれないだろう。


「・・・この話、香子(コウコ)から申し出てくれたんだから。あまり嫌な顔して会わないでね」


「え?」


 気だるげな表情を浮かべる私に対し、ばつが悪そうに語る母。


「私も、最初は貴方を京都の(ミチル)のところに預ける予定だったわ。だけど・・・去年の暮、久しぶりに会った香子に転勤の話をしたら、是非結衣を預からせてくれって。多感な時期の高校生を転校させるのも可哀想って。そう言うんだもの」


 京都の充とは、充おじ様のことだ。母の兄にあたる。


「私のこと、知ってるの?その、・・香子さんって方」


「知ってるもなにも、貴方が幼稚園通ってた頃はよく預かってもらってたのよ。私も・・あの人も、仕事で家を空ける時間が長かったから」


 あの人とは、父のことだろう。私が小学生に上がる直前に離婚した。

 父のことは、もう殆ど思い出せない。声も、顔も、どんな人だったのかも。


 幼稚園の頃の記憶なんて、そんなものか。


「昔はね、このあたりに住んでたのよ。藤本さんの家の向かい。よくしてくださってたわ」


「ふーん・・」


 ここは、いま私と母が住んでいる駅から三つ離れた駅。そこから徒歩十分程歩いたところだ。

 駅前はそこそこお店も多く、ファストフード店等も並び賑わっているが、五分程歩くと静かな住宅街に入る。

 車通りも少ない静かな通りで、品のよさげなご婦人がすれ違いざまに会釈してくれる。身なりを見ただけで感じるが、そこそこ高級な住宅街かもしれない。


「こんないいところに住んでたんだ」


「そうよー高かったのよー。別れたときに家は取り壊して、土地だけ売ったんだけどね」


「え、なんでわざわざ取り壊しなんて・・」


「着いたわよ」


 私の質問を遮るように母は声を上げ、足を止めた。母が見つめる先に、私も目を見やる。

 白い壁で屋根はパステル調の水色。欧風の一軒家だ。


「か・・わいい!」


 女性なら誰もが憧れてしまうであろうお洒落な外装。内装にも期待に胸が膨らむ。


「香子がね、拘るタイプなのよ。まあ、このあたりは周りも結構凝った造りが多いからねぇ」


 確かに、周りの建造物も随分気合が入っている。壁が黒い一軒家まで。シックな造りだ。

 藤本家の向かいの建物、昔、私たちが住んでいたというそこは庭の広い緑豊かな家になっていた。表札には、「榎本」と記されている。


「結衣?来なさい」


 向かいの家を眺めている私を呼び寄せる母の声。私は慌てて振り向き、母の元に駆け寄った。


 ――ピンポーン。


 少し低めのチャイム音。少しして、プツッと相手が反応する音がした。


『はい、藤本です』


 機械越しに聞こえてくるのは、綺麗なソプラノボイス。


「遅くなってごめんなさい、瀬川です」


『千尋さん!ちょっと待っていてね』


 機械越しのソプラノボイスは、喜んでいるのがよく伝わるぐらい更に高い声を出し、途切れた。

 緊張して、手先が少し震える。このドアの向こうで、私はこれからお世話になるのか。


 ガチャ。欧風で深い茶色のドアが勢いよく開かれる。ドアの向こうから現れたのは、上品なセットワンピを身にまとったボブカットのご婦人。

 暗めの茶色がかった髪で、毛先がふわっと巻かれている。


 とても綺麗な方だ。そしてお若い。おいくつなんだろう・・・。


「結衣。なにボーっとしてるのよ。お邪魔するわよ」


 そんなことを考えていると、母に呼び戻される。

 玄関に入っていく母の背中を早歩きで追い掛けた。


「お、じゃまします・・」


「どうぞー!」


 恐る恐る挨拶する私に、優しい笑顔で迎え入れてくれる香子さん。

 横を歩くと、ふんわりとラベンダーの香りがする。


 玄関に用意されていたふわふわもこもこのスリッパに両足を入れ、招かれるままリビングに入る。

 大きなL字のソファに観葉植物のパキラが目に留まる。さらにリビングの奥には白で統一されたダイニングが見えた。


「お茶用意するから、座っていて」


「悪いわね」


 香子さんに言われるまま、どっかりとソファに腰を下ろす母。もう少し遠慮すればいいのに。

 こんな綺麗すぎる空間、私には少し居心地が悪い。


「結衣ちゃんもほら、座ってー」


 お茶の用意をしながら、私に声をかけてきたのは香子さん。

 私は会釈し、そっと母の隣に腰を下ろした。


 しまった、自己紹介をまだしていない。いつしよう・・・。


 自己紹介のタイミングを逃し、胸がキリキリと痛む。最初にすべきだったのに、リビングにまで上がり込んでしまった。今更いつ挨拶をすればいいだろう。


「結衣ちゃんは、紅茶で大丈夫?ミルクいる?」


「え、あ・・ストレートで大丈夫です!ありがとうございます!」


 グルグルと思考を駆け巡らせていると、香子さんがトレーにティーセットを乗せてこちらに運んできた。

 カップをテーブルに置きながら、ミルクの有無を確認する。


「え、すごい!私、ミルクとお砂糖ないと飲めないのに!」


「香子は舌が幼いからね」


 ストレートで飲むという私に関心したように声を上げる香子さん。を、小馬鹿にするように茶化す母。

 もうっ、と少し片頬を膨らませながら、香子さんはトレーをキッチンに戻しに向かった。


 やがて、香子さんも私と母の斜め向かいのソファに腰かけ、カップにミルクを注ぎながらこう切り出した。


「そういえば、挨拶をしていなくてごめんなさいね。私にとっては、結衣ちゃんはよく知った子だからつい」


 先に謝るべきは私だろうに、そう言いながら申し訳なさそうに眉を下げる香子さんに私は慌てて立ち上がる。


「いえ!ちゃんとご挨拶せずすみません!瀬川結衣と申します!四月から高校二年で、それで・・えっと・・四月からお世話に・・なり、ます・・・?」


 自信なく語尾が弱まっていく私の姿を眺めていた母は、軽く噴き出した。


「なに語尾にハテナつけてんのよ、ちゃんと挨拶なさい」


「だ、って・・・」


 本当にお世話になるのか。もはや自分の未来がよく分からない。来週のことなのに。


「ふふっ。やっぱり直前まで隠してたのね?千尋さんったら」


「昨日言ったのよ。そしたらもうわーわー煩いのなんの」


「・・・それは直前すぎるわよ」


 呆れるように、私の騒ぎっぷりを再現する母だが、さすがの香子さんも母の異端っぷりに開いた口がふさがらないようだ。

 よかった、私の感覚は正常だ。母がおかしい。


「もう・・今日顔合わせすることは先月決めてたのに、どうしてもう少しはやく教えてあげないのよ」


「だって、はやく話したら、その分根掘り葉掘り聞かれるだろうし面倒で・・・」


 そう。昨日の今日だったから、私は藤本さんのことについて何も聞けていない状態だ。

 いくつか質問はしたが、すべて「明日会えるから、ね」とはぐらかされてしまった。


「千尋さんったら・・・本当相変わらずね」


 呆れた顔をしつつも、少し楽しそうに笑みを浮かべながら紅茶をすする香子さん。

 ふたりは、いつからの知り合いなのだろう。今まで、母との会話で何人か知り合いの名前は聞いたことあったが、藤本香子さんについては昨日初めて知った。


「結衣ちゃん、色々不安よね。ごめんなさいね・・気兼ねなく寛いでくれていいからね」


「え!いや!香子さんが謝ることでは!むしろ、本当にすみません・・お邪魔することになってしまいまして・・・」


 香子さんがあまりにも優しくて、優しすぎる方で萎縮してしまう。

 どうしてそこまで親切にしてくれるのだろう。親友の娘とかでも、そんなに可愛く見えるものなのだろうか。


「結衣ちゃんには、なるべく不自由させないようにはするんだけど・・女性としては、やっぱり気にすることも多いだろうから、何か気になることとか嫌なことがあったらどんどん言ってね?」


「いえ、そんな・・ありがとうございます」


 気にすることって、やっぱり旦那さんのこととかかな?

 身内でない男性と一つ屋根の下は確かに肩身狭いものはあるが、でも香子さんの旦那さんだし、年齢が離れていると逆にそこまで気にも・・


「一樹もね、最近は真っ当な時間に帰ってくるようにはなったけど、やっぱりまだ反抗期で・・・でも、結衣ちゃんのことはちゃんと守るから。安心して!」


「あーまぁ、一樹くんのことはそんな心配してないよ。大丈夫だいじょーーぶ」


 香子さんが心配気に語るも、母が軽く受け流す。

 私はその会話に付いていけず、一樹(カズキ)という名前を頭の中で反芻した。


「一樹、さん・・って?」


 考えても答えは出てこないので、疑問を口に出す。

 母は素知らぬ顔で紅茶を啜り、香子さんは困ったような表情を浮かべながらゆっくりと口を開いた。


「えっと・・・息子がね、一樹っていうんだけど。結衣ちゃんと同じ年の」


「あ、そうなんで、す、・・・っか!?」


 なんてことないかのようにカップを手に持ち紅茶を啜ろうとしたとき、“同じ年の息子”の部分を思い返して我に返る。




 同い年の、息子さん?と、同居?

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