ある夏の夕方 A Summer Evening
図書館はいつものように閑散としていた。
もう何日も触られていない本が棚に整然と並び、
新しく入荷したのであろう本は棚に表紙が見えるように立てかけられ、その新しさを強調するように、プラスチックのブックカバーが蛍光灯の光を反射していた。
図書館の司書はどこにいるのだろうとか、
どうしてエアコンが点いていないのだろうとか、そういう諸々の質問は、図書館に入って出現して、閲覧スペースに入ってすぐに消滅した。
黒髪の少女は、いつもの場所、いつものペースで本を読み進めてるように見えた。窓から差し込む夕日が、蛍光灯の光と競合しているのか、彼女のいる場所を明るく照らし、その存在を、強く僕に認識させた。
彼女はやはり何か違う、と根拠もなく確信した。
彼女は特別な人間だ、そう確信した。
気づくと僕は彼女を、またじっと見てしまっていた。
ページをめくる音がしなくなっていた。
彼女はもう、本を読んでいないようだった。
「何か、御用でしょうか」
二回目だからか、彼女の応答はしっかりしていた。何かとても恥ずかしいことをしているようなのに、僕は何の躊躇もなかった。
「僕、あなたのことが好きです。なぜかわからないけど好きです。どうしようもないくらいにー」
「それは勘違いよ、きっと。君、友達いないでしょう」
僕は自分の口から不意に出た言葉よりも、
返されたその言葉に閉口した。
もう一度聞き返そうとしてやめた。
「一目惚れって、絶対勘違いよ。なぜ、友達もいないのに、色恋がわかるの」
僕の言葉を遮るように、彼女は続けた。
「それに、一目惚れって一人ぼっちが友達が欲しくてするのよ。まず私が友達になってあげるから、それであなたは色恋を理解するのよ」
僕は彼女のいるテーブルに近づき、硬い木のイスに腰を降ろした。
「それは、友達から始めましょう、という解釈で良いのでしょうか」
「解釈は自由よ。でも私、きっとあなたは好きにならないわ」
「あの、急に尊大な態度になったような気がするのですが、もしかして上級生なんですか」
僕は中学生と高校生の区別もままならない。彼女は背も小さく、顔も童顔、肩まで伸ばした髪と化粧気の無さが、僕の中の中学生と高校生の見分け方の定義を複雑にした。
「ああ、ごめんなさい。上下関係なんて、反吐が出るほど嫌いなのに、いざ自分の立場になると、どうしてもそうなってしまうみたい。これは本能だから私は悪くないの」
「私、今受験生なの」
僕はその以外性に驚いた。
なぜ受験生なのに毎日図書館にいるのかとか、
意味のわからない論理展開とか、
そういった諸々の違和感は一つの答えへと辿り着いた。
「先輩も友達、いないんですね」
「そうね」
「では先輩の理論から言えば、今の僕の気持ちを説明するのは難しいでしょう」
僕が少しムキになって反論すると、彼女は明らかに読んでいない本から目をあげた。
「男女が結婚できる年齢はいくつか、知っている?」
「確か、男が18、女が16、ですよね。しかし、これが何か」
彼女は待ってましたと言わんばかりの顔をした。
初めてあった時は予想出来なかったが、かなり分かりやすい性格をしているらしかった。
「私は結婚できる年になってから、もう2年経ったわ。でもあなたはまだ結婚も出来ない」
「それは、生殖器の問題であってー」
「愛はセックスだと思うわ」
僕はまた閉口してしまった。
というよりも呆れた。彼女の方が、色恋なんて知らないのではないかと思いくらいだ。それに、身も蓋もないことを言う。
「セクハラですよ、それ。僕はまだ結婚出来ないのですから」