「ただしい百物語のはじめかた」
「よもぎ君、ちょっとお願いがあるんだけど、引き受けてくれる?」
放課後の文芸部の部室で、部長兼副部長兼書記(つまりは最高権力者)である先輩は、何の脈絡も無しにそんなことを言い出した。
「え? ぼく……ですか」
「君以外の誰がここにいるの」
確かにこの部室には、ぼくと先輩の二人しかいない。といっても、他の部員が全員帰宅したとかいうわけじゃない。人数確認してみよう。一年生部員、ぼく、稲代よもぎ。二年生部員、先輩、土御門静音。以上。
掛け値なしにこの部は部員数が二名しかいない。常に部員募集の張り紙が扉の前ではためいている状態だ。なぜ、廃部にならずに存続しているのか、所属している自分でさえ不思議に思う。
それでも、部室に人が少なく物足りないことはない。むしろ物足りあるぐらい。いたるところに、先輩が持ち込んだ怪しげな本やプリントアウトしてきた用紙を挟んだファイルがあって、いくつもの山を形作っているから。また、どの紙にも必ずこの類の文字が記載されている。妖怪。物の怪。妖。化け物。化生。怪異。
断言しよう。これらを見れば、この部活は絶対に文芸部などではなく、オカルト研究会か何かだと思われるはずだ。実際、春先にいた数少ない入部希望者が、扉を開けて部室拝見した途端、みんな一様に忘れていた約束を突然思い出して、回れ右して帰っていったぐらいだ。
まあ、それもある意味では正しいのかもしれない。先輩は、本物の妖怪を探すというあまりおおっぴらに人様に吹聴できない特殊な趣味をたしなんでいるのだから。
……当然だが、成果はあまりないようだけど。
「ちょっと手伝ってほしいことがあるの」
「怪しげなことじゃないでしょうね」
ぼくは若干警戒しながら、先輩を見つめた。
ぼくを見つめ返す顔には、いつもどおりの切れ長の目に整った鼻梁。腰まで届こうかという、墨を溶かしたような長い黒髪をわずかに揺らしながら、こちらをうかがうように小首をかしげている。その姿は、思わずため息が漏れそうになるほど美しい。大和撫子や幽玄の美という言葉を擬人化すれば、きっとこの人に近しいものが出来上がるだろう。
異性はもとより、同性さえも目を惹きつけるような外見。まさに立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花と称するにふさわしい。
だけど、外面にだまされちゃいけない。
人目のあるところでは、「中の人などございません」とばかりにファスナーの存在すら匂わせない完璧な猫を被った優等生だが、ひとたび部室に入ればあら不思議。その身にかぶった猫を剥ぎ取り、素顔に「師匠はチェシャ猫です」といわんばかりのにやにやした猫笑いを浮かべては、ぼくに無理難題を突きつける。
それが先輩、土御門静音なのである。
「ねえ、よもぎ君。百物語やってみない?」
「はい?」
先輩がまた何か変なことを言い出した。それが、ぼくの正直な感想だった。