プロローグ
フッと体が浮き上がるような感覚に目が覚めた。
熟睡していて急に目が覚めるとなるアレ。落ちるような浮き上がるような、ジェットコースターで稀にあるあの気持ち悪い浮遊感。
驚いて飛び起きると、私は真っ白な空間にふよふよと揺蕩っていた。
……ななな、なんだこれ!?
今現在花の女子高生、青春真っ盛りな私はクーラーの電気代が高くつくからとか割とみみっちい理由で夏の猛暑から逃げるべく、ワンピースにサンダルという防御力皆無な軽装で宿題をひっつかんで近所の市立図書館に入り浸っていた……はず、だ。課題をせっせと消費してたまに興味のある本を手に取って読む自堕落なルーチンワーク。私はちょうど数学のワークを解いていた。
だというのに、それを最後に私の記憶はぶつりと途切れ、目が覚めたらわけのわからない真っ白な空間でふよふよと浮いていた。誘拐かな?
夢? 夢なの? さっきガッツリと目が覚める感覚がしたんだけどこれ実は夢?
だって、さらわれたってこんなおかしなところでぷかぷか浮いていることもその必要性も説明できないよね。なにこれ無重力? 私ってばいつの間にか宇宙空間にでもいんの? それとも急上昇と急降下を繰り返している飛行機の中? マジで重力どこいった。ニュートンと万有引力の法則が泣いてんぞ!
「へーい、誰かぁぁぁぁ、HEEEEEELP! 助けろくださいぃぃぃっ!!」
一生懸命体を捩ったら何かの拍子に体が回転した。ぐりん。
無重力なので止まらずぐりん、ぐりん、ぐりん、ぐりん、エンドレスで回り続ける。
「ちょ、嘘、まっ……あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!! 誰か止めてぇぇぇぇっ!!」
一体何周回ったのかは分からないが体感では3桁は余裕で回ったと思われるところで誰かの腕に回転を止めてもらえた。酔わなかった私の三半規管ナイス。全力でグッジョブしておいた。
そのまま私を止めた誰かさんの腕が私の肩に回ってその人の方を向かされた。
目に付くのは背中に届くほどの長くて綺麗なプラチナブロンドの髪に、透き通ったアメジストの瞳。性別は男で年齢は……二十代前半くらいだろうか。涼し気な目元と薄い唇、白磁のように白くキメ細やかなすべすべの肌、程よく筋肉のついた細マッチョ体型。紛うことなきイケメソですね、わかります。
「君……大丈夫?」
「いえ、まったく」
「だろうね」
ふわふわと浮いていたのが無くなってバタンと地面(らしき場所)に倒れ込む。ただいま地面。めっちゃ恋しかった。
まぁ、それは良いんだがところで、
「誰?」
「それ遅すぎない?」
思ったことを率直に口に出したら目の前の謎の青年からツッコミとともに呆れた視線を頂戴した。うん、それは私もちょっと思ったけど。恩人ではあるけど怪しすぎて信用出来ないのでさっと距離をとる。とりあえず半径3m。知らない人には近づかない。誘拐疑惑があるなら尚更。警戒して然るべきですコレ。
「とりあえず名前はないから好きに呼んでよ。君たちの世界では『神』的なものに分類される存在ではあるかな」
「あ、はい」
「ごめん、その中二病患者を見る目はやめようか。信じられないのはよくわかるけど。流石に痛い子を見る目で見られるのは解せない」
解せぬ。
初対面で『はじめまして、神様です(意訳)』ってぶちかましてくる人をまともに見ろって? それこそ大惨事じゃないですかね。それ、受け取る側の人間まで痛い子じゃないですかヤダー。そんなのを受け入れるのは同族(とかいて患者と読む)だけだと思うの。
「説明を要求します。絶対になにかご存知ですよね」
とりあえず呼称と視線の件はそっと横に置いておいて話を進める。中二病患者とこのやりとりをすると話が大体平行線になってループするのは目に見えているのでね。それは学校の友人で経験済みなので身をもって知っている。さすがの私もそれを知っていて実行しようと思うほど馬鹿ではない。
ちなみに信じるか信じないかはまた別の話だ。
「申し訳、ありませんでした……っ!!」
「は?」
急に青年はきっちり90度に腰を曲げて謝罪した。いわゆる最敬礼というやつで。なぜゆえ。
……解せぬ(本日二回目)
私、さっきちゃんと説明を要求しますって言ったよね? ね?
説明を求めたら謝られた。何事。一体何に対して謝られてんの私。事と次第によっちゃあ許さないが。
「カメラはどこです?」
「違う、ドッキリじゃない」
よくわからない場所 + なにかよく分からないけど浮いた + 絶世の美人エンカウント + いきなりの謝罪 = ドッキリ
って方程式が頭の中に浮かんだけど違うらしい。私が知らないだけでなにか有名な俳優さんかモデルさんなのかと思った。違うらしいけど。じゃあなんだ、詐欺?
「詐欺でもない」
「心を読まないでください」
「表情を読んだだけだよ」
「なんてこと」
心を読まれたのかと思ったら顔に出ていたらしい。わかりやす過ぎか私。とりあえずさっと顔を隠したら「まぁ、心も読めるけど」って言われた。意味無いじゃないか。
「とりあえず、君は小桜百合で間違いないね?」
「…………いいえ」
「すごい間が空いたけど。心が読めるって言ったでしょう。合ってるみたいで良かったよ」
「……」
「その怪しむ目をやめようか?」
「無理です」
「そこは即答なんだ」
名前を聞かれたので否定してみたら普通に看破された。悔しい。っていうかこの状況はマジで一体なんなんだ。カオスすぎてわけがわからない。
「なぜ名前が無いんです? 名乗れない、ではなく?」
「僕は神様みたいなものだって言ったでしょう? 役職で相手を呼べば事足りるから単に名前が必要無かっただけの話だよ」
「へぇ……」
「僕は君がいた世界と、あといくつかの世界を創造して管理している。いわゆる創造神って立場なんだけど、ね」
「なるほど察しました」
聞いた? 『君がいた世界』。問題は『いた』って過去形にされていることだよね。私、知らないうちに死んでるんだけど、どゆこと?
何らかの不測の事態で自分が死んじゃって、目の前に絶賛神様降臨中。それなんてインターネット小説?
「それで、想像がついてるかもしれないんだけど、その、君についての書類が廃棄の書類に紛れ込んでたのに気づかなくて……」
「まどろっこしい言葉はいらないので端的に述べよ」
「存在が抹消されてしまって君が死んだ。元には戻せないのだけれどイレギュラーすぎて死亡扱いにすることも出来なければ受け入れ先もないのでここで消滅するか記憶を保ったまま転生するかを選んでください」
「転生で」
転生か消滅かの二択て、それほぼ一択じゃないか。誰が好き好んで消滅するんだよ。あ、でもあれか、転生を選んで転生したら転生先がgkbrでしたァ私gkbrですぅ、とかだったら死んだ方がマシかもしれない。転生先、そこめっちゃ大事だわ。
「……転生先がGだったりとか」
「それは流石にしない」
「ですよね」
「それと、元の世界に生まれるのは規則上できないことになってるからね。これから行ってもらうのは地球とはまた別の世界だよ。向こうでバグに巻き込まれて魂だけ消えてしまった女の子……君とは真逆だね。その子の体に入ってもらうから、向こうでは3歳スタートになるね」
「問題ありません。その世界はどんなところですか?」
「そうだね……。1言で言えば剣と魔法の世界。魔法で最低限がまかなえるせいで文明の発展が遅くて物語に出てくるような中世ヨーロッパみたいな時代背景と身分制度。魔族や獣人、エルフ、ドワーフなんかもいるね。君の種族は魔族になるね。親に手酷く虐待されて捨てられた子供だから親については心配しなくていいよ」
「種族に対しての偏見や差別は?」
「人間が獣人を獣や魔獣と人間との混血だって差別してるぐらいかな。魔族って言っても吸血鬼とか淫魔がいるわけじゃなくて魔力が高くて寿命も人間と比べると格段に長いから区別されてるだけ。あとは把握してないけど、大まかにはそれくらいだった……はず」
「だいたいわかりました」
話を聞いているとまるでRPGの様な世界観だ。その手のゲームや小説は大好きだからまったく問題ないが。そうなると身分についてもそっち系の要素がありそうだな。十分注意しよう。
「ごめんね、こんな面倒になって」
「いえ、そう気に病むこともありませんよ。私はもともと両親を亡くしてからはほとんど血も繋がっていないような方々に引き取られて、義務教育が終わった瞬間に家を追い出されて高校進学しても表付き合いばかりでそこまで仲のいい友人はできませんでしたし。心残りは次の世界で果たせるようなものばかりですから。むしろファンタジー世界ウェルカムです」
「うん……」
「そんなことより名前、ツァールトハイトなんでどうですかね?」
「え? ……ツァールト、ハイト…………?」
「はい。もちろん貴方のですよ。名前が無いっておっしゃっていましたから。今私にできる唯一の恩返しです」
「え、でも……考えてくれてた…………?」
私が被害者なのは誰の目から見ても明らかだけれど、彼が加害者かと聞かれたらちょっと賛成しづらいのだ。もちろん、彼の認識によれば彼は加害者であるのだろうけれども。ここに来るまで私の意識が無かったってことは、彼はこのまま見ないふりもできたはず。私が今ここにいられるのはひとえに彼の人柄がよかったからだろう。いきなり転生させるわけでも消滅させるわけでもなく、あくまで私の意見を大切にしてくれる。
私が彼を信用する理由はこんなものだ。
これが全て計算だったとしたら……それはうん、見破れなかった私が悪いってことで潔く諦めよう。
「はい。私は貴方を信用に値すると判断しました。名前の由来は、その過程で『優しい人』あいや、神様だと感じたのでドイツ語の『優しい』の意味を持つツァールトハイトはどうかと思いまして」
「僕が、優しい……?」
「はい。少なくとも私はそう感じましたね」
「ふふ、そっか。優しい……嬉しいな。じゃあ、改めて自己紹介をしようかな。僕の名前はツァールトハイト。君のいた世界、そして君がこれから行く世界を創造したものだ。よかったら君の名前も教えて欲しいな」
「私の名前は小桜百合。今まで、そしてこれからも貴方の創造した世界で生きるものです」
「よろしくね、百合」
「はい!」
私が考えた名前を彼……ツァールトハイト様が受け入れて名乗ってくれて、自己紹介のやり直し。ちょっとくすぐったく感じてしまう。
「これから向こうの世界に送るよ。ちょっと乗り物酔いみたいな不快感があるかもしれないけれど、どうしようもないから我慢してね」
「はい」
「それじゃあ百合、向こうでも頑張って。次こそは良い人生になりますように!」
私が了承すると、ツァールトハイト様がにっこり笑って指をパチリと鳴らす。途端に足元から青白く光る複雑怪奇な模様の魔法陣が浮かび上がった。私を囲うように浮かんだそれにズプリと足が飲み込まれてしまう。どうやらこれが私を向こうの世界に送るための魔法陣らしい。なにこれカッコイイ。
ぐらりと視界が揺れて体がバランスを失って傾ぎ、思考が黒に塗りつぶされていく。嬉しそうに笑うツァールトハイト様が見えて、咄嗟にありがとう、と伝えようとしたが声が出ない。ハクハクと口パクで感謝の意を示すが、はたしてツァールトハイト様にちゃんと伝わっただろうか。それとも心が読めるなら必要なかっただろうか。ふわりとした浮遊感のあと、私の意識は完全にブラックアウトした。
* * *
百合が魔法陣に消えるのを見届けて、ツァールトハイトは安心したようにホッと息を吐いた。真っ白な空間で、彼の綺麗なブロンドの髪とアメジストのように透き通った瞳が異彩を放つ。彼が持つ色彩がここにある唯一の色だ。
「ありがとう、か」
ぐらりと体が傾ぎ魔法陣に飲み込まれる最中、声が出ないながらも必死に足掻いて感謝の意を伝えてきた彼女は本当に優しい子なのだろう。彼女の口が最後に紡いだ、声にならなかった言葉はちゃんとツァールトハイトに届いていた。
「優しい、なんて初めて言われた。あんな状況下に陥って他人に向ける評価があれほど客観的にできるとは……まったく、彼女には恐れ入るなぁ。彼女の方が僕よりもよほど優しい。個人の運命には干渉はできないけれど、ステータスなら少しはつつけるはずだからね……」
ニヤリ、といたずらっ子のような笑みを見せたツァールトハイトは手始めに彼女へと全力で加護を贈った。その場でほかの神にも根回しを済ませてしまう。
「百合! 君のこれからの人生にたくさんの幸せが訪れますように。創造神ツァールトハイトからは、めいっぱいの祝福を!!」
誰もいなくなった真っ白な空間でツァールトハイトは、どうか次の百合の人生が前の時の様に世界に絶望してしまうことが無いようにと神の身でありながら全身全霊で願った。
2017/03/04 加筆修正
2017/08/07 書き直し