流れ行くもの
某ショートショート用に書いといたやつからサルベージ。
悪魔を救ってやらなくては。
年若い天使は、義憤に燃えてそう誓った。下界を映す水晶で出来た鏡には、道に転がる悪魔の骸が映っている。
『やめとけよ、クルクス』
立ち上がる天使の足元で、ペットの猫が声を上げた。
「何でだ、ノエル! 確かに悪魔は忌むべき奴だ、それは確かだ! だからって、こんな……こんな……っ!!」
天使が声をつまらせて、眉をひそめて涙ぐむ。猫はからから笑ってみせて、馬鹿にした顔で主人を見上げた。
『はは、おきれいな天使には、どうやら刺激が強すぎたらしい! まあそう悩むな、ただの流行だ。本物の悪魔の羽根をつけるのが、今の人間界の流行、ただそれだけの事だろう?』
黒猫が歌うそぶりで言葉をつむぐ。自分の猫をにらみつけ、天使は正論を口にした。
「ただの流行で何かを屠る、その対象がたとえ忌まわしい悪魔とて、とうてい許せる事ではない!!」
激した天使が、鏡の面を手で示す。
「道に転がる悪魔の骸……生血のしたたる羽根をつけて、街をのし歩く人間たち……悪魔よりも悪魔的だ……!」
嘆く主人に首をかしげて、ノエルが鼻から息を吐く。この黒猫は、クルクスから抽出した暗黒面に、神が命を与えたものだ。なので純朴な主人とは、どうにもこうにも馬が合わない。
『しかし、悪魔も弱いよな。食いものにするべき人間に、羽根を狩られて屠られるとは』
きっと自分をにらむ天使に、黒猫が鼻をひくひくさせる。
『分かっているよ。あいつら人間が強すぎるんだ。あいつらの始祖は、禁断の知恵の実を食ってエデンを追われた時に、ついでに力の実まで盗んでいきやがったからな』
ノエルが軽く顔を洗い、首をかしげて主人を見上げる。
『まあ、力の実は知恵の実と違い、表立って禁じられていた訳ではないが』
誰でも知っている神話を聞かされ、クルクスが悔しそうに赤いくちびるを噛みしめる。ノエルはいたずらにのどを鳴らし、可愛い舌を出してみせた。
『今は神様はいざ知らず、悪魔も天使もあいつらの力にゃ、敵いやしない。ま、そんな現状すらも、全ては全能の神様の、お組みなさった脚本だろうが。どんなラストが訪れるのか、脇役の俺は一向に知りゃあしないがね』
天使はとうとう泣き出した。子供さながらに泣きながら、むきになって言いつのる。
「力では、とうていかなわなくとも! 説得する事なら出来る!」
『説得? は! やめとけ、やめとけ、あいつらは悪魔より愚かなんだから。話しても無駄、放っとけばすぐに流行もすたる』
「すたるまでには、あとどれだけの血が流れる? あとどれだけの羽根がいる? あとどれだけ、悪魔が死なねばならんのだ!?」
叫んだ天使が、自分の館を飛び出した。下界へ直接殴りこんでいくつもりらしい。ノエルは冷めた目で、主人の背中を見送った。
クルクスが下界へ降り立つまでに、月が改まっていた。
天使は羽根を休める間もなく、ぐるりと周囲を見渡した。折り良く道の向こうから、一人の女性が歩いてくる。女性は小さなバックを持ち、雑誌を見ながら歩いてくる。
(わたしには、下界の言葉は読めないが……洒落た格好の少女の表紙、あれはファッション雑誌だろうな)
背中に悪魔の羽根はないが、この人もおそらく流行に溺れるくちだろう。
「あの、そこのお嬢様!」
まずこの人から説得しようと、天使は声を張り上げた。顔を上げた女性は、無言で天使に襲いかかり、引き倒し、その上に馬乗りになった。女性は自分のバックから、おもちゃのような果物ナイフを取り出した。訳が分からぬクルクスは、戸惑った声で問いかけた。
「何が……? 一体、何なのですか……? どうしてこんな、ひどい事を……!!」
「この本によると、今月からの流行はね」
流行に憑かれた生き物は、冷ややかな熱をはらんだ声音で言った。
「本物の、天使の羽根をつける事なの」
羽根が……。
天使は衝撃のあまり朦朧と、くちびるだけで呟いた。女性の背に、あるはずもない悪魔の羽根が見えたのだ。
女性は薄っすら笑みを浮かべて、細い右手を振りかぶる。十字型の果物ナイフが、光を弾いて銀のようにきらめいた。
(了)




