道示す数、見つけた
未だ春風の予感がない三月の上旬に、僕は緩やかな坂を埋める黒点の一部を為していた。波に体を委ね灰色の地面を漂う僕の上を、仲間外れにされた桜の花片が行く宛ても無くさ迷う。
人生が入り組んだ迷路なら、受験はまさしくこの坂だ。先をゆく人の後を置いていかれないように着いて行くこの道に、思考は要らない。
「神咲はさ。きっと受かってるよ」
雑踏の隙間から、斎藤の声が掛かる。実のところその声は自分の脳裏から掛かっていることを僕は分かっていたが、それでもそれを喜びと憂いの混じる鮮やかな雰囲気のせいにしたかった。
斎藤はきっとこの場に居ないだろう。秋が枯れて冬が全てを覆い隠した日に僕の前から姿を消したきり、志望校を共にした親友とは会っていない。彼はもう冬の彼方に埋もれ去ってしまったのだ。
「良いよな頭のいい奴は。適当にやったって成功するんだから」
だというのにマフラーの隙間を縫って吹く声は幾度となくやってくる。それは夢見がちな僕らが未来に送りそびれ、歪んで届いた鈍色の夢の残骸だった。
眼前に広がる白の大判紙に無数の黒数字が並ぶ。遠くで響く歓喜の声に色付かれて、僕の目には数字たちがカラフルに見えた。その中で色を失ったものが一人。……それが誰であるか、確かめる必要もない。分不相応な出で立ちは紙の上でも同じだった。
「別に、望んでそうなったわけじゃないのに」
誰に聞かせる訳でもなく、僕はそう呟いていた。お前もそうなんだろう? 自棄気味の自問は突然の肩から伝わった衝撃によって、口に出されることはなく脳内だけに留められた。
「……あ、すいませんっ」
言葉を返す暇はなかった。俯いたままの少女は口を頑なに両手で包んで、そのまま門の方向へ走り去ってしまう。きっと彼女は憂いの方だ。後ろで斎藤が「贅沢者。彼女を見てまだそんなことを言うのかよ」と僕を詰った。
恵みとは何を持ってそういうのか。格に合ってなお満たされない、空っぽな心を羨む彼らが無責任に見えて仕方ないその一方で、それは仕方のないことだと理由なく頷く自分がいた。
そんな僕を見かねたように、冷たい風が強く吹いた。摘まむように持った番号票が指をすり抜けて地面を這う。いっそこのまま拾わずに帰ろうか--逡巡する僕をよそに、それは一人の少女によって拾われた。
「これ、あなたのですか?」
「……残念ながらね」
「残念?」
口をついて出た皮肉に少女は首を傾げる。それからおずおずと「すみません」と謝った。きっと彼女の中では至極真っ当な勘違いがされていることだろう。
「いや、受かってはいるんだ」
「え? でも残念って……」
「その番号は、僕よりも相応しい人がいたんだよ」
「?」
疑問符を浮かべる彼女の透明な双眼が眩しい。その眩しさに眩んで、気付けば僕は口を開いていた。
「その番号は本当にこの学校へ通いたかった人が持つべきなんだ。僕のような理由もなく何と無くで受けた人間が持ったって仕方ない」
僕の言葉に彼女は心底驚いたようで、つぶらな瞳をさらに丸くし、そして少しの憤慨を滲ませた。
「そんな……。努力が認められた証じゃないですか。もっと自信持って下さい」
「僕の努力が認められて他の人の努力が認められないなんて、不平等じゃないか」
「それは……」
知り合って間もない少女が口ごもるのを見て、僕は少しばかりの優越感に浸った。しかしそれも束の間のこと。敗北感に徐々に不貞腐れる両目がキッと僕を睨んだ。
「そんなの、やってみなきゃ分かんないじゃないですか!」
「うわっ」
突如伸ばされた両手が僕の頬を摘まんで離さない。痛みよりも恥ずかしさで振り払おうとするも、意外に力があって拮抗してしまう。現実は小説よりも、とはよく言ったものだ。まさか出会ったばかりの少女に頬を摘ままれるとは!
「受かったんだから、そんな悲しそうにしては失礼ですよ。私たちはむしろ笑って歩かなきゃいけないんです!」
言いたいことを言ってすっきりしたのか、彼女は手を離して花開くように笑った。他の誰よりも鮮やかな笑顔に僕はばつが悪くなって顔を反らす。
「歩く道も決まってないのに、どうやって歩けと言うんだよ」
不満を隠さず放った言葉は、紛れもなく僕の本心である。目標なく友人と同じ志望校にした自分に、受かった先の未来などあるわけがない。付いていこうと決めた人は隣になく。途方にくれる迷子が先に見える影法師に置いていかれないように歩を進めた結果の僕だ。受験という一本道を失った今となっては、目の前にはただ漠然とした足の踏み場もない人生があるだけだった。
そう、結局のところ。僕は人生の指標が欲しかっただけに他ならない。その指標が無い今、宛もない航海の旅に放り出されたことを嘆いているだけなのだ。
「それをここで見つけていけばいいじゃないですか」
僕の本音を、少女はいとも簡単に払いのける。僕は少しムッとして「随分と簡単そうに言うじゃないか」と抗議した。少女はその通りと言わんばかりに微笑む。
「道は歩いた後に出来るものですよ。だから今は、小さな幸せを探していけばいいんです。振り返る頃にはきっと素敵な道がありますよ」
そう言って少女は僕の落とし物を広げた。
「一緒にここで探していきましょう。思い返して笑えるぐらいの、良いことを」
そのあっけらかんとした答えに、僕は思わず声を上げて笑った。釣られて彼女も笑いを上げる。
僕は再度色とりどりの大判紙に目を向けた。そこでは鈍色の数字が僅かに下地を覗かせている。
「これ、狙ってたわけ?」
「たまたまですよ」
苦笑混じりに問いかけると、少女はなんのことやらと肩をすくませた。これ以上聞くのも野暮というものだろう。僕は黙ってそれを見上げる。
「見つけました?」
「ああ。見つけた」
少女の言葉に僕は頷いた。僕たちの視線の先に煌めく11510。
それはきっと。これから続く途方もない迷路の指標となる魔法の数字であることだろう。
800字前後に短縮する前の文章です。
もったいないので上げてみました。
受験ってこの先続く人生を考えればやることが決まっているので、いざその道が終わったら受験生は多少なりとも戸惑うと思うんですよね。
そんな戸惑いを主人公に代弁して貰い、それを吹き飛ばす少女、という話がコンセプトです。
ちなみに少女の受験番号は01182(いいやつ)という裏設定がございますが、まぁ余談ということで。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。