2話
空港から事務所に着いて、自分の車に乗り込めたのは夜10時半。さっさと事務所を出るはずが、帰宅しようする社長につかまってしまった。
なんというタイミングの悪さ。
事務所の稼ぎ頭であるdulcis〈ドゥルキス〉の俺を、笑顔で労ってくれるのは嬉しいが、今は早く帰りたい。悪い人ではないのだが、とにかく話が長い。思い出すのは朝礼の校長先生だろうか。
見かねた葉山が間に入ってくれ、うまく取り持ってくれたスキに、逃げ出すことに成功した。
ハンズフリーで車内からアラタに連絡を入れる。
「社長につかまった、今から行く」
『おつかれさん。こっちは盛り上がってるよ。美咲ちゃんも楽しんでるから、心配せずに安全運転で来いよ』
今夜はアラタとケイタ以外のメンバーは不参加らしい。懇意にしているスタイリストとアラタの友人を含めて6名ほどの集まりだという。
そして、電話を切る前に、アラタが余計な一言を残した。
『あーーと、ケイタが美咲ちゃんをロックオンw』
電話が切れる音。
俺をからかって楽しんでいるだけだろう。そうだとは思っていても、つい強めにアクセルを踏んでしまったことは、言うまでもない。
こんなに格好悪い程に誰かを想うのは、どれくらいぶりだろうか。
◆◆◆
「ボク、美咲ちゃん好きになっちゃうかも」
個室のドアに手を掛けたとき、甘ったるい声が聞こえてきた。
アイドルだから、俺もライブのMCなどでは、ファンへ向けて、リップサービスというか、甘いセリフを言うことはある。
『ボク、みんなのことが大好きになっちゃった♡』
ケイタがよく言うセリフを思い出した。まさか、ライブでもなく、プライベートでそれを聞くことになるとはな。
思わず手に力が入り、バンッと、音を立ててしまった。
「コウキ!」
ケイタと美咲、2人の声がキレイにハモったことも、苛立ちを増長させる。仲良く並んで俺を見上げている。肩が触れあう程に近い距離だ。
苛立ちを収めるべく、大きく息を吐く。そして、美咲の手にある、名刺サイズの小さなカードに目を留める。
『みんなのケイタ♡いつでも連絡して 090-××××-××××』
こいつは、まだこんなくだらないカードを作っているのか!
「アラタ!」
挨拶もせずに、個室の奥にいたアラタへカードを投げるように渡す。アラタはさっと視線を滑らせると、チロリと俺を観ると、やれやれというポーズをした。
「あ!ちょっと、コウキ!」
途端に焦るケイタ。
「いい加減、美咲の隣からどけよ」
「痛!」
俺の長い足がケイタの脇腹を蹴りつける。
「ケイちゃーーん、こっちおいで」
カードをヒラヒラさせながら、アラタがケイタを手招きする。
あとはグループの最年長で、風紀委員のアラタに任せよう。週刊誌ネタには誰よりも気を付けている。まぁ、過去に痛い目を見た経験からだろう。
一方、ケイタは事務所に入ってすぐにdulcis〈ドゥルキス〉に加入し、あっという間に売れたので、色々と危機感がないのだ。まだ23才と若いせいもあるか。それに育ってきた家庭環境もあるのか。
とはいえ、俺の女を口説いたならば、お灸を据えてもらおう。
「……コウキのばーーか」
なんだと?聞こえたけど?睨み付けてやる。まぁいい。今はケイタに構っている場合じゃない。
美咲を見ると、トボトボとアラタの元へ向かうケイタを、心配そうに目で追っていた。
ケイタのいた席に座ると、コツンと、美咲の頭を小突く。
お前が見る相手はそっちじゃないだろう。本当は、すぐにでも抱きしめたいくらいなのを、まったく分かってないのだろう。
「美咲、何杯飲んだ?」
酒に強いことは知っているが、アラタとケイタの飲むペースは早い。場の空気はだいぶ出来上がっている。大丈夫だろうか?まだ、酔いつぶれるほど一緒に飲んだことはない。
「ん、美咲?」
1度も俺を直視しない。
「久しぶりに会って、最初のひとことがそれ?」
ツンと横を見たまま、そのままワイングラスを空にしてしまった。なんだ、やっぱりふて腐れていたのか。怒ったところもかわいい。
思わず頬が緩んでしまったので、美咲はさらに気を悪くしたようだ。グラスをぐいっと空にした。
「おかわり、ください!」
「お、美咲ちゃん、いいのみっぷりだね。コウキはワイン?ビール?」
「俺は車で来たから、ノンアルビールで。あと、美咲に水入れてやって。たぶん、ちょっと酔ってる」
「酔ってません!」
お、ようやく、ちゃんと俺を見たな。
「酔っているヤツは、大抵そう言うんだよ」
水飲み入ったグラスが手渡されると、そのまはま美咲の前に置く。本当は、口移しで飲ませてもいいんだけどな。
「ケイタに何を言われたか知らないけど、本気にしないように」
きょとんとしている。まったく鈍感なんだ。
今までも好意に気づいていないだけで、今まで何人かの男がフラれたのではないだろうか。
スタッフが俺のノンアルビールを運んで来る。グラスを受け取っている隙に、ケイタが美咲のワイングラスを満たした。まったく、素早いな。
「よし、コウキも来たところで、改めて、かんぱーーい」
アラタの声に、全員が続いた。