5.初夜
***
――数刻前。
竜王はティティアを抱えたまま、空を悠々と飛ぶ。山を越え、谷を越え、小さな湖と大森林を越えて、湖の側にある城へと向かう。城の上空に着き、そのまま広く突き出たバルコニーへと降り立った。
バルコニーに両脚が着き、ゆっくりと息を吐いて全身から魔力を抜いた。
骨が軋む音がする。竜の姿から人間の姿へと変化し、多少身長も小さくなった。足りなかった裾も、ちょうど良い長さになる。
「お帰りなさいませ……そちらの方は?」
執事が出迎えた。その後ろには2人の従僕も控えていた。
「ただいま、ウノ。彼女はティティアだ。新しい聖女で僕の妻だよ」
「え?」
ウノは目を瞬かせ、後ろの従僕達は目を見開いている。
「スピラレを呼んで」
「お待ち下さい……妻? 妻と言いましたか?」
「妻だ。求婚したら良い返事をくれた。イフロディの祝福も受けた。はぁ……なんて愛おしいんだ」
寝ているティティアの頭に頬ずりをする。すると「う……ん」と起きそうになってしまい、慌てて離れた。
「ベッドは整っているかい?」
「え……あっ、実は、ダニエラ様が全く片付けていなかったのです。荷造は皆無。全てそのままでして」
「ん? ああ……まぁ、そうだろうね」
「それで、新聖女様の部屋はまだ片付けている最中で――」
「あ、いやいや違う。僕のベッド。僕のベッドに寝かせる」
「え!? いや……え? ですが――」
「駄目なのか? 妻なのに?」
「いや……えーと……うーん…………お話があります。今後について」
***
「ふぇあ!?!? どちら様です!??!?!」
ティティアは飛び起きてベッドから落ちた。腰の痛みを我慢して、起き上がろうとすると、彼が手を差し伸べた。
「『どちら様』なんて酷いなぁ、と言いたい所だけど、この姿では会っていないから仕方がないね」
大混乱の頭を必死に落ち着かせ、あることに気付く。
(この声って――)
「竜王様……?」
恐る恐る問い掛けると、彼は柔らかな笑みを浮かべた。
「そうだよ」
ティティアは差し伸べられた手を取って立ち上がった。すると扉を叩く音が聞こえ、「失礼します」と1人の男と1人の女が入ってきた。
「ティティア、彼はウノ。ここの執事だ」
50代程の執事服を着た男を指差した。白髪混じりの黒髪に口髭を蓄え、顔や手足のいち部が鱗化している。
「その後ろの女性はスピラレ。君の侍女だよ」
今度は20代程の女性を紹介された。やはり彼女も身体のいち部が鱗化しており、ウノよりも鱗の範囲が広かった。エプロンはせずベルベットのワンピースを着ている。
(2人は竜人族なのね)
彼らの姿形は人間とほぼ同じだが、皮膚がいち部鱗化しており、瞳孔も縦に細長い。竜王城の近くの村にしかおらず、人間の前に姿を見せることはほぼない。
(初めて見た……いえ、それよりも――)
「侍女?」
「そう」
(初耳ですが!?)
竜王城は辛く苦しい生活が待っている、と聞いている。それなのに侍女がつくことに驚きを隠せなかった。
竜王城での生活はほぼ語られることはない。神聖な場所の為、口外禁止なのだ。言っていい情報は決まっている。
聖女になると侍女がつく、なんてことは言われていなかった。
「驚いた? 実は良い暮らしが出来るんだよ聖女は。でもそれを言ってしまうと、候補者が殺到してしまうんだ。700年前が本当に酷くてね。聖女が殺害される、なんて事件が起こってしまって。だから、それらに関する書物を全部焼いて、ここでの生活を口外禁止にしたんだ。辛くて苦しい生活らしい、と噂だけを流してね」
「な、なるほど……」
「特にティティアは聖女以上に、良い暮らしが出来るね」
「え? 何故ですか?」
「何故って、だって君は僕の妻だからね」
「つぅうまぁ!?」
(あの求婚本気だったの!? にしても、もう妻って気が早い……いやいや!! 違うって言わないと!!)
「あのっ、竜王様――」
「そうだ、僕の名前」
「え?」
「僕の名前はクラノス。だからもう『竜王様』と呼ばないように。許された人だけが呼べる名前だよ」
「番!? いやっ、あの竜王様――」
「名前で呼んで」
「違う、違うんです、そ、その妻、妻っていうのは、間違――」
「クラノス様、やはりティティア様は混乱されてます。人間とは違うことを説明した方が良いかと」
ウノが口を開く。紫色の瞳がこちらを見据える。
「そうか……ならウノ頼む」
「かしこまりました。ん゛んっ――ゴッホン!」
ウノはわざとらしい咳払いをした。
「ティティア様、クラノス様は神であり竜人族なのはご存知ですよね?」
「え……あっ、はい。それは知っています」
このことは聖女見習い期間に習う1つだった。
「竜人族と人間、色々と文化習慣が違います。その1つに婚姻もそうです」
「は、はぁ」
「人間は求婚後返事をし、婚約期間を得て、挙式を挙げ、神の前で誓い、書類を出すと夫婦になりますよね?」
「そう……ですね」
国や人によって違いはあれど、ここアールヴ連合王国ではだいたいその流れで夫婦となる。ウノがそう説明すると、竜王は「面倒だね」と呟いた。
「ですが竜人族は、求婚し了承の返事を得ればその場で夫婦となります」
「えぇ!?」
「なのでティティア様はもうクラノス様の配偶者なのです」
「……いや、ちょっおっ、まぁっ――」
「申し訳ありませんが、ここは竜王城です。郷に入っては郷に従って頂きたい。つきまして本日の夜が初夜となります」
「初夜!?!?」
「はい」
「初夜が今日!? 今日が初夜!?」
「御安心を。スピラレが全て用意いたします」
ウノがそう言うと、スピラレが1歩前に出た。
「ティティア様、私に全てお任せ下さい! 準備をしましょう! まず夕食を摂ります! それから湯浴みをし、寝室へと御案内します!」
どんどん話が進んでいく。
このままでは初夜まっしぐらである。
「あああ、あの、その、竜王様、私はですね――」
「ティティア、なんて悪い子なんだ」
竜王は起き上がり、ベッドから降りる。そしてティティアを抱き締めた。顔が真っ赤になる。心臓が高鳴っているのが分かる。
「リュりゅ、りゅうん、りゅ竜王様、私――」
「悪い子、本当に悪い子だ」
「なぅなに、なんな何がでしょうか?」
「『竜王様』だなんて。クラノスと呼んでと言っているのに」
「で、ですが私は――」
「悪いお口は塞がないと……ね?」
頬に手を添えられ、顔面国宝の顔が近付いてくる。
(ひいっやあーーー!)
「ク、クラッ、クラノス様! 言います! 言いますから!」
心臓がはち切れそうだ。
「おや、残念。まぁ後の楽しみにしておこう」
クラノスの親指がティティアの唇をなぞる。愛おしそうにゆっくりとなぞられ、全身がゾワゾワした。リッカルドに触れられた時とは全く違うゾワゾワだ。
「惚気もそこまでにして下さい」
「いいじゃないか、ウノ。こんな気持ちは久しぶりなんだ。楽しみたい」
「はぁ、言っておきますがクラノス様も支度がありますから」
「そうか。ならまた後でね、僕の宝物」
(僕の宝物!?)
ボンッと頭から煙が噴き出しそうだった。妻ということは否定したいが、それとは別にドキドキした気持ちが湧いているのも分かる。
クラノスは歩き出し、ウノも歩き出す。
「ティティア様も行きますよ!」
スピラレが移動するように促すが、ティティアは動かなかった。
「でも、私……妻では……」
スピラレは動かないティティアの目の前に移動すると、腰を掴んだ。
「え?」
するといきなり持ち上げ、スピラレに担ぎ上げられた。
「きゃあ!? 何をするんです!?!?」
スピラレは特に筋肉質には見えない。だが何の苦もなくひょいっと持ち上げられ、そのまま彼女は歩き出した。竜人は人間よりも身体面で優れている。人間1人は簡単に持ち上げられるのだろう。
「先程言いましたようにお食事を摂りますよ! 体力いりますもんね! クラノス様とは別々です! 本来花嫁は求婚の返事をした後は夜まで会えないんですよ! それなのにクラノス様は一緒に寝ると聞かなくて……あ、ちゃんと湯浴みの準備もしていますよ!」
スピラレはどんどん歩く。降ろしてもらおうと少し動くと「動かないで下さい!」と怒られてしまった。
「怪我でもしたらどうするんです!」
「でも歩けます!」
「そんなことは今日はしないで下さい! 初夜なんですから!」
「いや、あの、その初夜なんですけど――」
「あ! そういえば人間と竜人。交尾も違いますからね!」
「こうっ!? はいぃ!?」
「人間は数時間程で終わると本に書いてありました! 数時間もないとも。人間の男は淡白なのですか? まぁでも竜人は違いますから! 数時間ではなく1日中ですからね!」
「……え? それは……それはちょっと大袈裟に言ってるんですよね?」
「違います! 今日の夜から明日の夜です!」
「今日の夜から明日の夜!?」
「竜人によってはもっとかかることもありますよ!」
「もっとかかることも!?!?」
「相手はクラノス様ですからね……3日3晩……7日7晩の可能性も……なのでなるべく体力は使わないで下さい! ただでさえ人間は体力が無いんですから! あっ! あと女性は仰向けではなく後ろ向きが普通です!」
「…………………………何が?? 何がです!?」
「ちょっと! もう動かないで下さいよ!」
逃げようにも動けば怒られてしまう。話しかければ何故か違う話題にされてしまうのだった。
この世界の1刻は1時間程です。