番外編 ダニエラ
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少し前の話――。
夜、カーネの刻――。
カストラ牢獄――。
冷たく暗い牢獄で身を縮めて叫び声を上げた。
全身に百足が這い、齧られ食べられる幻覚魔法から目が覚めた。大きく息を吸い込み、思いっきり吐いた。全身が濡れているのは汗のせいだ。冷や汗が止まらない。
(何でこんな目に……そばに居たかっただけなのに……)
涙を流しすぎたせいて目が腫れ、綺麗で自慢の髪は艶を失い乱れていた。
先程の百足が這い回る感覚と齧られた感覚が、全身にまだ残っている。幻覚魔法だというのに本当に起こっていることのようで痛みすら感じた。
クラノスがかけた死を見せる幻覚魔法は、1度終われば少しの間は現実に戻れる。
百足に齧られた感覚のある頬に触れる。傷は無いがきめ細やかなふっくらと柔らかい頬は、痩せこけ皺が増えザラりとした感覚が手に残った。
「もう嫌だもう嫌だ……なんでどうして……私が聖女なのに……あの女のせい……あの女が居なければ……」
右手親指の爪をギリギリと噛んだ。もう爪もボロボロだった。
「聖女ダニエラ、助けに来ました」
「――え?」
扉の向こうから声が聞こえた。見れば扉に付いた小窓が開き、そこから緑色の目をした男が此方を見ているのが分かった。
(助けに……? この人誰かしら。初めて見る顔だわ……)
端正な顔立ちをしており、正直嫌いでは無い。寧ろ好みな方だ。
「もしかして脱出の計画を聞いていませんか?」
「……ええ、なにも」
「では行き違いがあったようです。ヴィットリア公爵が手配を」
「……そう」
ボサボサの髪を手櫛で整え、好みの男の瞳に少しでもまともに見えるように身なりを整えた。そして扉の前まで移動し、小窓に近付いて男の顔をじっと見た。
ガシャッと錠前を外す音がした。扉か開くとローブを着た男が3人立っていた。1人しかいないと思っていた為、3人いることに驚いたがそのまま牢獄を出た。
「遅くなりましたね。それにしても何故そんなに叫ぶのです?」
「クラノス様に幻覚魔法を掛けられたの。私が死ぬ幻覚をね。何度も、何度も、何度も。何も悪いことなんてしてないのに。酷い話しよ」
その時だった。今度は壁の隙間から蛇が現れた。その蛇は大蛇となり、腹に纏わりつき身体を締め上げた。
「いイイぃぃぃぃギヤァァァァ嫌ァァァあああぁぁぁ!!!!!!!!!!!!」
蛇の締め上げる力は強く、体が腹から真っ二つに分かれた。腹部と腰に痛みが走り、しばらくすると現実に戻った。呼吸は荒く心臓の音がうるさい。腹部が繋がっていることを触って確認した。
「なるほど。今、死の幻覚を見たのですね?」
ダニエラは涙を拭い、何度も頷いた。
「もう辛くて辛くて。これが何日も……痛みもあるし――」
「痛み?」
「ええ、そうよ」
痛みのある腹部を右手で擦る。蛇に締めあげられ真っ二つにされた場所だ。
「で、また時間が経つと幻覚を見ると?」
「そうだけど?」
「とても高度な幻覚魔法のようですね。五感を感じるだけでなく繰り返し見るようになっているとは……その幻覚は痛みを感じなくなると新しい幻覚を見るようです。幻覚を見ないようにするには、ナイフの様なもので手のひらなどを突つくといいですよ」
「……ふーん」
確かに痛みが引いた時に再び幻覚を見ているような気がする。だがナイフがない。
「でもそんなものないわ」
「入り口の看守に『風の精霊にナイフを貰うように言われた』とお伝え下さい」
「『風の精霊』?」
「そうです。そして『風の精霊に出るようにも言われた』とも。魔除けの香炉も貰うといいでしょう」
「ぷっ、ふふっ、貴方……自分を風の精霊だなんて言ってるの? おかしな人ね」
そう言って笑うと後ろの2人のがダニエラを睨み付けた。だがダニエラは目の前の緑の目の男しか視界に入っておらず気付かなかった。
「面白い人、愛人にしてあげてもいいわよ」
「え?」
「残念だけど夫はクラノス様なの。ごめんなさいね。でも光栄に思うべきよ。聖女の私が貴方みたいな顔が良いだけの底辺を相手にしてあげるって言ってるんだから」
緑の目の男の右後ろにいるひとりが、わざとらしい大きな咳払いをする。そしてイライラするように右足でトントンと床を叩いた。左後ろにいるもうひとりは、俯いて震えていた。
「聖女ダニエラ。ここを出たら私なんかよりもっと素敵な人が現れますから」
「あらあら、後悔しても知らないわよ」
そう言って踵を返して進んだ。だが5歩程歩いて振り返る。
「誰も私について来ないの? 普通誰か案内するものじゃないの?」
脱出計画を聞かされていない為、この先どうすればいいのか全く分からなかった。それなのに3人の誰も案内してくれそうにない。振り向いたのは後ろから足音が聞こえないからだ。
「なるべく1人で行動して頂きます。その方が目立ちませんので。聖女ダニエラはここを魔除けの香炉を持って出て行きます。カストラ牢獄を出て右に竜の像がありますよね? その竜が向いている方向に真っ直ぐ魔の森を入って頂きますと……その……湖があります。ある筈なので探して下さい。そこで待っていると馬車が来ますから、それに乗って下さい」
「ふーん」
「もし看守が何か言ってきたら『風の精霊の許可を得た』と必ずお伝え下さい」
「分かったわ」
どうやら看守とは話がついているらしい。きっとヴィットリア公爵が事前に金でも渡しているのだろう。
「気を付けて、聖女ダニエラ」
微笑しこちらに向かって手を振ってきた。
(なんて爽やかな笑顔なのかしら。後でこの男が誰なのかヴィットリア公爵に聞かないと……でもヴィットリア公爵って捕まらなかったのかしろ? のらりくらり言い訳して逃れた?)
そんな考え事をしながら歩くと、再び幻覚を見た。近くの松明の火が身体に燃え移る。
(あっ、熱い!!!! 嫌……このままじゃ――そうだ!!!!)
あの男は痛みを感じればいいと言うような事を言っていた。ダニエラは急いで壁に頭を打ち付けると、松明の炎と幻覚が消えた。
「ほ……本当だ……現実に痛みを感じればいいんだわ……」
額から流れる血を拭い、前に進んだ。すると、曲がり角で看守に出くわす。
「前聖女ダニエラ!? 何故ここに――」
「『前聖女』じゃないわ。今も聖女よ。それに、私は風の精霊に言われてここにいるのよ」
「……何?」
「聞こえなかった? 風の精霊。あのイケメンの。イケメンの風の精霊さんよ。風の精霊の許可を得たの。魔除けの香炉とナイフを頂戴」
ダニエラがそう言うと、看守は一瞬驚き考えていた。10秒程経つと「分かった」と言い、踵を返して廊下を進む。
「こっちだ」
言われた通り後を着いて行く。看守は近くにある部屋に入ると、鎖で吊り下げられた香炉を渡してきた。香炉からは煙が溢れ出し、香辛料のような香りがした。
「これだ。魔除けの香炉とナイフ」
御礼も言わずに受け取った。香炉を左手に持ち、右手にナイフを持った。軽く指先を切るとズキズキと痛んだ。
(この痛みが無くなりそうになったらまた傷つければいいの? はぁ……嫌になる……こんなに綺麗な身体に傷がついちゃう。あの小娘のせいだわ。)
ダニエラはそのままカストラ牢獄を出た。
「ふふっ、ふふふふふふふ」
感情が抑えきれず笑いが止まらない。
「やったー! 私は自由よー!」
扉についていた松明を手に取る。目の前には1本の道が見える。カストラ牢獄への1本道だ。だが今回はこの道は使わない。
(出て右……竜の向いている方向、真っ直ぐね)
言われた通り右にある竜の像の向いている方向に真っ直ぐと進む。目の前に広がる真っ暗な魔の森に一瞬躊躇したが、意を決してそのまま入った。
(大丈夫……このまま歩いて湖に行けばいいのよね)
暫く歩くと再び幻覚が見え始めたので、慌てて指の腹を切った。
(逃げてもこの幻覚と付き合っていかないといけないのは辛いわ……でもいつか解いてくれるはず……)
常に痛みを感じるよう、切った部分を爪で抉り続けた。
香炉からは香辛料のような匂いがし、煙が溢れていく。周りを照らすのは月明かりと松明の明かりのみで、暗く寂しい夜だ。時折変な鳴き声と足音がする。
気味が悪かった。
急いで森の奥へと進んだ。足はもうクタクタだった。歩いて1刻は優に超える。風が枯葉を揺らす度、内心ビクビクしていた。早く見つけて終わらせたい。
すると、水が跳ねるような音がした。慌ててそちらに向かうと湖があった。
(これだわ! ここで待てば馬車が来るのよね?)
近くにあった岩に座り、足元に魔除けの香炉を置いた。湖は月明かりが反射して綺麗だった。唯一嫌なのが森から聞こえる呻き声だ。
(馬車早く来てよ……)
冷たい風が全身を凍えさせ、身を縮める。だが馬車は来ない。あまりにも来ないので周りを必死に見渡した。すると、森の中から赤い目が6つ光り始めた。その目に驚き固まっていると、段々近付き月明かりの下に現れた。
(魔獣?)
現れたのは頭が3つある狼だった。ダラダラと口から涎が垂れ、こちらを見ながら近付いてる。
(また幻覚!? どうして!?)
指の傷に触れ、ズキズキとした痛みはある。だが魔獣は消えない。
(痛みが足りないの……?)
ダニエラはナイフをポケットから取り出し、手のひらを少し傷つけた。だがそれでも魔獣は消えなかった。
(まだ足りないの!?)
今度は意を決して手の平を手の甲までナイフが貫通するよう突き刺した。
「なんで……なんでェェエ!!」
魔獣は消える所か襲い掛かり、ダニエラの腕に噛み付いた。足元の魔除けの香炉からは、もう煙が溢れていなかった。
***
「あの女……よくもラファル侯爵を底辺だなんだと」
「本当に殺しそうでした。自分を抑えるのにいっぱいいっぱいで……」
護衛達はギリッと歯を食いしばりながら話した。
「まぁいいではないか。これでやっと静かになるのだから」
ラファル侯爵は去っていくダニエラの背中を見てそう答えた。ダニエラを逃したのはただうるさかったからだ。
「でもいいんですか? 血の誓約書を書かせなくて」
「どうせ死ぬ。魔の森で来ない馬車を待ち続けるのだから。魔除けの香炉が切れて魔獣に食べられて終わりだね。凶悪犯を収監する割にここの看守が少ないのは、魔の森に囲まれているからなのだろう? 脱獄不可のカストラ牢獄なんて言われてるけど、陸の孤島、誰も脱獄する意思がないだけだとか。怖いのは看守よりも魔の森の魔獣。だから看守は少なくていいだなんて、適当なアールヴ人らしい考え方だね。私には理解出来ない考え方だ」
ラファル侯爵が踵を返し歩き始めると、護衛達も歩き出した。石造りのカストラ牢獄にブーツの足音が響き、周りからはすすり泣く声がする。ダニエラの泣き叫ぶ声に比べれば圧倒的に小さい声で気にもならない。
廊下を歩き、階段に差し掛かる。この階段の上に目当ての囚人がいた。ラファル侯爵は微笑し、階段を上る。
「さて、本来の目的である彼に会いに行こうか。彼がただの愚か者か、それとも私を脅迫しようとした勇気ある愚か者か、分かる時がきたね」
ラファル侯爵が笑いながらそう言うと、護衛も笑い階段を上った。
明日の更新お休みです。




