33.閑話 好機の神
国王は上空で動く白い靄を見ていた。白い靄の中には竜王とティティアがいる。
そんな国王をリッカルドはギリギリと睨み付けた。
「お前は何も分かってない……私はあの邪竜から国民を解放したかった。なのに――」
「分かっていないのはお前だ、リッカルド。この国と我々の血筋が1000年以上も続いたのは誰のお陰だと思っている……」
国王は魂が出そうな程に大きく溜息を吐いた。
「お前の母、アリアンナはお前が王になって欲しいと心の底より望んでいた。だが病で床に伏せ、自身の最期を悟った時、お前が王となる姿が見えないのが心残りだと、悔しいと涙を流した。そして『リッカルドを立派な王にして下さい』そう言って息を引き取った。出来れば私はその声に応えたかった……」
悲しみの目でリッカルドを見つめた。
「これでも私はお前を愛していた。大事な……かけがえのない息子だと……」
国王は言葉に詰まる。目には涙を浮かべ「覚悟は出来ているのだろうな」と言葉を絞り出した。
「なん……で……」
リッカルドは立ち上がろうとするも、騎士に押さえつけられ前のめりに倒れた。
「ぬぁんで誰も分からない!!!! この国をより良くする為だった!!!! 私はカリスト――」
「連れて行け」
国王は冷たく冷静にそう言うと、騎士が無理やり立たせ連れて行く。その後ろから大神官も連行されて行く。リッカルドは引き摺られながらも喚いていた。
「私を処刑するのかエドガルド!!!! 神聖なる白銀の血が流れるはリョース人!!!! 不浄なる漆黒の血が流れるデック人の子が次期国王など他貴族達も黙っていないだろう!!!!」
リッカルドがそう大声で言うと、褐色肌の騎士は持っている剣を強く握った。リッカルドの騎士団にはリョース人しかいない。だがオルランドの騎士団にはリョース人もデック人もいた。
「父上……」
振り返ればオルランドが心配そうにこちらを見上げていた。しっかりしたように見えてまだ幼い所も多い。王位を渡すのはまだまだ先の方がいい。
自身の命がまだあることを神に感謝した。
**
あの日、ミーズガルズ王国の漁船に運良く助けられなければ、確実に死んでいた。
息も絶え絶えの自身を漁師は連れて帰り、家で手当てをした。数日経って回復はしたがその後が問題だった。
身分を証明する物を何も持っていないのだ。就寝前を襲われ、寝巻きに何の宝飾品も身に付けておらず、王族どころか貴族であることすら怪しい。ミーズガルズ語は得意なのでミーズガルズ語で説明したが、アールヴ連合王国の王だと言った所で、漁師は信じなかった。
だがどちらにせよ領主には報告をしなくてはいけないらしく、漁師は『スパゲッティまみれのおっさんを海で拾いました。自分はアールヴの王だと言ってるんですが、棺に入って海を漂ってたんで、頭おかしくなったんだと思います。悪い人ではないです、多分。可哀想なおっさんなんですけど、どうしましょう』と領主の使用人に報告していた。
だがそこからは上手く事が進み、領主と会うことになった。
漁師よりも領主の方がこの事態を何とかしてくれるだろうと考えていたので、これはかなり幸運だった。
邸宅の玄関で、黒髪にオールバックの騎士服を着た男が出迎えた。
『私の目を見て頂いても?』
騎士服の男は自身の目を見るよう指示してきた。
『名前と身分を』
『エドガルド・リオス・リュ・ウニヴェルソ。アールヴの王だ』
数秒瞬きもせずに相手の目を見ていると、相手は眉をひそめ首を傾げた後、身体検査をした。
漁師から借りたスボンにシャツという簡素な格好だが、それでも警戒心を解かなかった。騎士服の男は此方が何も持っていないと分かっても、訝しみ眉をひそめたままだ。
『此方へ』
書斎へと案内され、ライティングデスクに脚を組んで座る領主は、20代後半か30代前半くらいの男だった。灰がかった金色の髪に鮮やかな緑の目が印象的で、顔立ちも良く、人当たりが良さそうに見えた。
『貴方が自称アールヴの王だと言う、気の触れた男ですか?』
微笑みを浮かべて言う台詞は、こちらを小馬鹿にした台詞だった。腹はたったが何も言わずに肯定だけした。ここで怒った所で何も状況は進まない。むしろ、こちらが出て行くことになる。後ろを見れば先程の騎士が、何かあれば殺す、とばかりに睨み付けていた。失言があれば殺される可能性もある。
領主は品定めするように頭からつま先まで見た。
『ステファン、下がっていい』
扉前で控えていた騎士服の男に領主は言った。
『ですが、自身をそう思い込んだ精神異常者の可能性も――』
『例えそうだとしても害は無さそうだよ。それに、そう殺気を出されては彼も落ち着かないだろう。何より彼は私が招待した、私の客人なのだよ』
騎士服の男はまだ何か言いたそうだったが、無理矢理口を閉じた。だがまだ部屋を出て行かない。
『ステファン』
『ならバティスト卿を――』
『ステファン』
『……わかりました』
騎士服の男はしぶしぶ部屋を出て行った。
『すまない。彼は私の専属騎士でね。最近色々とあって気が立っているんだ。許してやってほしい』
そう言って『どうぞ、おかけ下さい』とソファに座るよう促した。
『フォルラン、彼に珈琲を』
そばにいた執事服を着た男――おそらく執事であろう男にそう言うと、執事はサイドテーブルに移動した。サイドテーブルには2つ絵柄の違うティーポットが置いてあった。1つは白い花の絵柄で、もう1つは花々の絵柄のポットだった。
そのうちの白い花の絵柄がついた陶器のポットから珈琲を入れ、目の前のテーブルに出した。
珈琲を飲む習慣はあまりない。アールヴ連合王国でよく飲むのはハーブティーだ。
喉は乾いていた為、仕方なくひと口飲むと飲み慣れない苦味に顔を歪めた。
『お嫌いですか?』
『……いや、飲み慣れない。いつもはハーブティーを飲む』
『ほぉ……良い答えですね』
なんの事かと眉をひそめると、今度は執事に『彼にハーブティーを』と命令した。そして花々の絵柄のポットからハーブティーを入れ、テーブルへと置いた。
『レモンバームがお嫌いでなければ良いですが』
領主はそう言って微笑をうかべた。
どうやらアールヴ人かどうかを少しばかり試していた様だ。
アールヴ人とミーズガルズ人で分かりやすく違うのは耳の形だった。アールヴ人の耳は先が尖っている。だがミーズガルズ人の耳は先が丸かった。
それを知らないあたり、あまり教養がある領主ではないのだろう。親の金で遊んでばかりだった領主の息子がそのまま領主になることは、アールヴ連合王国にもある。
この領主に助けを求めるのは難しいかもしれない、とハーブティーをひと口飲んで、ひと息吐いた。
『ではまず、棺に入って海を漂っていた理由を教えて下さい』
ゆっくりと全てを話し、領主は話を遮ることなく、ただ静かに聞いていた。話が終わると領主は椅子の背もたれにもたれ、『うーん』と考え込んだ。
『なるほど。妄想か本当の話か……あっ、そうだ忘れていた。フォルラン、あれを』
すると、執事がこちらの目の前でいきなりロングパスタを折った。『何をするのか!!』と怒ると、半笑いで『アールヴ人っぽいね』と言われ、イラッとした。
興味や面白半分で会ったのだろう。
『知らないのならば教えるが、アールヴ人かどうかは耳を見れば分かる。コーヒーを飲ませたりパスタを折らなくていい!』
『ふふっ、そう怒らないで下さい。耳の先が尖っていても混血の可能性だってありますから』
混血は多いわけではないがいるにはいる。現にこの国であるミーズガルズ王国の国王も、アールヴ人との混血だ。文句をぐっと堪え飲み込んだ。
「まぁ、本当はパスタを折ると噂通り怒るのか興味があっただけですが」
再び文句を言おうと口を開いたが、領主が話したのはアールヴ語だった。ミーズガルズ語訛りも無くとても流暢なアールヴ語だったので驚き、口を閉じた。
領主の顔から、面白半分興味半分の笑みが消える。口角だけを上げ、視線は真剣そのものだった。
「先程の話をアールヴ語でお願いします」
流暢なアールヴ語を話す領主を見て、何故アールヴ人かどうかをこんなにも疑われる理由が分かった。こちらがアールヴ語訛りのないミーズガルズ語を話したからだ。
諸外国の言語は幼い頃から教育される。相手に分かりやすいよう初めにミーズガルズ語を話したことが仇となった。
そしてもう一度話した。
「ふむ。貴方は貴族であることは間違いないようですね。平民なら外国語など話せて挨拶くらいなものです」
領主は引き出しから便箋を取り出した。
「願いなら何でも聞こう。だから私をアールヴへ連れて行って欲しい」
「このままアールヴへ送り届けても、その話が本当なら捕まりますよ」
「信じるのか? 私が王だと」
「ステファンが――あ、先程の私の護衛です。彼が連れて来た時点で信じてはいました。それに、私が皮肉を言っても、状況判断して怒ることはなかった……パスタは怒りましたけど。まぁ、でも立ち姿も座る姿も平民と違う。アールヴの国王が行方不明だと話しには聞いていますし……ですが確証が欲しいところ」
「確証? だが今の私には何も無い」
「貴方が国王がどうかを知る人物に会ってもらいます」
「……この国の王か? 会ったのはだいぶ昔だぞ」
「いえいえ、違います。国王陛下とはいえ、頻繁に会いもしない他国の国王の顔をそう覚えてはいないでしょう。それに、王宮には工作員も多い。リッカルド殿下の息がかかった者がいないとは言いきれない。なので連れては行けません」
「……では誰だ?」
微笑みを浮かべていた領主は、よりニッコリと笑う。とても綺麗な笑顔と言える。綺麗に貼り付けた笑顔、といった表現がしっくりくる。
「実に運が良い」
そう言って羽根ペンにインクをつけると、手紙を書き出した。
「アールヴの三公爵は言えますか?」
試すような質問をしてきた。
「スペランツァ、ヴィットリア、コラッジョ」
「ではスペランツァ公爵の娘達全員の名前と、それぞれ知っていることを」
「……スペランツァ公爵の娘は1人だ。名前はマリーナ。マリーナ・イフロディ・リュ・スペランツァだった。今はミーズガルズのテュルビュランス伯爵家に――……あぁ……そうか……」
昨年にその婚姻は話題となった。スペランツァ公爵の愛娘マリーナは、アールヴ連合王国稀代の美女であり、結婚相手は誰になるのかと注目されていた人物だった。
言いよる相手は数しれず、だが本人たっての希望でミーズガルズ王国のテュルビュランス伯爵家に嫁いだのだ。
「マリーナ嬢なら分かるな……何故気付かなかったのか」
「貴方のような出来事があれば、誰だってそうなるでしょう。因みにテュルビュランス家について分かることは?」
領主はスラスラと羽根ペンを滑らしていく。
「分かること? ……医師の家系とか? 薬剤で財を成しているとか?」
「ではミーズガルズとアールヴでは貴族制度に少し違いがあるのをご存知ですか?」
「精霊称号の貴族のことか?」
「そうです」
先程からやはり少しずつ試しているようだ。
「火、土、水、風の称号をもつ貴族がいると。精霊称号をもつ貴族は一族と一括りにされ扱いが違い、本家と12の分家にも分かれていると。アールヴにはそんな貴族制度はない。なかなか興味深い制度だった」
「そうですね。アールヴもなかなか変わった国ですが、ミーズガルズもそちらからすれば変わっているでしょうね」
「確かに……だが、それの何か関係――……ああ。テュルビュランス家は、風の精霊称号を持つ貴族、ということを言えば正解か?」
テュルビュランス家はヴァンの貴族の12ある分家の1つで良い噂のない貴族だった。テュルビュランス家だけでなく、風の精霊称号を持つヴァンの貴族自体に良い噂が無い。特に本家であるラファル家は悪名高い。
スペランツァ公爵は愛娘がその伯爵家に嫁ぐことを反対していた。
「ははっ、そうですね。ではそのテュルビュランス伯爵に事情を話して来てもらいましょう」
だがここで思い出したことがある。マリーナはテュルビュランス伯爵の次期当主と結婚した。
この結婚はマリーナからの希望だった。
彼女がその男と出会ったのは、彼がアールヴ連合王国に留学した時だった。授業以外は根暗で研究室にこもり、薬草や魔鉱石にばかり興味を示す変人で、人との交流も無く、話し掛けても無視をするような男だった。
そして当時は次期当主だったが、今は当主だ。
「テュルビュランス伯爵は会うことが難しいと聞いた。信用出来る人物でないとそう簡単に会わないと。自称アールヴの王と言う気の触れた男と会って欲しいと言って会ってくれるものか?」
皮肉交じりに自虐を言うと、領主は笑った。
「どうやら良い噂が無いようですね。確かに人と会うことはあまり好きではありません。ですが、少しは良くなったのですよ。好機の神の話をして――」
「好機の神? 通り過ぎると捕まえられない神の話か?」
「そうです。前髪しかない裸の人物がこちらに向かって歩いてくる。様子を見ているとその人物が横を通り過ぎて行った。だが通り過ぎた後に、それが好機の神だと気付いたが、後ろ髪が無いため掴むことが出来ず、服も着ていない為、体が滑って捕まえることが出来なかった。仕方なく再び好機の神が現れるのを待ったが、二度と現れることはなかった。という話ですよね?」
「アールヴの原初の神の1人だ。あまり人気は無いが」
「らしいですね。アールヴ人の貴族は名前に神の名前を入れるでしょう? 知れ渡る話が好機を逃した話のせいか……はたまた見た目のせいか、好機の神カロイの名が入った名前は少ないと聞きました」
「よく知っているな」
「初めの【頭の悪そうな領主】から印象は変わりました?」
「……だいぶ」
どうやら見透かされていたらしく、気まずくなり眉をひそめた。
「好機はその時にしか掴む事が出来ない。後からは捉えられないのです。怪しみ、様子を見ているうちに通り過ぎてしまう。何が誰が好機の神なのか分からないのです。なのでね、この話をしつつなるべく人と会う事が大事だと口酸っぱくして言いましたら最近なんとか少しは会うようになりました。そうは言いましても、流石に【自称アールヴの王】とは会わないでしょう……ですが、御安心を。私が言えば彼はすぐ馳せ参じますよ」
「……ん?」
訝しげに領主を見ると、領主は思い出したように羽根ペンを止め、視線を上げた。
「――これは失礼致しました。申し遅れましたが、私、ヴァンの貴族、本家当主を務めております――」
***
「もうよろしいですかな、陛下」
国王は振り返ると、ミーズガルズ人が3人現れた。手には姿隠しのブローチを持っている。1人は助けになってくれた領主と、2人はその領主の護衛だった。
「ああ……見苦しい所を見せた」
「とんでもございません。私と陛下の仲ではありませんか」
そう言って男は綺麗な笑顔を貼り付けた。
「ラファル侯爵――」
「エメリック、と呼んで頂いても構いませんよ」
微笑みながらその男は言う。
目の前にいるこの男こそが手助けしてくれた領主、エメリック・ヴァン・ラファルだった。
「それは遠慮しよう」
「そうですか。残念です」
そう言うとラファル侯爵は鼻で息を漏らした。
「ラファル侯爵、君には感謝している。だが人身売買については――」
「『人身売買』? 何の話でしょう? 我々は大神官から、誰からも貰われなかった可哀想な孤児達を引き取っていただけですよ?」
ラファル侯爵が微笑んでそう言うと、オルランドとスペランツァ公爵が睨み付けた。2人から睨みつけられても、ラファル侯爵は笑顔を崩さなかった。
「……そうであったな」
(助けられたのが、この男でなければ……)
自身をミーズガルズ王国で匿い、助けてくれたこの男は、大神官の人身売買の相手だった。
オルランドとスペランツァ公爵が捜していた憎き相手だったのである。
だが助けて貰った以上、目を瞑らざるを得なくなった。
ある日「アールヴに行きましょう」と言われ、ラファル侯爵の所有するガレオン船に共に乗り帰国した。すると、待っていたのはアチェロ神官長とオルランドの騎士団だったのだ。
互いに何故ここに居るのかと混乱している横で、いつも通りラファル侯爵は笑顔だった。
『貴方達の国王陛下を送り届けに来ました。お出迎えご苦労様です』
ラファル侯爵は今日この時何が起こるのか分かっていたようだった。その後、オルランドとスペランツァ公爵の逃亡を手助けし、匿ってくれた。
オルランド派の貴族達は、全員リッカルドに見張られていた為、仕方なく助けを借りたのだ。
彼の所有する諜報機関が余程優秀なのだろう。ラファル侯爵にとって、上手いこと事が進んだ。
「私達の願いを叶えて下さる話も忘れずに。流石にあの話に目を瞑るだけでは割に合いませんので」
「分かっている。そこの者、彼らを案内してやってくれ」
近くにいた騎士がラファル侯爵を案内する。その背中を見て、肩を落とした。
「あんな男の手を借りなくてはならかったなんて……父上、僕は悔しくて仕方ありません」
オルランドは悔しそうに涙を流す。
違う男に助けられたのならどれだけ良かったのだろう。だがあの男でなければ助かることは無かったと思う場面も多い。
あの日あの時あの場では、好機の神はあの男だった。
だが好機の神が善人とは限らない。
そして今後、好機の神が現れるとは限らない。
国王は俯く幼いオルランドを見た後、優しく抱き寄せた。




