29.愛する人
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「クラノス……」
リッカルドはギリッと歯を噛み締め、ティティアから離れると、扉の前まで下がった。
(あれが……クラノス様?)
古竜の姿のクラノスは、壊れた天井から覗き込む様にこちらを見て、半竜の姿へと戻ると右手に持っていたガウンの様な服を羽織った。
天井が崩れ、壁も1部が崩れ、外が見えた。
「迎えに来たよ、ティティア」
そう言って真の姿へと戻り、ティティアの横へクラノスは降り立った。
涙が溢れ出ると、クラノスの指先が目元に触れ、涙を拭う。
「大丈夫だから、もう泣かないで」
だが涙は止まらない。安堵の涙だった。
クラノスはティティアの手と口のスカーフを取った。
ティティアは立ち上がる。
「ひっく……ありがとうござ――」
クラノスの強い抱擁に言葉が詰まる。苦しくて、嬉しい抱擁だ。額に柔らかい感触を感じ、キスをされたと分かった。
「本当に……本当にごめんね……」
クラノスは離れると、ティティアをゆっくりと悲しみの目で見た。
「僕の宝になんてことを」
クラノスは怒りで震えている。その震える手でティティアの赤く腫れ上がった左頬と、痛々しい噛み跡がついた首筋に触れた。
「『僕の宝』? 僕の宝だと!? ふざけるな!! アストレアは私の物だ!! 盗ったのはお前だ!!」
「……リッカルド……いや、カリスト王子と呼ぶべきか?」
リッカルドの前世を知っていることに驚いたが、魂を見た事があるのだろう。
「君の前世が誰であろうと、どうでもいいと思っていたんだ。だが君には前世の記憶があるね。薄々思っていたが、まさか本当に記憶があるとは思わなかったよ。だがね、彼女はティティアで今世では僕の妻だ。手を出すなと忠告をしたはずだよ」
「はっ! 邪竜がよく言うよ。この1000年で随分と状況が変わったな。神と崇められるのがこんなにも世に定着するとは。それに、貴様が女に対してそんなにも情熱的だとは思わなかったよ。昔はもっとこう……奥手だったろう?」
ははッと笑い、小馬鹿にするようにリッカルドはクラノスを見る。その余裕そうな態度に、ティティアは違和感を抱いた。
クラノスはティティアから手を離し、リッカルドへと向き直った。
「竜の宝を盗んだ罪は重い。覚悟は出来ているんだろうね?」
そして右手を上げ、指を鳴らす準備をする。
「それはこっちの台詞だ! ここはトルリア城だぞ! そしてこの場所はなぁ――」
リッカルドは勝ち誇ったような顔をして、外を見た。
「竜撃槍が届くんだよ!!!!」
そう言って右手を振り上げた。
「放てーーーー!!!!」
リッカルドは大声を上げた。それとほぼ同時に轟音が聞こえ、残っていた壁も崩れ落ちる。
ティティアは何が起こったのか分からず、粉塵で目を閉じ、開いた時にはクラノスは古竜の姿になっていた。
「クラノ――ッ!」
言葉を失った。クラノスの身体には太い槍が7つ刺さっていたからだ。
「貴様なら庇ってくれると思ったよ」
リッカルドはニヤリと笑みを浮かべる。
クラノスは庇ったのだ。この槍がティティアに刺さらないよう、大きな盾が必要だった。
建物内で古竜に変身したことにより、天井も壁も全て崩れ落ち、建物は無い。そのせいで外がよく見えた。城壁の上にある据え置き式の大型弩砲が全て此方を向いている。
更には騎士団が城壁から現れ、建物を囲んだ。
「ダニエラが失敗したら、貴様を竜撃槍で攻撃する予定だった。こんな所じゃ失敗するかもと思っていたが、先程ご丁寧にも天井を壊してくれたから、まぁ見えやすかっただろうよ」
リッカルドの高笑いが響く。クラノスはゴボッと血を吐き出した。
「クラノス様!!」
あまりの血の多さに、ティティアの頭の中は真っ白になった。
「はぁー……全く……帰りのことを考えて、さっきはわざわざ服を脱いで変身したのに……結局服が無くなった」
クラノスは口で身体に刺さる槍を抜く。その度に傷口から血が噴き出した。
「ティティア、僕は大丈夫。それよりもここから逃げて欲しい」
「ですが――」
「ほら、よく見て」
ハッとしてクラノスの傷を見てみると、噴き出していた血が止まりみるみると治っていく。
「ふっ……くくっ……」
それを見たリッカルドは堪えるように笑う。その笑い声が不快で仕方がない。
「いやいや、本当に魔法が得意だな」
こちらを見てニヤニヤと笑う。
「クラノス。竜撃槍は痛いだろう。そう強がるな」
「何の話だ」
「私と貴様の仲だろう。貴様が私を知るように、私も貴様を知っている。人獣戦争では相手の嫌がることは何か弱点は何か、互いに探り合った仲ではないか」
クラノスはティティアを見遣る。
「何の話か――」
「久々の竜嫌香の匂いはどうだった? 作り方が載った本がこの世に存在していなくて驚いたよ。だがあれは私が開発したものだ」
「……よく覚えていたね」
「私にとっては昨日のことのように覚えている。随分と文献を改竄したんだな。ありとあらゆる事が違うぞ。いつから魔法は何でも使えるようになったんだ。本当は幻覚魔法しか使えないくせに」
そう小馬鹿にする様にリッカルドは言う。
「え……?」
ティティアは目を開いた。神殿では『魔法に長けた竜王から魔法を習う』と教わる。
「クラノス様……先程ご自身に施した治療魔法は――」
「幻術だよ、ティティア。その男は幻術で怪我を治したように見せただけだ」
ティティアはそっとクラノスに触れる。魔眼を発動すると灰色靄が見えた。
「クラノス様……これは……?」
クラノスは大きくゆっくりと溜息を吐いた。すると、先程塞いだ竜撃槍の傷痕が現れ、血が流れ出した。床には血溜まりが出来ていた。
(治さないと!)
「ち、治療――」
「大丈夫」
「ですがっ――」
クラノスは大きな顔をぐるりと動かし、ティティアの横にピッタリと近付けた。
「それよりも城に多くの怪我人がいる。その子達の為に君の魔力を取っておいて欲しい」
リッカルドには聞こえない程の小声で言うと、再びリッカルドを睨み付ける。
リッカルドはふんっと鼻で笑う。
「何を話しているのか知らないが、もうクラノスに勝ち目は無い。こっちにおいで、私の子うさぎ。来るのならそいつを助けてやらんでもない。君の事も丁寧に骨の髄まで愛してやろう」
リッカルドはこちらに手を差し伸べた。
「絶対に嫌です」
「そうか。残念だが服従の首飾りを君に贈ることになりそうだな」
「……服従の首飾り?」
「そうだ。君の友人が着けていた物だ。贈った者の言うことをなんでも聞く。とても便利な道具だ。そのお陰で君の友人は私の言う通り竜王城に混乱をもたらした。素晴らしい働きをしてくれた」
「……なんてことを」
「首飾りは嫌か? 耳飾りも腕輪もある。ダニエラは何にでも呪いを込めていた。必死で笑うよなぁ……ああ、そうだ! 確か指輪もあったはずだ。結婚指輪として君にその指輪を贈ることにしよう。永遠の愛を私に誓ってもらう。ああ、いいな。そうしよう。夜の君が楽しみだ」
リッカルドは舌なめずりをし、クラノスはうなり声を上げて威嚇した。
「クラノス様、挑発に乗らないで下さい。落ち着いて」
「これが落ち着いていられるか? 僕の妻を――」
クラノスが1歩踏み出そうとすると、大量の血を口から吐き出した。
「――ッ!!」
「クラノス様!!」
脚を崩し倒れ込むクラノスを見て、リッカルドは高らかに笑った。




