2 見えないアヒル
フランシィ曰く、エルフ社会における「騎士」の称号は魔物狩りの尊称なのだそうだ。
この世界には凶悪強大な魔物がいて、騎士はそれを狩る。
偉いエルフがこれはと見込んだ者を騎士に任命し、武具を援助する。騎士は叙勲してくれた偉いエルフに忠誠を誓い、命をかけて名誉や尊敬を得る。
つまりエルフの騎士様は強きを挫き弱きを助ける、勇敢で清廉な御仁というワケだな。
でもさあ。
「騎士が貰えるのって名誉と尊敬だけ? 金は?」
「金貨の大袋で敬意は買えませんから」
俺が突っ込みを入れると、フランシィは鬱蒼とした大森林の木々を品定めしながら事も無げに答えた。お給料無しっすか? あるいは口にすると俺が怒るぐらいの薄給か。
フランシィは人が良い。高給取りのところを言いくるめられて、はした金で使い走りにさせられてるんじゃなかろうな。俺が飛ぶのをサボってこうして頭の上に留まって重石になっていても何も文句言わずにニコニコしているし、人が良すぎる。
透明な俺の顔なんて見えていないはずなのに、フランシィは不安を察して説明してくれる。
「私と妹たちは人間とのハーフとして生まれました。蔑まれても致し方ない出自ですから、騎士として武勲を上げて初めて人並みに評価されるのですよ。私は全て納得の上で騎士になっています」
「差別かよ。ハーフエルフってそんなこき下ろされる生まれか?」
「ルヒアは寛容ですね。しかし残念ながら大多数の人族はルヒアのようではありません」
「嫌な現実だな。でもわざわざ命賭けて騎士にならなくても、ロビー活動……有力者を説き伏せて懐柔して差別意識を無くしていくとかさ、そういう安全な方法もあったんじゃないか」
まあ単なる木の枝で岩を叩き割れる超絶技巧怪力フランシィにとって騎士は天職なのかも知れんが。そのフランシィですら俺が助けなけりゃあ死んでいたんだから、やっぱり騎士は命懸けだ。危ない。
フランシィは足元に張り出した木の根を避けて歩きながら慎重に言葉を選んだ。
「それについては父の影響ですね。実は私の父も騎士なのです。非常に奔放ですが、この世の誰よりも愛に溢れた偉大な『愛の騎士』。人間でありながらエルフの女王の叙勲を受けた英傑です」
「へぇ」
負傷したフランシィを森で看病している間に三人の異母妹(人魚と猫人と竜人)の話はよく聞いたが、父親の話は初めて聞く。
愛の騎士かぁ。ライトサイドって感じの二つ名だ。フランシィの善人ぶりは父譲りなのかな。
「ん? でも父親が騎士ならフランシィが頑張らなくても騎士の娘って事で差別とかはされないんじゃないか」
「ああそれは、ええと、なんと言えばいいのか。その、深すぎる愛がたびたび問題を起こすので」
「ふぅん? ちょっと会ってみたいな」
「……構いませんが、一つだけ確認を。ルヒアは雄ですよね?」
「そうだけど」
「なら大丈夫でしょう。流石に雄には手を出さないはずです」
「何の話だ? ……あ、ごめん分かっちまった。やっぱ会うの無しで」
歯切れの悪さがヒントになり、全ての情報が電撃的に繋がってしまった。
人間の父、種族の違う姉妹。エルフと父の間に生まれた長女のフランシィがハーフエルフという事は、つまり人魚と猫人と竜人の母はガチのやつだ。
ひえぇ、俺が雌だったらフランシィに鳥人の妹ができてしまうところだぜ。見境なしかよ。
ド変態が過ぎるぞ、フランシィのお父さん!
俺が愛の騎士の深淵のような愛に恐れ戦いていると、フランシィが突然立ち止まった。目を閉じ、エルフの血を引いた長い耳をぴくぴく動かし、森の葉擦れや風の音に集中する。
ややあって、フランシィは足元から枯れ枝を拾い緊張感を帯びさせ言った。
「見つけました」
「デカラビアか?」
「ええ、間違いありません。ルヒア、作戦通り目潰しをお願いできますか」
「任せろ」
「お願いします。あちらの方角へ世界樹の太枝三本ほどの位置にいます」
俺は頷き、森の上空へ飛び立った。
今から狩る魔物はデカラビアという邪眼の怪物だ。話を聞く限り、古森の魔物フンババを倒したその足で転戦するには強大すぎる敵である。
フランシィの説明によれば、デカラビアは自身を中心に世界樹の太枝二本分の範囲(たぶん半径3kmほど)を透視して見通し、目に入った敵対者を尽く睨み殺すのだという。
流石のフランシィでもそれほどの距離から弓矢で射殺すのは不可能。人類が持つ最大長射程攻撃の範囲外から睨み殺されるのではどうしようもない。
フランシィも討伐を命じられたもののお手上げで、邪眼のデカラビアを後回しにして古森のフンババに挑んだのだが、今は状況が違う。
なんてったって俺がいる。いずれ伝説になる「見えないアヒル」がいる。
目に入った敵を睨み殺すだぁ?
そんな能力、姿が見えなきゃ関係ねぇよなあ!
古来から魔眼対策には透明化、鏡、目潰しと相場が決まっている。ギリシャの英雄ペルセウスも使った由緒正しい戦法だ。
完璧に「見えない」この体は不便な事も多いが、邪眼のデカラビアに対しては特効だ。俺が言われたあたりの場所を旋回して姿を見つけ、急降下して熊ほどもある巨大な邪眼を突き潰すと、育ちすぎたヒトデのような歪な容貌の魔物「邪眼のデカラビア」は身の毛もよだつ悲鳴を上げた。
「よし、やった……!?」
作戦の成功を確信したのが悪かったのか、大木をなぎ倒し七転八倒して悶え苦しむデカラビアは予想外の行動に出た。
体の表面、外皮と内臓をひっくり返し、臓物を剥き出しにした醜悪な姿に変身したのだ。
噴き出していた紫の鮮血は止まり、真紅の禍々しい邪眼も復活する。五芒星を思わせる巨体も一回り大きくなり、空気が痺れたようにピリつく。
こいつやべぇーっ! 第二形態持ちかよ! こんな隠し玉は聞いてないぞ!
第一形態と違い、真紅の邪眼は仄暗い魔法の光を纏い明らかに強化されている。まずい。フランシィは目潰し成功を信じ、既にこちらへ突っ込んできている。俺の透明を見破られたら終わる……!
俺は蛇に睨まれたカエルのように竦み上がったが、デカラビアはギョロギョロ目玉を動かし忙しなく周囲を見回すだけで、目の前にいる見えないアヒルに気付いた様子がない。
あっ、なんか大丈夫そうっすね? 俺の「見えない」能力はデカラビアの邪眼をも完璧に欺くらしい。焦った~!
正面から戦えば手に負えない強敵だったのだろう。事実、コイツはフランシィの前に挑んだ名うての騎士達を十数人屠っているという。
だが、今回ばかりは相性が悪かった。再び目玉をつついて潰すと、今度こそ打つ手を無くしたデカラビアは到着したフランシィに木の枝でボコボコにされ、ほとんど何もできず討伐された。
デカラビアを討伐したフランシィは、一度エルフの里に帰還した。当然、俺も同行する。
フンババの首級とデカラビアの目玉の水晶体を討伐の証拠として持って帰ったフランシィは驚きを持って迎えられた。
エルフの里は東京スカイツリーの数倍デカく、枝一本の上に何十軒も巨大キノコをくり抜いて作った家が建っている。樹皮やキノコの柄に貼りついた地衣類が神秘的な光を発し、太陽光が枝葉に遮られていても充分明るい。
幻想的でいかにもファンタジーなエルフの里に俺は心躍ったが、エルフの女王に二体の魔物討伐を報告したフランシィは、仏頂面の女王に次の仕事を申し付けられ早々に里の外へ追い出された。
俺は愕然とし、次第に怒りがこみ上げる。あの女、フランシィに労いの言葉一つかけなかった。超強い魔物を二体倒してきた騎士への扱いじゃない。
「フランシィ。あんな奴の騎士なんてやめちまえ。従っていい事ないぞ。お前と俺なら騎士なんて肩書き無くてもいくらでも有名になれるさ」
俺は本気で言ったのだが、フランシィは世界樹の根本で自分を追い出したエルフの里がある太枝を見上げながら感じ入っていた。
「ルヒア、これは凄い事ですよ。里に入っても罵倒一つ、腐った実一つ飛んできませんでした。しかも女王様直々に勅令を下さいました。こんな事は初めてです」
「ええ……」
どうやらフランシィは本気で感動しているらしい。
今までフランシィがどんな扱いを受けて来たのか知らんが、これまでが酷すぎて無体な扱いが良く思えているようだ。
「ルヒア、この調子でいけば名誉回復もすぐですよ。そうしたら妹たちもきっと周りの人に親切にして貰えます」
「うーん。まあ、フランシィがそれでいいなら」
若葉のような美しい碧の目を希望に輝かせるフランシィに水を差すのも憚られて、俺は曖昧に同意した。
俺は伝説になるアヒル。フランシィが茨の道を行くというなら、それに着いていくのも良いだろう。堅実で楽な冒険をしたって伝説には語られないしな。
「貴方には苦労をかけますね。吟遊詩人に会ったら詩を作ってもらいましょう」
良い感じの枝を拾い、手にもって軽く振りながら、フランシィは朗らかに言って歩き出す。やれやれ。吟遊詩人が俺をフランシィの添え物にしなければいいんだけどな。
エルフの女王がフランシィに命じた三つ目の難題は、一角兎アル・ミラージの捕獲だった。
アル・ミラージは荒野に住むとされる幻の兎で、尻尾の毛を編んで作った御守りは所有者に幸運を授け、不運を退けるという。
アル・ミラージを殺してしまうと尻尾の毛は御守り一個分しか採れない。
しかし生け捕りにすれば、毛の生え代わりを待って何度でも御守りを作れる。だから必ず生かして捕獲するようにとのお達しだ。
ケチで不愛想な女王はアル・ミラージについてそれぐらいしか情報をくれなかった。後は自分で調べるしかない。
俺達は各地を流離い、情報を集めて回った。街の知識人に話を聞き、吟遊詩人に伝説を聞き、首都の大図書館で古書をあたったが、アル・ミラージとその幸運の御守りの話こそ散見されるものの居場所と捕らえ方はさっぱり分からない。フェニックスだのドラゴンだのフェアリーだの、別の魔法生物について詳しくなるばかりで、アル・ミラージの情報はなかなか手に入らない。
しかしそれでも諦めず旅を続けていると、南の荒野の入口にある小さな港で、白髭を生やしたヨボヨボの老人がとうとう有力な情報をくれた。
フランシィが酒場で安酒のお酌をすると、美人の接待に気を良くした老人は彼の祖父が話していたというアル・ミラージの伝説を語った。
「アル・ミラージは幻の兎じゃ。その体は目に見えるが存在せず、掴む事も、捕らえる事もできぬ」
「でも、貴方の御祖父様はアル・ミラージを捕まえたのですよね? 一体どうやって?」
「この世で最も強力な実体ある幻を捧げる事で、アル・ミラージはこの世に降り、捕らえられるようになる。幻を掴むためには、幻を手放さなければならぬ……」
「その幻とは?」
「幻のように儚く、時に明白であり、しかし確かに存在するものじゃ」
「なるほど、含蓄深いお言葉です。しかし浅学非才の身には少し難解なようです。具体的にはどのような?」
「愛じゃよ。愛はこの世で最も強力な幻じゃ。儂の祖父は若かりし頃、祖母を生贄に捧げアル・ミラージを手に入れた。明日にも海の魔物にこの港町を滅ぼされようかという最中の、苦渋の決断だったと聞いておる」
「そんな……」
あんまりな話にフランシィは絶句した。
俺も流石に隣のテーブルから骨付き肉をかすめ取るクチバシを止めてしまう。
アル・ミラージの御守りって、愛する者を生贄に捧げて手に入れる幸運のアーティファクトなんですか? ヤバすぎ。それ呪いのアイテムじゃない?
「祖父母の決断以来、この小さな港町は一度も魔物に襲われておらぬ。当時いくつかあった他の荒野の街は全て滅びたがね……む。喋り過ぎてしまったようじゃな。酷い顔をしておるぞ。酒の席でお嬢さんに話すような話ではなかったか、すまなんだ」
老人は謝り、酒代を置いてフランシィの肩を軽く叩き酒場を出て行った。
後に残されたフランシィは頭を抱え呻いた。
「なんという事でしょう。これでは事実上、アル・ミラージを捕獲する方法が無いではないですか」
「んー、いざとなったら俺が生贄になって伝説に、」
「絶対に、駄目、です」
「お、おう。じゃあ適当な人を……いや何でもない」
金を積むなり騙すなりして他の人にやらせればいい、というド外道アイデアはすぐに破棄した。なんてったって俺は伝説になるアヒル。悪名を広めるのはノーサンキューなのだ。
「まあ、なんだ。アル・ミラージを捕まえる方法があの老人の方法だけとは限らない。他に何か方法が無いか探してみよう。まだ諦めるには早すぎる」
「そ、そうですよね。ありがとうルヒア、その通りです。この荒野にアル・ミラージがいるのは間違いないようですし、しばらく滞在して調べてみましょう」
フランシィは気を取り直し、胸の前でぐっと両手を握り気合を入れた。
それからふた月ほど、俺達は港町を拠点に調査した。フランシィは港町にある全ての文字を読み、港町に住む全ての人に話を聞いたのではないだろうか。「愛」の有識者である父に見解を求めるため、ちょっと嫌そうに手紙を出しもしたが、父からの返信はすごく嫌そうな顔で破られ暖炉に焚べられた。
俺も荒野に出て空を飛び回り、一角獣アル・ミラージの存在を目で見て確かめた。こっそり忍び寄って捕まえようとしたのだが、幻のようにすり抜けてしまったので捕獲はできなかった。アル・ミラージに触った時に感じたのだが、どうやらこの幻の兎には死と愛情が欠けているらしい。「足りていない」のが直感的に分かるのだ。ただ、どうやら男女間の愛情ではなく、博愛とか親愛といった種類の愛情でも充分に強い想いならOKっぽい。この畜生の目の前で愛する者を死なせれば、必ず実体化するだろう。逆にそれ以外の方法では無理臭い。
と、なると、フランシィではいつまで経ってもこの兎は入手できない。あの愛すべきハーフエルフの女騎士は、愛する者を生贄にできる奴じゃない。
ふむ。
じゃあ、俺がやるしかないな。
俺は覚悟を決め、フランシィに内緒で海に飛び立った。
アル・ミラージの生贄の話を聞いてから考えていた事だが、畜生兎の求めに素直に応じる必要はない。何事にも抜け道はある。
死と引き換えにしないといけないなら、死んでみせよう。フランシィは間違いなく俺に親愛を抱いていてくれている。俺がフランシィの危機に命を投げ出しても惜しくないと思っているように。俺が生贄になって死ねばフランシィはアル・ミラージを捕獲できる。
だから死んでやろう。
そして生き返ればいい。
俺はフェニックスになるため、この二カ月水平線の向こうに見えていた白い煙の下……海底火山を目指した。
アル・ミラージの情報を探るために首都の図書館を訪れた時、俺はドラゴンとフェニックスの成り立ちを知った。
ドラゴンとフェニックスは通常の繁殖とは別の方法で増える魔法生物だ。
ドラゴンはいわゆる「登竜門」で増える。「鯉の滝上り」としても有名なアレだ。
あらゆる魚はドラゴンになる権利を持つ。浮遊大陸からなだれ落ちる大瀑布を独力で遡り登り切る偉業を成し遂げる事で、魚はドラゴンへ変じる。こうして成ったドラゴンは、卵から生まれた普通のドラゴンより強大だ。
そしてあらゆる鳥はフェニックスになる権利を持つ。海底火山から吹き上げる熱水を自力で突破し深海のマグマに飛び込む偉業を成し遂げる事で、鳥はフェニックスへ変じる。
俺が挑むのはこれだ。フェニックスは無限の命を持ち、死んでも灰の中から蘇る。アル・ミラージの生贄になっても死んだ後に蘇生すれば実質ノーリスク。単純明快な抜け道だ。
フェニックスになるという大望を抱き海底火山の上空に到着した俺は、たくさんの鳥に囲まれた。
小さな鳥もいれば、大きな鳥もいた。
色鮮やかな鳥もいれば、地味な鳥もいた。
海鳥もいれば、山鳥もいた。
しかし誰もがフェニックスを目指していた。今から俺も修行僧の一員になるのだ。
俺は奮い立ったが、白煙を上げる水面に翼を畳んで突っ込んでいった一羽のカモメが美味しそうに茹で上がって海面にプカプカ浮き上がるのを見てビビった。
そうだよな? 普通そうなるよな。沸騰する湯の中に鳥が潜っていって、深海のマグマまで突き進むって正気の沙汰じゃねぇ。こんなん自殺だよ、自殺!
でも過去にはこれをやり遂げた鳥がいる。首都にあるフェニックスの本を書いたのは、何を隠そうこの方法でフェニックスになった鳥その人(?)だ。だからフランシィに言えば絶対に止められる自殺行為ではあるけれど、勝ち目はある。めちゃくちゃ薄い勝ち目だけど。
考え無しに突っ込むとあのカモメのように茹で上がるのは明白だったので、まず俺は観察をした。
最初の数日で判明したのは、基礎技術だ。
空を飛ぶ鳥が水中を飛ぶように泳ぐためには、まず翼を小さくたたみ水の抵抗を減らすのが肝心だ。そうでなければ深くまで潜れない。
高度数百メートルまで上昇し、最低限の翼展開で態勢を維持しながら真っ逆さまに急降下するのは、技術や力というよりクソ度胸が物を言う荒技だ。
二つ目は泡の層を纏う事だ。
翼をたたみきりもみ回転しながら高速で水中に突入する事で、空気を攪拌して泡の層を纏う。この泡が断熱材の効果を発揮し、沸騰した海水の致死的な熱から身を守る。一歩間違えば無様な乱回転墜落になるこの技術を成立させるには極めて高度なバランス制御が必要だ。
この二つを完璧に使いこなして初めて俺達は海底火山に挑む挑戦権を得られる。
俺は頭の良い見えないアヒルなので、他の鳥のようにぶっつけ本番で海底火山に挑まず、まずは少し離れた冷たい水域で技術を磨いた。最初は上空から急降下して頭を水面に打ち付け気絶したりもしたが、何日も繰り返す内にコツを掴み、翼の操り方と泡の層の纏い方を完璧に習得した。
俺はひたすら海底火山への挑戦を繰り返した。
他の鳥に聞いたり、技術を見て盗むだけでなく、自分で少しでも深く潜る方法を考えたりもした。
羽に脂を塗ったり、足ヒレを上手く使ったり、水の抵抗に合った形になるようクチバシを研いだり。
毎日少しずつ、ほんの少しずつ、俺は水中を深く潜れるようになっていく。
ホカホカに茹で上がった他の鳥の肉を食らい、力をつけた。
夢破れ挑戦を諦めて故郷に帰っていく鳥を見送った。
新しくやってきた意気軒高な若鳥を歓迎した。
爆発する石をヒレ足で抱え持って飛び込むジェット噴射法を開発したりもした。
しっかり考え方法を選びはしたが、それでもたくさん、たくさん無茶をした。普通ならどこかで失敗して茹で鳥になるだろう。事実、俺の真似をして失敗し屍を晒した鳥は多い。俺も何度もあわやという時があったし、大火傷を負い水圧で失神し生死の境を彷徨ったりもした。
それでも。
それでも俺は、弛まぬ研鑽の果てに、辿り着いた。
暗い深海の底で赤く光る、マグマの光に、俺は辿り着いたのだ。
その日、海底火山が噴火した。
深海に来るはずのない鳥という異物を呑み込んだ海底火山が異物を吐き出すように噴火したのだ。
もうもうと噴煙を上げる海底火山、振り落ちる灰。俺はマグマに身を焼かれ一瞬にして灰になったが、その灰の中から新生した。
「ああ……おお! 俺はやったぞ! なったんだ、フェニックスに!」
俺は灰色の噴煙を突き破り青い空に羽ばたき、俺は勝利と栄光を叫んだ。燦々と輝く太陽の下で自分の美しい真紅の翼を見た。体を包む陽炎のような炎を見た。
俺は見えるようになっていた!
最早「見えないアヒル」ではない――――しかし透明になれないのを残念に思った瞬間、再び体は見えなくなった。どうやら透明化を自在に操れるようになったらしい。嬉しい誤算だ。
喜びのままに空を舞う。今までとは比較にならないほどのチカラが嘴の先から尾羽の先まで漲り、自分が怖くなるほどの全能感に酔いしれる。湧き上がる嬉しさを歌に変えれば、それは神秘的な旋律になり海底火山の噴火に巻き込まれた鳥や魚たちを癒した。
俺は最後に一声大きく鳴き、大きな翼で空を一打ちして港町へ飛んだ。フランシィが待つ港町へ。
俺が港町を発ってから二ヶ月が経っている。夏休みよりちょっと長いぐらいの時間だが、鳥にとってはけっこう長い。
野生の鳥の平均寿命はいいとこ二年。二年で死ぬ生き物にとっての二ヶ月は、人間の六、七年に相当する。そう考えれば長期に渡る過酷な試練だったと言えるだろう。
往路より数十倍は速いであろう超音速で帰路を飛びながら、一抹の不安に駆られる。
一度でも帰ったらフランシィに自殺行為を止められると思って、一度も帰らなかったし説明もしなかった。突然行方をくらまして二ヶ月も帰らなかったアホ鳥を彼女はきっと叱るだろう。いや怒るならまだいい、泣かれでもしたらお手上げだ。
そもそもフランシィは俺が俺だと分かってくれるだろうか? 不死鳥になった俺は元の面影が無い。「見えにくい」というアイデンティティは吹っ飛んだ。
「見えにくいアヒル」から「見えない白鳥(推定)」になって「すごくよく見える不死鳥」になるってワケが分からん。芋虫が蛹になり、蝶になるぐらいの豹変ぶりだ……いや、そう考えると豹変はしたけどワケは分かるな?
アホな事を考えているうちに俺は港町に到着した。砂塵と共に地面に舞い降りると、枝を構え野次馬を背後に庇い臨戦態勢で待ち構えていたフランシィが眉をひそめ、半信半疑で呟いた。
「ルヒア、なのですか……?」
「え!? よく分かったな!?」
姿だけではなく声すらも変わった俺の返事は何一つ信頼できないはずだったが、フランシィは枝を投げ出し駆け寄るや、ワッと泣いて俺を強く抱きしめた。
「ああ、ルヒア! 無事でよかった。心配したのですよ? 怪我は? 病気は? 誰かに酷い目に遭わされませんでしたか?」
「だ、大丈夫」
どこも異状は無いしむしろめちゃくちゃ元気だが、連絡も無く消息を絶ったし怒られるかな〜と思っていただけに、こう心配されると心がズキズキ痛む。
「ちょっと修行?みたいな事してただけだからなんとも無い。心配かけてごめんな。フランシィはちょっと細くなった? やつれたか?」
「いえ。ルヒアが大きくなったからそう感じるだけだと思いますよ。かなり大きくなりましたよね。成長期ですか?」
「フェニックスになったんだよ」
「フェニックス!? だから燃えているんですか?」
「フェニックスでも無いのに燃えてたら焼き鳥になっちゃうだろ」
俺の軽口にフランシィは笑ったが、何かに気付いて首を傾げた。
「あれ、そういえば鳥がフェニックスになる方法をどこかで読んだような。あれは確か……」
やべっ。
「フランシィ、髪型変えた?」
「誤魔化されませんよ。思い出しました。ルヒア、貴方、海底火山に挑みましたね? なんという事を! 死ななかったのは奇跡ですよ!」
「死ぬ思いして頑張ってフェニックスになったのに、フランシィは怒るのか……?」
フランシィは無茶を怒ったが、俺が彼女の人の良さにつけ込み罪悪感を揺さぶってみせるとすぐ言葉に詰まった。ちょっと卑怯だけど、温厚なフランシィが怒るとめちゃ怖いんだよ。許してくれ。
お互いちょっと気まずい思いでしばし見つめ合い、どちらからとも無くもう一度そっと抱きしめ合う。これで仲直りだ。
「ルヒアはふかふかであったかいですね。ぬくぬくです。でも、どうしてまたフェニックスに? やはり透明は嫌でしたか?」
「いや。俺の作戦を聞いてくれよ、これならアル・ミラージを実質犠牲無しで捕まえられる。まず前提としてだな、俺はフェニックスになったから死んでも復活する。このチカラを使って俺たち二人で荒野に行ってーーーー」
準備に恐ろしく苦労させられたが、いざアル・ミラージを捕まえる段になると簡単に終わった。
フランシィが俺の心臓を刺すのを了承するまでに丸三日の説得が必要だったが、結局はアル・ミラージを無事捕獲してエルフの里に帰還できた。
幻の幸運一角獣アル・ミラージを生かして持ち帰った枝と鳥の騎士フランシィをエルフたちは歓迎した。直接的にではなく、里に貴重な財をもたらした功労者への礼文や記念品を仮宿に届けさせる、という迂遠な形ではあったが、それでもフランシィは里に受け入れられた。
フランシィは喜んだし、俺としても悪く無い。
だってエルフは長生きだ。彼らが生きる限り、里にアル・ミラージをもたらしたフランシィとルヒアの名は語り継がれる事だろう。
なんてったって俺は伝説のフェニックス。そのうち「エルフ? ルヒアの伝説に出てくる種族の事?」って言われるぐらい有名になってやるぜ。
みてろよ!
樹歴5434年、枝と鳥の騎士フランシィ一角兎アル・ミラージ捕獲の命を受け出立す。
フランシィ、諸国歴訪し幻を調べる。
樹歴5435年、荒野の港町にてアル・ミラージと相見えるも、捕える事能わず。幻捕えんがためには愛する者死せるべし。フランシィ大いに苦悩す。
同年暮れ、片翼なる鳥、不死鳥ルヒアとなりて帰還す。不死鳥ルヒア人身御供となりて遂にアル・ミラージ手中にせり。
世界樹の里の女王エル・アル・ヨエル、献上を喜び、褒美を与う。
かくして世界樹の幹に枝と鳥の騎士フランシィの伝説刻まれたり。
――――『枝と鳥の騎士フランシィの伝説』二巻より抜粋