1 見えにくいアヒルの子
そこは理想のファンタジーな田舎だった。
四方を山に囲まれた盆地のほとんどは小麦畑で占められ、爽やかな風に穂を揺らす小麦畑の間を縫うようにして清らかな小川が流れている。ぽつぽつと建つ木造の民家は古びて苔むした赤瓦を乗せ、壁には蔦が這い、軒先で糸車を回す女性たちは春の陽気を浴びながら楽しげにお喋りをしている。
青く澄み渡った空には白い千切れ雲と――――悠々と飛ぶドラゴンが見える。よくよく見れば小麦畑を揺らしている風に紛れて手のひらサイズの風妖精が無邪気に笑っているし、村の広場で子供たちに剣を教えている傷だらけの老人は木剣で岩を真っ二つにしている。
教会の前で親に連れられ泣きべそをかいている子供に神父が祝詞を唱え優しく撫でれば、額の切り傷が見る間に治った。
ああ! のどかで、牧歌的で、でもすごくファンタジー!
平和そのものの風景は、俺の目にはもう大叙事詩の予兆にしか見えなかった。
この穏やかな田舎の村からどんな英雄譚が生まれるのだろう? 故郷を滅ぼされ魔王打倒を決意した勇者? 素晴らしい閃きで便利な商品を次々と世に送り出す大商人? 村長の息子が実は国王の隠し子で陰謀渦巻く政治劇に巻き込まれる展開も?
ただの田舎の村を見ているだけで妄想が膨らんでしまうのは、ファンタジーが夢幻だった現代日本出身者だからだろうか。
だがこの妄想は決して妄想では終わらない。俺の努力次第で、妄想は現実になる。
ファンタジー、それは無限の可能性。そりゃあ何の目的もなく努力もせずダラダラやって成功するほど甘い世界じゃあないだろうけど、自分の長所を見つけ、頭を捻り体を使って打ち込めばきっと道は開ける。
俺はそう信じているし、そうして生きて行こうと決意している。しょーもない事で頓死して、せっかくファンタジー世界に生まれ変わったんだから。
いざ行かん、ファンタジー! 俺は絶対この世界に名を轟かす大物になるぞ!
……でも一つ問題がある。
この夢と可能性に満ち溢れたファンタジー世界に生まれ変わった俺は、ただの見えにくいアヒルの子だ。
剣も握れない、銭も拾えない、血筋は由緒正しいただの鳥。
いやぁ、妄想は妄想のまま終わりそうですね。
俺は村の端の池の畔の草むらで、他十数羽の兄弟姉妹と共にピヨピヨと生まれた。
フワフワで黄色い羽毛の血を分けた家族と共にピヨピヨと母アヒルについて池を泳ぎ、虫を追いかけ回し、池をぐるりと囲む柵からは出られないし出てはいけないと教え込まれ、朝夕二回餌やりにやってくる娘さんがこの世界の支配者だと習った。
たぶん、母アヒルは母アヒルなりにこの世界の知識やら真理やらを教えてくれようとしたのだと思う。
しかし俺は柵の一角に蝶番付の扉を発見し出ようと思えばなんとかこの狭い庭から出られそうだと目星をつけていたし、餌やりの娘さんは母に言いつけられ渋々アヒルの世話係をしているのだという愚痴を盗み聞いていた。
俺は生後数日にして知った。母アヒルが思っているより、世界はずっと広いのだ。柵の外には広大な世界が待っているし、世界の支配者は餌やりの娘さんじゃない。
前世が人間だからか、俺は鳥語だけではなく人間の言葉も分かった。柵の隙間から外を覗き、通りすがりの村人の噂話に耳を澄ませるだけでこの田舎の村の様相はだいぶ分かったのは幸いだ。
俺は情報を元に計画を練った。アヒルに生まれてしまったのはこの際しょーがない。どんな生まれであろうとも、この世界で大物になるという我が野望にいささかの陰りも無し! アヒルにできる事をやるまでだ。
ある伝説によれば、あるガチョウは黄金の卵を産み、貧乏な農夫を大金持ちにしてのけたという。
また別の伝説によれば、あるキジは犬、猿と共に特異な生まれの高名な男に仕え、悪鬼羅刹巣食う鬼の島を攻略したという。
鳥でも伝説に名を残す大物になれるのだ。ガチョウやキジがやれたなら、アヒルにだってきっとできるさ。
決意を新たにアヒルの小さな脳みそをフル回転させる俺だが、この牧歌的な小さな箱庭の中ですら試練は立ちふさがる。
実は同じ日に生まれた兄弟姉妹の中で、俺だけが見えにくいアヒルの子だった。
鳥界のシンデレラ、偉大なる「醜いアヒルの子」先輩は「醜い」アヒルの子だった。結局先輩はアヒルの子ではなく、幼鳥の頃は醜くても大人になると美しいハクチョウだった、というオチなのだが、俺はそれと似て非なる状況になる。
俺はとにかく「見えにくい」。
自分では分からないのだが、俺の姿はどうやらカメレオンのように景色に溶け込んで見えるらしい。そこに何かいるのは分かる。輪郭もなんとなく分かる。でもどんな奴かは分からない。すごく怪しい。
兄弟姉妹はそんな「見えにくくて普通じゃない」俺をのけ者にして、馬鹿にして、暇さえあれば面白がってつつき回してきやがったのだが、一羽の兄アヒルだけは違った。
兄姉の中で一番先に卵を割ったその長兄の頭には、黄色い羽毛が逆立ってできた生まれつきの王冠のようなものがあった。
羽はふかふかのふわふわでよく水を弾き、それでいて艶やか。クチバシはすっと整い形が良い。どこにいても不思議と目を引き瞼に残る「見やすいアヒルの仔」。
アヒルの王となるべくして生まれたカリスマアヒルだ。
生後数日にしてアヒル飼育場の支配階級最上位に君臨した長兄はしばらく「見えにくい」俺の存在にすら気付いていなかったが、ある日草むらの陰で縮こまる俺に気付き、少し思案して言った。
「ふーむ。お前、随分と貧相だな。餌は食えているのか? 寝床は?」
「食えてない。寝床もない」
一体何をされるのかと戦々恐々としながら答えると、長兄は小さくもスラリと形の整った翼で飼育場の一画を指して言った。
「では、お前はあそこの木箱を寝床に使え。あの木箱は今朝置かれたばっかりで、まだ誰の寝床でもない。ここだけの話だが、餌やりの娘さんは毎朝一番美味しい餌をそこに入れる事にしたらしい」
「え」
「あの寝床と、明日の餌はお前の物だ。他のアヒルには手を出さんよう言いつけておこう」
長兄はニヤッと笑い、堂々と歩き去った。
俺はアヒルになって初めて受けた親切にまごついたが、少し遅れて感情が追いつく。どうやら俺は施しを受けたらしい。兄貴ぃ……! ありがとう!
アヒルも捨てたもんじゃないな。鳥畜生にも良い奴はいる。俺とか、長兄とか。
俺は感謝を込めてピヨと鳴き、長兄の後ろ姿に深々とお辞儀をした。
俺は風を通さないしっかりした作りの木箱に早速もぐりこみ、誰にも邪魔をされず、久しぶりに深い眠りに落ちていった。
そして朝、突如として頭上から降りそそぐ悪臭ただよう糞尿に跳び起きた。
「ぴよ!?」
「わあ!?」
俺がびっくりして木箱から飛び出すと、木箱に野菜くずや糞尿が混ざったものを入れていた餌やりの娘さんが驚いて飛び上がった。
木箱から転がり出て飼育場の真ん中の池に飛び込んだ俺を遠巻きに見ていたアヒル達から笑いの渦が巻き起こる。
「あっはっは、見ろ! やっぱり騙されたぞ! クソまみれだ!」
その笑いの中心には長兄の姿があった。
電撃的に全てを理解し、怒りが湧き上がる。
野郎、許せねぇ。糞尿をぶち込む堆肥箱だと知って俺を誘導しやがったな? 他のアヒルより頭一つ抜けた底意地の悪さだ。とんでもねぇよ。
いいよ、分かったよ。もう知らねぇ。精々この箱庭の中で弱い者虐めをして楽しんでいるがいいさ。どうせお前らは美味しく育って人間のご飯になるのだ。脱走するのは俺だけでいい。
俺は馬鹿笑いに忙しい未来の食肉共に背を向け、見えにくい体を精一杯生かしてコソコソと柵の隙間まで忍び足で行った。
痩せたアヒルの子一匹通るだけでギリギリの小さな穴に体をねじ込んだ俺は、少しの悪戦苦闘の後に脱走に成功する。飼育場の外の小道に出た俺は夢中で走り、村を抜けて鬱蒼とした深い森に分け入った。
ああ、軽やかな自由の足取り、ちょっと臭い自由の匂い。これでようやく自由だ!
森の木々は四六時中風にざわめき、軋み、思っていたより全然静かではなかった。走り疲れ興奮も収まり落ち着くと、林立する樹木の一本一本が威圧的に俺を見降ろしているような錯覚に襲われ足が竦んで止まった。
人間の子供が両手で包んでしまえるような小さなアヒルの雛にとって、森は恐ろしい場所だ。全てがデカく、嗅いだ事のない匂いと聞いた事のない音が不安を掻き立てる。
深呼吸して落ち着きながら、考えをまとめる。
まずは、そう。人間が追ってくる事はないからそこは安心していい。何しろ俺は「見えにくい」アヒルの子。餌やりの娘さんが俺の存在に気付いていたかも怪しい。
もし脱走に気付いたとしても、美味しく育つ見込みも無さそうな弱々しいアヒルの子一羽のために森に探しにやって来ないだろう。
だから後顧の憂いは無くて、えーと、これからの計画としては。大物アヒルになるための体作りが最優先。まず近くを歩き回って安全そうな寝床を探して。それから寝床の周りで餌を探して、体力をつけて体を作って……
「……うん?」
計画を確認していた俺は、森のざわめきに混ざって聞こえてくるか細い人間の息遣いと血の臭いに気付いた。
そこそこ奥まで森に分け入ったから、村の音も匂いも届かないはず。という事は、森に誰かがいるという事だ。
狩人だろうか? 脱走中のアヒルの雛にとっての狩人は実質死神だぞ。うーん、絶対会いたくない。
俺は気付かれないようにそーっと立ち去ろうとした。が、数歩忍び足をしたところ苦しそうに咳き込む音がしてつい引き返してしまった。
血の臭いするし、せき込んでるし、息の音細いし、これ怪我か何かで苦しんでない?
むむむ、俺も今けっこう余裕無いけど、これは助けてやらなければ。
なんてったって俺は伝説になる大物アヒル。推定要救助者を見捨てて逃げたらアヒルが廃る。
俺が音と匂いを辿って薄暗い森を落ち葉をヨタヨタかきわけ進むと、林冠が開けてちょっとした広場に出た。
というか広場になった場所に出た。樹齢数百年はありそうな大木が何本も荒っぽく引き裂かれ、あるいはへし折れ、地雷でも爆発したかのように深く抉れた地面に倒れ込み、ぽっかりと空間を作り陽光が差し込んでいる。
その怪物が暴れた跡のような空間の一画で、一人の人間が巨木にもたれかかりか細く苦しげな息を吐いていた。むせかえるような鉄臭い赤黒い血だまりの中、金糸のような美しい髪と笹の葉のような長い耳が動き、焦点のズレた碧の瞳がこちらへ向く。
人間ではなかった。
彼女はエルフだ。
「そこに、誰か、いるのですか?」
命を絞り出すように発せられた声は弱々しかったが、緊張や警戒ではなく優しさと気遣いに満ちていた。
「どなたか、存じ上げませんが……きっとまだ、あの魔物が……近くにいる。奴は、深手を負っていて、危険です。お逃げ下さい」
そう言ってエルフの若い女性は目を閉じ、また頭を巨木に預けた。
そのまま死んだように動かなくなるが、胸がかすかに動き、息をしているのが分かった。
やべぇ。怪我どころじゃなかった。どうやらバケモンと戦って致命傷を負っているらしい。
改めて見てみると、粗末な革鎧は無残に引き裂かれ、ブーツは腐り落ちたかのようにボロボロで、剥き出しの両足が紫色に腫れ上がっている。手元に散乱している光る破片は砕けた剣の残骸だろうか?
両手で腹を抑えてはいるが、少しずつ血だまりが広がっている。
やばい、呑気に様子を伺ってる場合じゃないぞこれ。早く手当しないと死んでしまう!
しかし薬なんて持っていないし、村の聖職者が使っていたような治療魔法も使えない。
ある物でなんとかするしかない。俺は素早く周りを見回し、大きな葉っぱを一枚クチバシで千切り咥えてエルフの女性に駆け寄った。
「これで止血を。で、すまん、俺は医者じゃない。治療の心得があるなら指示してくれ」
「…………? 声の、位置が……?」
エルフの女性は片手を彷徨わせ、俺を探り当て、冷え切った手の先で輪郭をなぞり形を確かめた。くすぐったい。
「クチバシと羽……貴方は……鳥なのですか?」
「アヒルの雛だ。魔物が近くにいるって話は聞こえたし分かった。それでも俺はアンタを助けるぞ。なんてったって俺は伝説になるアヒルだからな」
「私のために……危険を冒して、下さるのですね? ありがとう。では、水を、お願いできますか。最早……死を待つのみ、でしたが。万に一つは、生きられるかも、知れません……」
「分かった、水だな? すぐに持ってきて……いや待て、一個だけ確認させてくれ」
どうやら礼儀正しく良い人そうだと安心しそうになったが、ギュッと気を引き締める。
俺は反省できるアヒルなのだ。
「アンタは俺を騙してクソまみれにしないよな?」
「いいえ、誓って……そのような事は、しません。私は、世界樹の枝葉、その最も長い枝に連なる一族。名を『枝の騎士』フランシィ 。この地に巣食う魔物を、狩るため、遣わされた、ハーフエルフの騎士です」
「俺は『見えにくいアヒルの子』だ。名前はない。じゃ、水とってくるから安静にしててくれ」
俺はハーフエルフの女騎士フランシィの腰から革袋を引っ張り出し、クチバシに咥えて水を探しに走った。
幸い、水はすぐに見つかった。木々のざわめきこそあるが動物たちはまるで息を殺し潜んでいるようで、虫さえも落ち葉の下でじっと動かず固まっていた。お陰で森の獣に邪魔されず水音を辿り岩清水を汲めたが、安心より不安が勝つ。
森の獣が揃って怯えて隠れるぐらいヤバい奴が近くにいるって事だ。マジやばい。そのヤバい魔物とやらに重症を負わせたらしい女騎士フランシィもヤバい。アヒルの仔の俺だけが場違いだ。
でも俺は雛だから。可能性の塊だから。これからだから。
魔物に神経を尖らせながら革袋を持って帰ると、女騎士フランシィは意識を失っていた。ガクリと首をうなだれさせ、俺が近づいても何も反応しない。
や、やべぇーっ!
「おい生きてるか!?」
慌てて膝上によじ登り、胸に耳を当てる。鼓動は……ある! ギリギリ!
俺は革袋の水をクチバシでなんとか女騎士フランシィの口に押し込んだが、ほとんどこぼれてしまった。だが生存本能のなせるわざか、意識が無くても少しだけ喉が動き、水を飲んだ。
俺は石清水が湧き出る岩と女騎士フランシィの間を革袋を咥えひたすら往復した。
水を飲んだところでどうにかなる負傷には見えない。でも彼女が言っていたように、万が一にでも生き延びられるなら続ける価値はある。
俺はなんてったっていずれ伝説の大物になるアヒルの仔。ひと一人、じゃねぇや、ハーフエルフ一人助けられずして何が伝説か。
やがて日が昇り、落ちて、暗くなる。クチバシが痛くなり、足が傷つきヒレが裂けるほど水汲みを繰り返したが、まだ女騎士フランシィは目を覚まさない。
だが、死んでもいない。瀬戸際で命を繋いでいる。
時間が経つにつれ、森に生き物の気配が戻っていった。落ち葉の下で微動だにしなかった虫たちが動き出し、虫が動いているのを知った鳥が恐る恐る木のうろから顔を出し、空を飛ぶ鳥を見た獣がおっかなびっくり巣穴から出てくる。
俺は彼らの目を搔い潜り、足音を殺し、しかし素早く水を運んだ。なんどもあわやという瞬間があったが、何しろ俺は「見えにくい」アヒルの仔。捕食者たちはすぐに俺を見失った。
月明かりを頼りにした何十回目かの革袋運びで、土気色をした女騎士フランシィの口に水を流し込んだ俺は、とうとう疲れ果て、生乾きの血だまりの中で滑って転んでしまった。
すぐ立ち上がらなければ、と思うが、足に力が入らず立ち上がれない。疲労がもう限界だった。
もう無理だ。少しだけ休もう。
少し休んで回復したら、また水を運べばいい。
この少しの休憩で彼女が命を取り零してしまうかも知れない。
ああ、でも本当に限界なんだ――――
気絶するような深い眠りから目を覚ますと、目の前にドアップのネズミの死体が映って度肝を抜かれた。
「へぇあっ!?」
「起きましたか? 水をありがとう、アヒルの仔」
優しい声に見上げると、女騎士フランシィが鋭く尖った小枝を横に置くところだった。
ドギマギしながら周りを見回すと、なぎ倒された木をつついて虫を引っ張り出す鳥や、クレーターの中を走り回って餌を探すネズミがあちこちにいた。
改めて目の前のネズミの死体を見て理解する。あ、あぶねぇ。寝てる間にネズミに食われるところだった。女騎士フランシィが守ってくれていたらしい。
死体と変わらないぐらいぐったりしている女騎士フランシィの閉じられた目をじっと見ている内に、アツいものがこみ上げてきた。
俺は彼女を助けた。彼女も俺を助けた。そう思うと、出会って一日なのに十年来の親友のように親しみを感じる。
命の絆は血の絆よりも強い。
俺は革袋をクチバシで咥えた。足ヒレはまだズキズキと痛くて、クチバシは寒さで軋んだけれど、俺は水を汲みに行った。体は昨日より遥かに重かったが、心は昨日よりずっと軽かった。
彼女を助けたい、助けようと、素直に思えた。
もし彼女を助ける途中でこの命を落とす事になり、名も無きただのアヒルの仔として二度目の命を終える事になっても、後悔はない。
それから日々は飛ぶように過ぎた。
俺達はなんでも食べた。
木の若芽を分け合い、腐肉の一片も無駄にしなかった。アヒルの雛が森の獣を掻い潜って集められる食べ物なんてたかが知れていたが、フランシィは地虫一匹にすら篤く礼を言ってくれ、時には飲んだ水よりたくさん涙を流して俺を抱きしめ、何度も何度も謝り、尽きない感謝をこぼし、必ず恩に報いると誓った。
俺達はひっついて眠り、体温を分かち合った。俺はフランシィの湯たんぽで、フランシィの長い金髪は俺の巣だった。一晩でも離れて寝ていたら、きっと凍死していただろう。
のたうち這い進むように少しずつ、フランシィは回復していった。
夏が過ぎ去り秋になる頃には、フランシィは立ち上がれるようになった。
フランシィは俺に名前をくれた。『枝の騎士』フランシィを救った賢い鳥、ルヒアだ。
フランシィは俺に命の恩があると言うが、それは俺も同じだ。フランシィが俺を助けてくれたのは一度や二度ではない。ネズミに食い殺されそうなのを助けられたし、強風で落ちてきた枝の下敷きになった時も助けられた。鼻の利く狼に追われた時は、自分の腕を噛ませ庇ってくれた。
冬が来る頃、俺達は一心同体になっていた。
大きな木のうろを使って作った簡素なねぐらで降り積もる白雪を眺めながら、フランシィは俺を撫で決意を込めて言った。
「ルヒア。雪が解けたら私は魔物を探します。今度こそ討ち倒すために」
「ああ、俺達の伝説の始まりだ。一人じゃ勝てなくても、一人と一羽なら勝てるさ」
ついてきてくれますか? という言葉は言わせなかった。フランシィが行くなら俺も当然行く。敵がどんなヤバい魔物でも。フランシィもそうしてくれるから。
冬の寒さは厳しく、森の食べ物は乏しかった。
俺達は二人で共に冬を耐え忍んだ。リスが雪の下に埋めた木の実をかすめ取り、木の根を齧り、小さな焚火を二人で交代で守り、長く厳しい夜をやり過ごした。
そして春が来た。
雪が解け、土が顔を出し、葉を落とし寒々としていた木に緑が芽吹く。
暖かな春一番にフランシィがひと冬の間世話になった木のうろを出る決断をした。
雪解け水でできた水たまりの前で、俺は翼を大きく広げた。
しかし、水たまりには何も映っていない。雛の頃はカメレオンのように「見えにくい」だけだったが、冬を越し成鳥になった俺は「見えない」ようになっていた。
完全な透明。音や匂いすら朧気だ。
うーん、これはちょっと予想外。童話の「醜いアヒルの子」先輩は、冬を越して春になった時、自分がアヒルではなく美しいハクチョウだったと知った。
じゃあ、俺は? 俺はなんなのだろう? 先輩と同じハクチョウなのだろうか?
見えないから分からない。
俺はフランシィに尋ねた。
「なあフランシィ。俺はどんな姿をしてると思う? 見えないから分からないんだよなぁ」
フランシィは微笑んで答えた。
「姿は見えませんが、私は知っています。ルヒア、貴方はとても美しい鳥ですよ。この世のどんな鳥よりも」
「フランシィには負けるよ」
俺達はひとしきり笑い合い、俺達と同じく冬を越し動き始めたであろう森の魔物を探しに出立した。
まず、俺達は情報を集めるために村を訪ねた。
春の畑を耕し、種まきの準備をしていた村人たちは、森から彷徨い出てきたフランシィに仰天した。
「騎士様、御無事でしたか。てっきりあの魔物に殺されたものだとばかり」
「恥ずかしながら仕留め損ないました。しかし奴も私を殺しきれはしなかった。誰か魔物の居場所について御存知ありませんか? 私は騎士として使命を完遂しなければなりません」
フランシィが村人たちに丁寧に尋ねると、村人たちは顔を見合わせ、口々に教えてくれた。
曰く、魔物は雪解けと共に村を襲ったばかりらしい。魔物の体には治ったばかりと思しき酷い傷痕があり、人を避けアヒル飼育場を襲い食らい尽くし森に引いていったという。
ドン引きである。なんてこったよ、知らない間に血縁が絶えていた。そりゃあ飼育場にいれば食われるだろうなーとは思っていたが、まさか魔物に食い殺されるとは。まこと哀れなり。
「ルヒア……」
「いや、いまさら仇を取ってやろうなんて感傷なんざない。でも放って置いたら次に食われるのはきっと何の罪もない村人だ」
「ええ。今度こそ仕留めてみせます」
俺達は決意を固め直し、魔物の痕跡を追った。
アヒル飼育場の残骸から続く足跡は森の中に消えていた。俺が足跡が消えた方角を上空を飛んで探し、フランシィが旧い木の枝を武器に再戦した魔物は恐ろしい難敵だった。
巨大な浅黒い猿のような魔物が尻尾を振るだけで森の木々は枯れ腐り、叫べば津波のような衝撃波が飛び、手を叩きつければ猛火が吹き荒れた。
激闘の末に魔物の尻尾を断ち、手を砕いたフランシィだったが、魔物の叫びで武器の枝が砕かれた。魔物は後ずさりするフランシィに舌なめずりをしたが……
フランシィは良い位置まで下がると空中に高く跳び、俺が空中から投下した代わりの枝を掴み取り、落下の勢いを乗せて魔物の脳天をカチ割った。
フランシィが魔物の首を持って村へ凱旋すると、村人たちは歓声を上げ歓迎してくれた。
酒が振る舞われ、貴重な肉がどんどん焼かれ、祝いの席の中心でフランシィは魔物との戦いの話をしてくれと繰り返し繰り返しせがまれた。
俺は透明だから、パンをつっついて食らっていただけなのにフランシィの守護霊か何かだと思われ、拝まれた。違うけどまあそれでもいいや。
今まで感謝された事はあれど、拝まれる経験なんて無かったからムズムズする。
気恥ずかしいけど慣れないとな。これから何度もこういう偉業を成す事になるんだから。
こうして俺達は偉大な英雄としての第一歩を踏み出した。
樹歴5433年、枝の騎士フランシィ古森の魔物フンババ討伐の命を受け出立す。
フランシィ、古森に分け入りて果敢に戦うも引き分ける。命尽きかけるも世界樹の恵みあり。
樹歴5434年、不可視なる鳥の助力を得たフランシィにより、古森の魔物フンババ打ち倒される。
枝の騎士フランシィ、二つ名に「鳥」を加え、もって不朽の名完成せり。
――――『枝と鳥の騎士フランシィの伝説』一巻より抜粋