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男の娘を拾ったら、付き合うふりをすることになった

作者: 藤崎珠里

 酔った勢いで女の子を拾った。と思ったら男の娘だった。しかも中学生か高校生か、くらいの年齢かと思っていたのに、二十歳だった。


 つまりわたしは――無防備にも同い年の見知らぬ男を、一人暮らしの自分の部屋に泊めてしまったのである。




 明るいお日様が差し込む部屋の中、わたしは蒼白になって頭を抱えた。


「やばい、怒られる……やばい……」

「え、もしかして彼氏とかいた……?」


 同じく青い顔で首を傾げる姿は、性別と年齢を知った今でも年下の女の子に見える。塚瀬(つかせ)(かおる)という名前だって中性的。

 目もぱっちり大きくて、睫毛なんてばさばさで、唇もなんかうるつやしてて、むしろわたしよりも女の子らしい。髪の毛はショートだけど、さらっさらだし。勘違いしたわたし、悪くない。

 ……よし、もしもバレたときにはこの主張でいこう。


 そう結論づけてから、ようやく彼の問いに答える。


「違う。わたしのことが大大大好きな超過保護な友達がいるの」


 小学校に上がった頃からの友達だから、幼馴染と言ってもいいのかもしれない。大学に至るまで、ずっと同じ学校に通っている。

 彼女――須々木(すすき)るりはわたしのことが異様に好きだ。わたしも好きだから問題ないっちゃ問題ないのだけど、たまにめんどくさくなることもあるくらい、わたしのことが好きだ。

 るりの姉もそういうタイプなので、きっと血筋なのだろう。執着心が強いというか、好き嫌いが極端というか。


「きみを泊めたことバレたらやばいことになる。たぶんきみが」

「僕が!?」


 ぎょっとする塚瀬くんに、わたしは「そもそも!」と指を突きつけた。


「見知らぬ女を騙して家に転がり込むとか悪質すぎるからね!」

「いやいや、僕男だよ、こんなのだめだよって言っても信じなかったのは美野原(みのはら)さんでしょ!」

「よ、酔っ払い相手にまともに説得しようとするのが悪い」

「まともな説得が耳に入らないくらい酔うのが悪いんじゃ……?」

「わーん正論!」


 思わず手で顔を覆ってしまう。「ご、ごめんね……!?」とあたふた謝られるのがなおさら心にくる。

 寝ている間中なぜか家の鍵を握りしめていたので、手にはその跡がくっきりと残っている。これも塚瀬くんが帰るに帰れなかった理由の一つらしかった。

 こんなことになっているのに、二日酔いにすらなっていない自分の体質が憎い。二日酔いだったらこう……もっとか弱い感じを演じて……ゴリ押し理論を通せたかも……。


「い、いやでも、あんなとこに落ちてた塚瀬くんも悪くない!?」

「落ちてたって言い方はやめてよ……。道に迷って帰れなくなったから、とりあえず明るくなるまで座ってようと思っただけだよ」

「ぽんこつじゃん!!」

「く、暗くてちょっと道わかんなくなっただけ!!」

「というか男の子だったとしても、夜道に座り込んでるのは危ないでしょ! もうやめなさい!」

「う、正論……」


 ――と、そこで、来客を知らせるチャイムの音が鳴り響いた。

 びくっと震えるわたしと、目を瞬く塚瀬くん。

 ……今日の授業は二限から。そしてるりも今日は二限からで、わたしと同じ授業を取っている。そういうとき、るりはわたしの家まで迎えにきてくれるのだった。


「つ、塚瀬くん隠れ……いや万が一バレたときのリスクがデカい! ここいて! 女の子のふりして話合わせて!」

「わかった!」


 いやめちゃくちゃ戸惑いなく承ってくれるな……。

 むしろわたしのほうが戸惑いながら、慌てて玄関へ向かう。


「おかえりるり!」


 勢いよくドアを開けると、るりは呆れ顔で「……ただいま」と言ってくれた。言う言葉間違えたな、と思ったのだけど、付き合ってくれるのだから優しい。


 るりは、見た目はすごく清楚な美人だ。猫を被るのが得意なので、わたしに見せてくれる言動を他の人の前でもすることはめったにない。

 綺麗な黒髪は、大体いつもポニーテールにされていた。たまに下ろしていると、空乃(そらの)さん――るりのお母さんとぱっと見間違えそうになってしまう。そっくりな親子だった。


 続けて何か言おうとしたるりの視線が、下に落ちる。


「……男物の靴?」


 つられて視線を落とせば、そこには塚瀬くんのスニーカーが。

 あっ。えっ、これ男物?

 いやでも女の子でもこういうスニーカー履く人はいて、でもでもこの言い分をこのタイミングでしれっと言うのはわたしにはたぶん無理で……。


 それでもなんとか誤魔化しきらねば、と必死に頭を回した、結果。



「あのっ、実は――恋人ができました!!!」

 


 とてつもない嘘をついてしまった。



     * * *



 付き合ってもない、そもそも知人ですらなかった男を泊めたのが問題なら、恋人ということにしてしまえばいい。

 冷静になって考えてみても、なるほどその手が! という感じの我ながらあっぱれな思考回路。しかし話を合わせてくれた塚瀬くん――薫くんの目が「こいつマジか」って感じだったので、全然あっぱれじゃなかったらしい。



 そんなこんなで、わたしたちは付き合うふりをすることになった。

 圧迫面接のようなるりからの追及に、薫くんは存在しない記憶を巧みに使って見事乗り切った。それこそあっぱれだ。

 で、その薫くんの存在しない記憶によると、わたしたちが付き合い始めたのは、るりに話した日の時点で二か月前。現時点から考えると、一年前のことだった。


 うむ。……付き合うふり、もう十か月続いてます。



『薫くん!3限のあとお暇だったらアイス食べにいこ~』


『いいよ』

『最近暑いからすぐアイス食べたくなるよねぇ』


『即答さすが!!ありがとう!!!』

『ねー、ほんとあっつい、、』



 実は同じ大学に通っていると判明したこともあり、毎日仲良くしてもらっている。

 付き合う『ふり』だから、当然キスもその先もしたことがないし、手すらつないだことがないし、そもそも身体的接触が一切ない。

 楽しくおしゃべりをして、お出かけをして……ただそれだけだった。

『ふり』として成立しているのかわからないけど、お出かけをデートということにして、るりに定期的に写真を見せている。



「ほんとに三段も食べれる?」


 欲張ってアイスをコーンに三つ載せしたわたしに、薫くんはくすりと笑いながら訊いてきた。

 薫くんは今日も可愛い。こういう笑い方をされると特に、自分がいたいけな少女に何か悪いことをしているような気分になる……。


「食べれる、はず! 後でお腹壊すかもしれないけど」

「お腹壊したら食べれてるって言わないからね?」

「わ、わかってる。ゆっくり食べるから」

「溶けて悲しんでる(じゅん)ちゃんが目に浮かぶ」

「今から百発百中の予言やめて!!」


 わたしはいまだに薫くんのことがよくわからないなぁと思うのだけど、薫くんはわたしのことをよくわかってくれている。わたしが単純だからだろうな。

 薫くんは少しぽんこつではあるけど、単純ではないからよくわからないのだ。……十か月もわたしの嘘に付き合ってくれているところからして、よくわからない。


「あー、すでに零しそうだよ。気をつけて」

「えっ、どこ」

「ここ」


 指差されたところは確かにちょっと垂れそうになっていて、慌てて舐めたら鼻の頭をアイスにぶつけてしまった。つべたい。


「淳ちゃん、アイスから手離しちゃだめだよ。絶対落とすからね」

「う、うん」

「ん、こっち向いて。……はい、綺麗になった」


 準備のいい薫くんは、ティッシュを出してわたしの鼻を優しく拭いてくれた。ファンデーションも取れないような拭き方。完璧すぎる。

 ……こういう感じの距離感、ではあるんだけど、やっぱり身体的接触はない。これだってティッシュ越しだから、素肌同士ではふれていないし。


 すっかり薫くんのことが好きになってしまったわたしからしたら、もうちょっとなんかあってもいいんじゃないかなぁ、と思う今日この頃だ。

 しかしそれは贅沢というものだろう。

 あんな情けない始まり方で、ここまでいいお友達付き合いができていることが奇跡みたいなものなんだから。


「あ、薫くん、わたしこの後アイシャドウ見に行きたい」

「おっけー。僕もなんか買っちゃおうかなぁ」


 可愛い薫くんはお化粧も嗜む系の男子である。女性もののお洋服も結構な頻度で着ている。

 似合うものを身に着けたい(たち)らしく、あまり性別は気にせずに選んでいるみたいだ。

 ……やっぱりわたしが最初勘違いしたの、悪くなくない? だからって薫くんが可愛いのが悪い、とは言わないけども。その理論を通しちゃったらいろんな犯罪を認めちゃうのと一緒だし。


 薫くんとのショッピングは楽しい。

 センスがいいし、似合わなかったらはっきり言ってくれるし、代わりに似合うものを提案してくれるし、何よりこっちが提案したものを試してくれるのが最高。

 自分じゃ着ないようなふわふわひらひらワンピースだって、薫くんは見事に着こなしてくれるのだ。

 ……ふわふわひらひらワンピースを着こなす成人男性がいていいのか!? いいんだろうけど!!


「あっ、なんか欲しいものあったら言ってね。いつものお礼にわたしが買うから」

「お礼とかいいってば。僕だって淳ちゃんと一緒にいるのが楽しいからやってるんだし」

「普段迷惑かけすぎてるんだから受け取ってくださーい」

「迷惑だと思ってませんのでー。ほら、溶けちゃうよ」

「わ、わっ」


 おしゃべりをやめて、アイスに集中する。三種類全部おいしいけど、冷房の効いたモール内だとさすがに寒くなってくる。

 ちょっとぶるっと震えたら、「僕のカーディガン着る?」とすかさず訊かれた。大学は教室によっては冷房が効きすぎているので、薫くんはいつもカーディガンを持ち歩いているのだ。


「……わたし入るかなぁ?」

「いや一応僕のほうが背高いんだけど」

「薫くん童顔だから、わたしより十センチくらい低い感じしちゃうんだよね」

「それは低く感じすぎ。……まあ今日はもう一回着ちゃったし、淳ちゃんが嫌だったらやめとこっか」

「嫌なわけはなくない?」


 ちょっとむっとしてしまった。嫌って何。薫くんの何かを嫌と思うこととかないんですけど。


「薫くんだったら汗もいいにおいしそうだし」

「いや普通に汗は臭いから……」

「そうなの?」

「嗅ごうとしない!」

「ご、ごめん無意識に変態になるところだった」


 危なかった。恥ずかしかったのか、薫くんは少し頬を染めてむくれている。かわい~。

 いやでも、薫くんの汗ってお花の匂いしそうなんだよな。本当に臭いのか疑わしい。


「ごちそうさま! 寒い! やっぱりカーディガン貸してくれたら嬉しい」

「はいはい、どうぞ。手汚れてない? ウェットティッシュあるよ」

「どっちもありがとう~!」


 ウェットティッシュで手を拭いてから、カーディガンをお借りする。うわ、やっぱフローラルな匂いする。

 シンプルな黒のカーディガンは、薫くんが着たらとびっきりおしゃれに見えるのに、わたしが着ている今はたぶん野暮ったい。鏡がないとわからないけど、こういうシンプルなの似合わないんだよなぁ。

 薫くんもそう思ったのか、ふむ……という感じでわたしをまじまじと見た後、「先にカーディガン見に行かない?」と言ってくれた。望むところである。


 そうして薫くんが選んでくれたのは、ライトグリーンのポップコーンニットカーディガンだった。ポップコーン。そんなおいしそうな名前のカーディガンがあることを、わたしは初めて知った。

 これ、前に薫くんが選んでくれたスカートとも合いそうだなぁ。あ、靴も薫くんにプレゼントされたやつが合いそう。となるとトップスも薫くんに選んでもらったあれかな……。

 よし、今度一式着て薫くんに見せびらかそう。薫くん一色コーデだ。


「あ、ねえねえ、るりの誕プレでアドバイスが欲しいんだけどさー」

「淳ちゃん待って、それはなし。そこに僕の出る幕はありません。須々木さんなら、淳ちゃんが選んだものならなんだって嬉しいんだから」

「いや結構文句も言うよ!? 全部喜んでくれてるのわかるからいいけどさぁ……。まあ、素直じゃないのも可愛いよね。薫くんはツンデレな子、好き?」

「……いきなりどうしたの?」


 怪訝そうな薫くんに、「いきなり思ったの」と適当にごまかす。嘘じゃないし。

 ただちょっと……好みのタイプくらい、いい加減少しは把握したいな、と思ったというか。

 うーん、とちょっと考えて、薫くんはわたしをじっと見つめた。


「……ツンデレも可愛いとは思うけど、僕は素直なほうが好みかなぁ」

「おお、そうなんだ。まあ薫くんも素直だから、素直なほうが相性よさそうだよねぇ」

「素直に見える?」

「見える!」

「ふふ、ありがとう」


 可憐に笑う薫くんのほっぺたをつつきたくなってうずうずした。絶対やわらかいんだよなぁ。でもいきなりやったら変態だから我慢。

 新しいアイシャドウを手に入れて、薫くんのリップも選んで、充実したショッピングを終えてモールを出る。


 お別れする前に、勇気を出して――その勇気が薫くんには見えないように気をつけて――訊いてみた。


「薫くん、金曜の夜空いてる? 一緒にお酒飲んだことないから、そろそろ飲んでみたいなぁって思うんだけど」


 一瞬、薫くんは渋い顔をした。い、嫌だったかな。

 だけどすぐに笑ってうなずいてくれた。


「……うん、いいよ。飲みすぎないようにね?」

「気をつける! 薫くんも道迷わないようにね?」

「はーい、気をつける」


 薫くんはかなりの方向音痴なので、初めての場所に行くときには大抵迷子になる。

 とはいえ今回は、たぶん大学近くのお店にするし大丈夫だろう。そう思っていても注意したのは、最初の出会いを思い出して、である。


 飲みすぎて薫くんを拾ってしまったわたし。道に迷ってわたしに拾われてしまった薫くん。

 そこからここまで仲良くなれるとは思ってなかった。

 ……もっと仲良くなりたい。できれば、本当の恋人になりたい。

 そう思うようになるとは、自分でも思っていなかった。


 薫くんとバイバイして、帰路に就く。

 わたしはゆっくり深呼吸をした。


 お酒の力を借りるのはよくない。そうわかってはいるけれど――わたしは、明日告白するつもりだった。

 お酒の場なら、もしも振られたって詳細は忘れたことにできる。そしたら友達付き合いは続けられるかもしれない……なんて、卑怯な考えだけど。

 わたしは薫くんのことが、友達として大好きだ。だけど男の子としても……いや、この表現はしっくり来ないな。女の子としても? いや女の子ではないし……性別関係なく、恋愛対象って言ったほうがいいか。


 わたしは薫くんのことが、友達としても、恋愛対象としても大好き。


 友達の延長線上に恋人という関係性があるとは思っていない。どっちの関係性が上とかも思っていない。

 それなら今の関係のままでもいいんじゃ? と、るりなんかはそう言うだろう。

 でもやっぱり、友達と恋人じゃ、許される範囲が違うから――だから、恋人になりたいと思う。


 だから告白する。『付き合ってるふり』に付き合ってくれているうちに。

 幸いわたしは素直なほうだ。もちろん、それだけで薫くんの好みに近いなんて言えはしない。だけど、ほんの少し好みに当てはまっているとわかっただけでも安心できた。


 …………とはいえ、緊張するものは緊張する!! ほんっとに飲みすぎないように気をつけなきゃ!!



     * * *



 ――どっちの決心も甘かった。

 告白するぞ、という決心も、飲みすぎないぞ、という決心も。


 その結果、告白もできないうえに飲みすぎるという最悪の展開になってしまった。



「だから止めたのに……!!」


 薫くんの声が、ふわふわ遠くに聞こえる。


「かおうくん?」

「歩ける? 今タクシー呼んだけど、自分の住所言える?」

「んん……ほっかいどー……」

「ああうん、北海道住みたいって前言ってたねぇ……淳ちゃんごめんね、ちょっと手引っ張るよ」


 ぐいっと手を引かれて、ふらつきながら立ち上がる。そのまま引っ張られるままにお店を出た。

 近くに止まっていたタクシーに押し込まれて、後ろから薫くんも乗ってくる。


「淳ちゃん、言える?」

「もういっかい手ぇつなぎたい!」

「今のは介助だからつないでたわけじゃないよ。……僕がちゃんと場所覚えてたらよかったんだけど……」


 薫くんに寄っかかって、くんくんと匂いを嗅ぐ。いいにおい。


「ちょ、嗅がない! 頭ぐりぐりもしない! 抱きつこうともしない!!」

「なんで……?」

「三者面談してからじゃないと、そういうのはダメなの。嗅がれるのはいつだって無理だけど」

「さん?」


 首をかしげる私を適当に流して、薫くんはスマホをいじっている。覗き込む。るりとのメッセージ画面だった。なんで?

 薫くんが運転手さんに何かを伝えて、タクシーが動き始める。


「こら、手つなごうとしないの」

「なんでるり?」

「……淳ちゃんが自分の住所言えないせい」

「かえりたくない」

「そういうこと言わないで。……腕組もうとしない!」

「ぜんぶだめなの……?」

「ダメです」


 きっぱり。悲しくてぐずぐずと涙が出てくる。


「わっ、わたしはかおるくんのことすきなのに……かおるくんはきらいなんだ……」

「大好きだよ。ほら、目こすらないの」

「ちがうもん……」

「違わない。大好きだから付き合ってほしいけど、そういうのは全部明日話そうね。大丈夫? 気分は悪くない?」

「うううううう……やさしいすき……だいすき」

「……忘れてても話すからね。須々木さんも呼ぶから」

「なんでるりぃ」

「三者面談です……」


 なんだか薫くんが疲れて見えた。頭をなでてあげたら、「これはセーフ……?」と難しい顔をしたけど、家に着くまでなでられてくれた。


 住所を言えなかったのになぜか自宅に帰ってこれた。

 ふらふらしているうちに水のペットボトルを押し付けられ、飲むと「えらいえらい」と褒められる。えへへ。――いやえへへじゃない。

 さすがにちょっと酔いがさめてきたのか、微妙に冷静になってきている。無敵タイムは終了のようだった。


「気持ち悪いだろうけど、危ないからシャワーとかお風呂は明日の朝にしようね。着替えも無理はしないこと。お水もっといっぱい飲んで、ちゃんとベッドで寝てね。できる?」

「うん……」


 至れり尽くせりで申し訳ない。というか醜態をさらしすぎていたたまれない……。

 初めて会った日の記憶はおぼろだけど、もしかしたらあの日もこんな感じだったんだろうか。


「それじゃあもう帰るけど、大丈夫そう? 寝るまで見守ってたほうがいい?」

「だ、だいじょうぶ!!」

「ほんとかなぁ……酔っ払い淳ちゃんの言葉だからなぁ……」


 薫くんからわたしへの信頼値がゴリゴリ削れている気がする。……い、いや、酔っぱらってるときだけだよね、それ以外は違うよね。

 とりあえず大丈夫だと強く主張すれば、薫くんは心配を顔いっぱいに浮かべながらも帰っていった。

 薫くんのほうこそ心配だ。こんな深夜にあんな可愛い子、一人で帰らせてよかったんだろうか。……いや、絶対よくない! そもそも薫くんはとてつもない方向音痴だ!


 慌てて外に出て、エレベーターのボタンを連打する。うちはマンションの五階だった。

 やってきたエレベーターに勢いよく乗り込み、一階に着いたらとりあえず駅のほうにダッシュ……しようとしたら、薫くんはまだマンションの前にいた。


「薫くん!」

「……淳ちゃん?」


 振り返った手には、マップが表示されているスマホ。やっぱり道がわからなくて困っているらしい。


「駅まで送る!」

「え、いや、そしたら帰り道淳ちゃんが一人になっちゃうでしょ。ただでさえ酔ってるのに、そんな危ないことさせたくないよ」

「薫くん、駅までの道わかる?」

「えっと…………あっち?」


 指差した方角は、駅とは真反対だった。


「大丈夫、酔いは結構さめたから! 危ないのは薫くんも一緒、というかわたしより危ないよ。薫くんめちゃくちゃ可愛いんだから」

「……淳ちゃんは可愛いよ」


 むっとした、という可愛い表現がそぐわないような、不機嫌な声だった。

 蛍光灯の下、薫くんがこれでもかというくらい顔をしかめているのが見えて、思わずたじろぐ。


「へ、へへ、ありがとう?」

「ほんとに可愛いんだから。わかってる?」

「いやいやあの今そういう話の流れじゃないよね」

「そういう流れにしたから続ける。淳ちゃんは自分が可愛いってわかってないでしょ。見た目だけの話じゃないからね。淳ちゃんは隙がありすぎるから……今まで無事に生きてこられたの、僕は須々木さんのおかげだって思ってる」

「もしかして薫くんも結構酔ってる!?」


 そういえばわたしにつられるように、そこそこの量を飲んでいたような気がする。強いのかと思ってたけどもしかしてそうでもなかった!?


「そう言う淳ちゃんは、ほんとにだいぶお酒抜けたみたいだね?」

「大変ご迷惑をおかけしまして……」

「自分が何言ってたか覚えてる?」


 さっきの顔とは一転、薫くんはにこにこと訊いてくる。しかし不思議なことに、伝わってくる圧に変化はなかった。


「だ、大体は……?」

「ほんとかなぁ。じゃあ、三者面談の意味はわかる?」

「わかりません……」

「そこまで出張るつもりはない、って言われてはいたんだけどね。でも、始まりが始まりだったし、通す筋は通さなきゃなぁって思ったから、いつかそういう日が来たときには三者面談してくださいって僕からお願いしておいてたんだ」

「え、え、わかんないです」

「明日になればわかるよ。ってことで、いい子の淳ちゃんはおうちに帰ってね」


 ばいばい、と手を振られた。びっくりするくらいなんにもわからなかったのに、このまま帰らされるの……?

 呆然としつつも反射的に手を振り返すと、薫くんは満足げに歩き出す。


「……いやだからそっちは逆なの!!」

「えっ、そうなの!?」

「心配だけど送っちゃだめなんだよね……? じゃあもううち泊まるしかなくない?」

「淳ちゃんは可愛いんだってば」

「いきなりまた褒めてくるの何!?」


 薫くんほど可愛い子に可愛いと言われると、正直照れるも何もない。薫くんにとってはそうなんだなー、へー、という気持ちになる。

 しかしこう何度も繰り返されたら、さすがにちょっとすわりが悪い。意図がわからないからなおさらだった。

 にこにこ顔を引っ込めて、薫くんが言う。


「女の子を騙して家に転がり込むなんて悪質、なんでしょ?」

「……? わたしが招き入れてるんだから問題なくない? 騙されてないし」

「あーもうほんと可愛いお馬鹿さん……」

「その言い方可愛い」


 すっ、と手が伸びてきた。

 けれどそれはすぐに引っ込む。目を瞬いているうちに、薫くんはバッグの中から日傘を取り出し、()の部分でわたしのおでこをこつんとした。


「ごめん、耐えられなかった。痛くない?」

「痛くないけど意味わかんないよ……」

「だよね、ごめんね」


 謝るわりに、説明はしてくれないらしい。明日になればわかるらしいが……三者面談ってほんと何するの?

 初めて三人で顔合わせた日のあれも、一応三者面談と呼べなくはないのかな。るりがわたしの保護者役? わたしだってるりのお世話することくらいあるんだけどな。


 薫くんはしばらく難しい顔をしていたが、やがて重苦しいため息をついた。


「……誓って、淳ちゃんに指一本さわらないから。泊めてくれる?」

「そもそも薫くん、わたしにさわってきたこと一回もないよね。さっきのは介助だからどうしようもなかったし……」

「そうだねぇ、そうなんだよね。今だって傘使ったしね。ほんっと、そう」

「とりあえずこんなとこで話してるのも迷惑だし、うち帰ろ」


 小声で話してはいたが、夜の会話というものはご近所に響いてしまうものだ。……大分もう手遅れかもしれない。とんだ迷惑人間になってしまった。


 薫くんと一緒にとんぼ返りし、シャワーを浴びてもらう。わたしも後でちゃんと浴びてから寝よう。

 さて、薫くんの寝巻をどうしようか。だるだるの服とかを着せるわけにはいかないし、ジャージも論外だし、とはいっても他の服はあんまり寝心地よくなさそうだし……。

 苦肉の策で、さらっとした素材のシャツワンピースを用意してみた。似合うからいいだろう。下着は……さすがにわたしの貸すのはまずいよね。

 でもノーパンはもっとまずい。超絶可愛い薫くんを家に連れ込んだうえで、ノーパンでワンピースを着させるのは変態行為すぎる。


 コンビニに買いにいくか悩んでいたら、あ、と思い出した。

 そういえば一人暮らしを始めたころに買った、カモフラージュ用の新品男性下着があるんだった。百均だから着心地悪いかもしれないけど、そこは我慢してもらおう。

 脱衣所のドアをノックして、中に声をかける。


「薫くん、入って平気? 服持ってきたんだけど」


 シャワーが止まった。「なにー?」と聞き返されたので、同じことを繰り返して了承を得てから中に入る。着替えを置いて、「お邪魔しました!」と声がけしてから出る。

 お風呂場ハプニングを起こすわけにはいかないので、これくらい慎重にする必要があるのだ。薫くんの裸なんて見たら、神様に目をつぶされてしまう。


 ちょっとして、濡れ髪の薫くんが私の用意した服を着てダイニングにやってきた。


「……服ありがとう。ドライヤーも借りていいかな?」

「うん。そして可愛い! ただのシャツワンピースがパリコレ並のおしゃれさに……」

「ふふ、それ褒め言葉? 淳ちゃんパリコレのセンスわかんない~って前話してなかったっけ」

「あー、言った気がする……。でも今のはただの褒め言葉!」


 ありがとう、と笑う薫くんの表情はやわらかい。お風呂上がりで赤らんでいることもあり、どきどきしてきてしまう。

 わー、わぁ、可愛い。こんな可愛い子を深夜に放り出さなくて本当によかった……。


 ドライヤーを渡してから、わたしもシャワーを浴びることにする。薫くんには心配されたが、早口言葉を成功させることで酔いがさめたことを証明してみせた。

 烏の行水とは思われたくないので、髪も体も、なんとなくいつもより念入りに洗った。


「はー、上がりました。トランプとかする!?」

「するなら一回だけね。その前にお水ちゃんと飲んで、髪の毛も乾かして?」

「はーい、ママ」

「淳ちゃんのお母さんは気苦労が多そうだからなりたくないなぁ」

「えっ、ちょっとひどい」


 軽口を交わしてから、わたしも髪を乾かす。

 あとはお水飲んで……歯磨きしたら寝る準備は万端か。そしたらトランプしていいかなぁ。


「二人でトランプって、神経衰弱とかスピードとかかな?」

「神経衰弱は時間かかっちゃいそうだし、その二つならスピードがいいな。すごい久しぶりだから上手くできるかわからないけど……」


 そんなことを言っていた薫くんは、大差でわたしに勝った。わたしまだ手札半分以上残ってる……。

 テスト勉強全然してない、的な騙しの言葉じゃん! まんまと油断した!!


「も、もう一回だけやろ!」

「するなら一回だけって言ったでしょ? 明日休みだからって夜更かししすぎると体に悪いよ」

「まだ一時にもなってない……」

「残念ながら薫くんは、毎日日付が変わる前に寝るタイプの人間でーす」


 確かに声自体はふわふわしていないものの、薫くんの瞼はいつもより開いていないし瞬きも多い。相当眠そうで可愛かった。

 無理をさせてしまっていたことを反省しつつ、おとなしくトランプはやめることにした。


「薫くん、人のベッドで寝るの気にならないタイプ?」

「すごい気になるタイプだから床で寝るね!」


 朗らかに言われてしまった。

 お客様用布団なんていう立派なものはないので、今の時期使っていない掛布団に敷布団用の予備シーツをつけて、バスタオルをタオルケット代わりにして寝てもらうことにした。

 薫くんは別室で寝るつもりだったようだが、布団を敷く余裕が寝室にしかないのでベッドの横に敷いてもらった。


「お泊り会みたいで楽しいね」


 ふふふ、と笑うと、薫くんは呆れ顔で「そうだね」と同意してくれた。顔と言葉が一致してないよ。


「おやすみ、薫くん」

「おやすみ、淳ちゃん」


 一日の最後に、こうやって好きな人とおやすみって言えるのいいなぁ。


 部屋を真っ暗にして、目をつぶる。

 薫くんの身じろぎの音とか、息遣いとかが聞こえてくる。聞こえてくるということは、薫くんにもわたしの音が聞こえているということだ。

 ……なんとなく息をひそめてしまう。身じろぎも抑える。

 薫くんの立てる音は聞きたいけど、わたしの立てる音を暗闇の中聞かれるのは、なんとなく恥ずかしかった。



     * * *



 緊張して眠れない、ということもなく。

 すっきり快眠できたわたしは、ご機嫌で朝ごはんを作った。ベーコンと目玉焼きにケチャップと黒胡椒をかけただけの簡単なトーストだけども。

 薫くんも同じくらいの時間に起きたので、一緒に食卓についた。


「須々木さん、あと一時間くらいで来るって」

「……なんでわたしじゃなくて薫くんと連絡取ってるの?」

「昨日淳ちゃんの住所訊いた流れで?」

「あ、なるほど! だから帰ってこれたのか」


 薫くんがわたしの家に来たのは、最初のあの一回だけである。薫くんがそれだけでわたしの家を覚えられるとは思えないし、住所をきちんと教えたこともないから酔っぱらいながらも不思議だったのだ。

 えっ、じゃあるりもわたしの醜態を察しているのでは? 怒られるのでは?


 るりが怒るのは、基本的にわたしを心配するときだ。だからよっぽどのことじゃない限りは甘んじてそのお怒りを受ける覚悟は持っている。

 ……初対面の薫くんを泊めたのはよっぽどのことすぎたのである。



 薫くんの言葉どおり、るりは約一時間後にやってきた。

 うちに椅子は二脚しかないので、わたしは座布団に正座をして、椅子に座る二人を見上げる形になった。

 それにしても、三者面談。いったい何が始まるのか、この場でわたしだけがよくわかっていない。

 話が始まるのをそわそわ待っていれば、るりがおもむろに口を開いた。


「さて、酔っぱらったこの子が、あなたに告白をしたという話でしたけど」

「は!? はあ!??」


 いきなりぶっこまれて、思わず立ち上がってしまった。


「あ、よかった。この感じなら忘れてはいないみたいなので話が早いですね」

「いやちょっとなんのことだかわからないというかあんなの告白にカウントしないでほしいというかそれをなんでるりに言う必要があるのっていうか」

「わたしが淳花(じゅんか)の保護者だから?」

「るりに育てられた覚えはな……な、くはないけど!!」

「それで塚瀬くん。あなたは淳花のことをどう思っているのか、聞かせてくれるんですよね?」

「はい、そのために呼びましたから」


 保護者も先生(?)もわたしのことスルーする……。

 るりと薫くんが敬語で話すのはいつものことだった。同い年なんだしもっと砕ければいいのにとは思うけど、それがこの二人の距離感なのだから、わたしが口を出せることではない。

 けどこういう場で敬語でいられると、変に背筋が伸びるっていうか、緊張してしまってちょっとだけ嫌だな……!


「僕は淳ちゃん……淳花さんのことが大好きなので、もし許されるのならお付き合いさせていただきたいなと思っています」

「何それ!? それはるりじゃなくてわたしに一番に言うべき言葉じゃ――いや言ってたね昨日!?」


 ふいに昨夜のことが頭によみがえった。

 そうだ。大好きとも、付き合ってほしいとも言われてた……! 自分の醜態にばっかり気を取られて、薫くんの言動まではちゃんと認識できていなかった。


「……あれっ!? そもそも、え、あれ、るりってわたしたちのこと元々付き合ってるって思ってたよね!?」


 頭の中が混乱の極みだった。

 あの嘘があったからこそ、わたしたちは十か月も付き合うふりをしていたのだ。恋人らしいことはほぼしてないけど。

 るりは呆れたように「一応、最初はね」とうなずいた。


「送ってくれる写真も全部楽しそうだったし。でも淳花、嘘下手すぎるの自分でもわかってるでしょ。ボロ出すぎ」

「じゃ、じゃあなんで今まで怒らなかったの……?」

「……気づくころには、塚瀬くんは信頼できる人だってわかったから。問い詰めたら自主的にいろいろ約束してくれたし」


 やばい。なんかわたしの知らないところでいろいろしてたっぽい。


「それに何より、淳花が楽しそうだったから。きっかけは確かに褒められたものじゃないけど、結果的にいい出会いになったことがわかってるんだから、後から怒るのは違うでしょ」

「るり……」


 この子の、こういうところが好きだ。

 感動のあまりしばらくるりと見つめあってしまったが、はっと我に返る。薫くんを空気にさせてしまった。

 ちらっと横目で確認すると、薫くんはものすごい優しい表情でわたしたちのことを見ていた。


 この……好きな人しかいない空間!! すごいな!


 改めてるりにちゃんと向き直る。


「るり。ずっと嘘ついてて本当にごめん。でもわたしも薫くんのことが大好きで……つ、付き合いたいって、思ってる」

「そう。両想いでよかったね」


 わざとらしさすら感じるような、淡々としたお祝いの言葉だった。だけど本心からの言葉だということは、声を聴けばわかる。

 それからるりは、薫くんに視線を向けた


「――塚瀬くん。私の淳花を泣かせたら、それは本当に許しませんから。殺される覚悟もしておいてください」

「肝に銘じます」

「さらっと怖い会話しないで!!」


 感動やらなんやらで泣きそうになってたのに、涙が引っ込んでしまった。こわすぎる。


「は? だって私の淳花を私だけのものじゃない淳花にするんだから、そのくらい覚悟するべきでしょう」

「わたしはるりのものだったのか……」

「自覚が足りない」

「ごめん」


 わたしがるりのことを好きな理由はいくつだって挙げられるけど、るりがわたしのことをこんなにも好きでいてくれる理由については、正直よくわからない。怒られたくないからって、人に迷惑をかける嘘もついちゃうような人間なのに……。

 だけど、わたしのどこが好きなの? と訊くつもりはこれまでもこれからもなかった。理由なんてなんだっていい。


 わたしがわたしとして生きてきただけでこんなにも好きになってくれたんだから、これからもそうやって生きるだけだ。



「それでは私の淳花と塚瀬くんがお付き合いを始めた記念として、今までのデート偽造写真でアルバムを作ってきました。どうぞ」

「好意なの嫌がらせなの!?」

「どっちもに決まってるでしょ。嘘つかれたのは普通に怒って()んだから」

「るりごめんるりごめん!」


 はいはいはい、と私の謝罪は軽く流された。

 るりが持ってきたアルバムは、ワンポケットタイプのアルバムだった。一ページ一枚写真が入れられる、ミニタイプ。左側がデート写真で……右側が、それを送った際のわたしとのメッセージ画面のスクショを現像したもので構成されていた。


「ふ、あははっ、こういうふうに報告してたんだ」

「わたしとのメッセージ画面が他人に見られるのは平気なのるり!?」

「背に腹は代えられないから」


 くすくす笑う薫くんと、クールに笑うるり。クールであっても、してやったり感が隠せていない。

 なんなんだこの恥ずかしいアルバムは……どんな気持ちでるりはこれ作ったんだ……。

 どっと疲れを感じながら、薫くんがアルバムをめくるのを薄目で眺める。「へえ」だの「懐かしい」だの、笑いのにじむコメントを顔を真っ赤にしながら聞き流した。




「それじゃあ、私は帰るから。また学校で」

「うん、またね。来てくれてありがとう。アルバムもありがとう……」


 どういたしまして、と微笑んで、るりは帰っていった。嵐みたいだったな……。

 薫くんの顔をそうっと窺う。薫くんもこっちを見ていて、目が合った。なんとなく笑うと、薫くんも笑ってくれる。

 好きだ、と思うと同時に、じわじわといろんな感情があふれてきた。言葉にできないし、したいとも思わない。


 だけど、とりあえず。


「…………あの。できればもうちょっとちゃんとした告白を改めてしてもいい……!?」

「僕のほうからもお願いしたいな。ごめんね、こういう形じゃ嫌だったよね」

「いや、嫌ではなかったよ! るりに二人で報告できたのも嬉しかったし……。でも初めて好きって言ったのが酔ってるときで、二回目が他の人への報告っていうのはあんまりにも……自分が情けないなって…………」

「それは僕にもブーメランなんだけど」


 苦笑いする薫くんと、ダイニングに戻る。玄関で告白っていうのもね、ちょっとね。

 向かい合って座って同時に口を開き、同時に口を閉じ、また同時に口を開き――閉じる。無言でじゃんけんの構えを取ると、察した薫くんが合わせてくれた。

 じゃんけんぽん、のかけ声もなく無言でじゃんけんをする――負けた!!


「では、改めて」


 こほん、と咳払いをする薫くん。



「大好きだよ、淳ちゃん。僕と付き合ってください」



「……わたしから言いたかったぁ! わたしも大好き、薫くん。付き合って!」

「ふふ、ありがとう。大好き」

「お、おう、大好きです」

「大好き」

「……すきです」

「だいすき」


 可愛い薫くんから大好き攻撃を受けている。脳がヒートしそうな恐ろしい攻撃だった。うおお……。

 もはや何も言えなくなっていると、楽しそうに笑った薫くんが手を伸ばしてきて、私の頬にぴたりと添えた。


「初接触!?」

「うん、正式なお付き合い始めたらいいでしょ? 顔熱いねぇ。可愛い」

「いやあの、ちょ、猫みたいになでられるとくすぐった……やめてー!」


 ほっぺただけでなく顎の下までなでられて、必死に笑いをこらえる。ここで爆笑しちゃったら告白の雰囲気も台なしだ。

 やめて、と言えば薫くんはすぐにやめてくれた。


「はあ、くすぐったかった……あっ、ねえ、さわっていいってことは、手繋ぐのもぎゅってするのもキスするのもなんだってしていいってこと!?」

「……そうだねぇ」


 薫くんも嬉しいのかと思ったのに、呆れ全開の顔だった。何かだめだっただろうか。

 まあ、同意は取れた。これからはさわりたいときにさわり放題……この言い方はなんかだめだな、やめよう。


「ねえ淳ちゃん、この後時間あるようだったらデートに行かない? 僕が家に帰って着替えてからになっちゃうけど……」

「行きたい! あ、じゃあ駅まで送るね。その後はわたしも家に戻ってきておしゃれします!」

「ありがとう」


 これが正真正銘の初デート! 約束を取り付けただけで、もううきうきのるんるんだった。

 何事もなく薫くんを駅まで送り届け、急いで帰ってきてからおしゃれの準備をする。

 どんな格好しよう……あっ、例の薫くん一色コーデでいっか! あのカーディガン嵩張るけどバッグに入りはするし、屋内でだけ着る感じで。


 メッセージで連絡をとりつつ、着替えて、化粧をして、家を出る。

 チーズケーキがバズっていたカフェに行こうという話になったが、薫くんが迷子になるといけないので、待ち合わせは私の最寄り駅だ。そこから一緒に電車で移動。

 どきどきしながら向かった駅、改札の前。


 ――そこに立っていた薫くんの姿に、わたしは驚いて大声を上げてしまった。


「か、薫くん!?」


 基本的に薫くんは、女の子らしい格好をしていることが多い。ユニセックスな服を着ることもあるが、それでもやっぱり女の子に見える。ちなみに初めて会ったときの服の系統は後者だ。

 しかし今、薫くんは男の子に見えた。……かろうじて、ではあるけれども。


 爽やかなシャツに、少し大きめのサマージャケットをおしゃれに着こなした薫くん。黒スキニーで、もともと細くて長い脚がさらに際立って見える。

 女の子の男装姿、に見えなくもないが、ぱっと見は男の子だった。すごい、こんな格好もできるんだ……!

 男の子に見える最大の理由は、お化粧をまったくしていないことかもしれない。すっぴんでも美少女だけど、印象が大分変わる。


 いつもと違う雰囲気なのに、違和感はまったくなかった。

 ものすごく似合っている。たぶん薫くんに似合わない服はこの世に存在しないのだ。


「ふふ、びっくりした?」


 しかし、笑うとやっぱり可憐である。


「びっくりしたよ……。でも似合ってる!」

「よかった。正式なデートなんだから、ちょっとくらい僕が虫よけにならないとって思って。今日の淳ちゃんすっごい可愛いから、正解だったな」


 確かに今まで、二人でいるときに男の人に声をかけられることは多かった。邪魔だな、すっこんでてほしいなぁ、とそのたびに辟易していたけれど、薫くんも同じだったらしい。

 ……それでこの格好? 発想がかっこいいし可愛い。


「全身薫くんに選んでもらったコーデだよ! 薫くん一色コーデ。似合う?」

「うん、すっごく似合う。超可愛い。愛してる」

「ひえ……」


 愛してるまで飛び出てきてびびってしまった。でも薫くん、『愛してる』って言葉めちゃくちゃ似合うな……。


「僕もかっこいい?」


 にこにこ、薫くんが首をかしげる。


「可愛い……」

「……かっこよくない? 虫よけ失格?」

「いやっ、かっこいい! かっこいいよ!!」


 ただやっぱり……どう足掻いても顔が可愛いからな……。特に笑っていると本当に可愛いし、男の子だってわかったうえでも声をかけてくる人はいそうだ。

 しかし正直に伝えて、わたしを守る気満々だった薫くんをしょんぼりさせるのは本意ではない。「ほんとにかっこいいからね!」と念押しするだけにとどめた。


「行こ! 時間なくなっちゃう」


 一緒に改札を通って――ぎゅうっと薫くんと腕を組んでみる。今までだったら絶対避けられていただろうけど、薫くんはくすくす笑って受け入れてくれた。


「そんなに僕と腕組みたかった?」

「うん! 手も繋ぎたいし、抱きしめたいし、頭もなでたいし、キスもしたい」

「……話振っちゃった僕が悪いけど、外でそういうことはあんまり言わないようにしてくれると嬉しい」


 顔を赤らめて、薫くんは小声で言う。からかうような雰囲気を出していたくせに、一瞬でこうなるのはずるい。

 可愛いなぁ、と和みながら、口では「はーい!」と元気よく返事をしておいた。


 やってきた電車に乗り込む。休日だが、中途半端な時間だからかそれほど人は乗っていなかった。

 名残惜しいが、腕組みは外した。さっきの薫くんの発言的に、電車内という閉鎖空間でいちゃいちゃするのも苦手なタイプだろう。わたしも別に、誰かに見せびらかしたいわけではないから。


 一緒に電車に乗るとき、わたしたちは普段あまり会話をしない。

 だけど今日は少し、言いたいことがあった。


「ねえ、薫くん」


 小さく囁くように名前を呼ぶと、薫くんは私の口元に顔を近づけてくれた。


「……わたしに拾われてくれてありがとね」


 ぱちりと目を瞬かれる。

 長い睫毛の動きに、ちょっとだけ見とれそうになった。こんな些細な動きすら、薫くんは美しいし可愛いのだ。


「……ふふ、拾われた、にしては強引すぎたけど」

「そ、そうだね」

「でも僕も、拾ってくれてありがとう」


 ふわりと笑う薫くんに、にへらっと笑い返す。顔がにやけて仕方ない。


「ごめん、今わたし嬉しすぎて変な顔してるかも」

「大丈夫、すごい可愛い顔してる。それに嬉しいのは僕も一緒だから。……僕、変な顔してる?」

「世界で一番可愛い顔してる」

「あは、大げさだなぁ」

「大げさじゃないんですけどぉ?」




 素直なわたしと、素直な薫くん。

 これからもわたしたちは、仲よくやっていけそうだ。時には喧嘩だってしてみたいけど、すぐに仲直りをして、またこうやって二人で笑いたいなぁ、と思う。


 とびっきりの内緒話をするつもりで、小さな小さな声で「好きだよ」と伝える。

 そしたら薫くんも、もっと小さな声で「大好きだよ」と笑ってくれたから、さらににやけてしまった。





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