【短編版】人ならざるものに愛を寄せて
昔から、周りに気味悪がられることが多くあった。
私が道端を行く小さな黒い影たちを指差すと、皆が変な顔をする。
「何もないよー?」
「誰もいないけど?」
「やだ、なんか怖いもの見えてんじゃないの?」
そう言われることがしょっちゅうだった。
でも確かに私の目にははっきり見えていて、だからこそ不思議で仕方なかった。
ある時、灰色の大きな壁にぶち当たった。自転車に乗っていた時の話だ。
その瞬間、私はなんだかピンと来てしまった。ああこいつは絵本で見た妖怪だって。
それはヌリカベだったのだが、その時は名前までは知らなかった。
妖怪図鑑を借りて調べてみると、今まで私が目にしてきた奴らがたくさん載っていた。
猿のような化け物、黒いモゾモゾしたもの、火車に人間の頭がくっついたもの……。
私はどうやら人ならざるもの、妖怪たちが見える体質だと気づいた。が、どうしていいのかはさっぱりわからない。
両親や友達に言ってもやはり変な顔をされ、しまいには頭の病気を疑われて精神科にまで行かされた。けれども異常は見つからなくて、やはり体質なんだと私は思った。
もののけが見える私。当然、苦労は絶えなかった。
街中を歩くだけでたくさんの人ならざるものたちと出くわす。
元々はただの物に魂が宿っている妖怪をはじめ、色々なものたちに。
私はそれらになるべく関わらないようにした。きっとどこかおかしな場所へ連れ去られてしまう気がするから。
そうして私は高校二年生までを過ごしてきた。
△▼△▼△
出会いは突然だった。
高校からの帰り道、私は制服の裾を掴んで猛ダッシュしていた。
空が群青色に染まり、もうじき真っ暗になってしまう。そうなる前に帰らなくてはと焦っていたのだ。
そんな道中、『彼』と鉢合わせてしまった。
背がやや高い少年だった。
制服を着ているから、私と同じ高校の生徒だとわかる。
普通だったら無視して通り過ぎただろう。しかし彼は普通ではない。
だって、肌が半ば透き通って向こう側の景色が見えているのだから。
「あのさ……」
声をかけられた瞬間、思わず足を止めてしまった。
止めてはいけないとわかっていたのに。だがもう止まってしまった以上は逃れられなかった。
「な、何? 私急いでるんだけど」
答えを返した瞬間、少年の顔がパァーッと明るくなった。
「えっ、今返事してくれたよね!?」
「ええ、まあそうだけど」
「よかったぁ、俺透明人間にでもなったのかと思って……。いやーよかったよかった」
そうか。やはり無自覚系だったか。
私はため息を吐いた。
私が見えるのは正確に言うと妖怪だけではない。
私には『幽霊』も認識できる。ちょうど今の彼のように半透明な存在として。
今まではここまで人間らしい幽霊は見てこなかった。
足のないいわゆる『てけてけ』と呼ばれるものや、貞子っぽいいかにも幽霊な感じの幽霊は知っている。
が、こんなにも普通の人間らしい幽霊は初めてだ。体が透き通っていなければどうやっても幽霊には思えない。
そして当の本人は、自分が死んだことに気づいていないのである。
「昨日からさぁ、家に帰っても母さんも父さんも俺に返事してくれなくって。先生も友達もそうだったから不安で不安で仕方なかったんだよ。でもドッキリかぁ。あぁっ、驚いて損した」
勝手に盛り上がられているところ悪いが、こちらとしてはなんと言ってあげていいのやら。
君は幽霊なんだよと単刀直入に言おうと考えたが、さすがにそれはやばいだろうと思った。
面倒ごとの予感がピリピリする。幽霊などにも近寄らないのが一番であり、私は今すぐこの場から逃げるべきだと決めた。
「ごめんね。さっきも言ったけど私急いでるの。そういうことで、さよなら!」
「ああ、ありがとう!」
手を振る男子生徒を振り返りもせず、私はまたも全速力で駆け出した。
△▼△▼△
彼のことはもう忘れるつもりだった。
だって彼は人ならざるもの。言葉を交わせば私まで『あちら』の世界に引き摺り込まれるかも知れないのだ。
でも次の日の帰り道、また同じ場所に突っ立っている少年を見て、そうも言っていられなくなった。
「おかしいなあ。なんでだよ、なんでみんな俺を無視するんだよ、返事ぐらいしろって……!」
そう言って民家の壁面を殴りつけようとする少年。……手が壁面を貫通していることにも気づかずに。
彼は目に涙を浮かべていた。
「ええと、その、大丈夫?」
知らず、私は、勝手にそんな言葉を口にしていた。
あっ、と思い慌てて口を抑える。しかし彼にはもうとっくに気付かれてしまっている。
「あ、昨日の」
「うん……。また会ったわね」
しばらく気まずい沈黙が流れる。やがて、少年の方が口を開いた。
「あんた、俺の姿が見えてるよな?」
「一応、ね」
「そうだよな。じゃあなんで俺はみんなに無視されるんだ? 嫌がらせか?」
この際、本当のことを言ってしまった方がいいだろう。
なぜそこまで私がしなければならないのかとも考えたが、思い切って伝えることにした。
「あのね。あなたが幽霊だから、みんなから無視されてるんだと思う」
少年がキョトンという顔をした。
本当に無自覚中の無自覚らしい。
「え? 今なんて言った? 幽霊?」
「そう幽霊。あなたは今、『人ならざるもの』なの」
「ちょ、ちょっと待て。人ならざるものって……。あんたは俺のこと、見えてるんだろう?」
「半透明にね。そして、私は『人ならざるもの』が見えてしまうの」
ああ……、なんだか嫌な予感がぷんぷんするなあ。
そんなことを思いつつ、私は彼に事情を説明してやった。
△▼△▼△
――それが全ての始まりと言えるだろう。
自分が幽霊であると聞かされた少年はこれ以上ないくらいに驚いただろうが、やっと立ち直って言った。
「じゃ、じゃあなんとか戻る方法探さねえとやばいんじゃないか? 俺ずっとこのままとか嫌だし」
私は「それがね……」と首を振り、彼の望みが難しいことだと話した。
非情なこととはわかっているが、言わなければならなかった。
人間が一旦幽霊になったということは体は死んでいるわけだから、元の状態に戻ることは叶わない。
つまり、彼がするべくは成仏。これに限るというわけだ。
「もしも成仏できなければその幽霊は、時間と共に悪いものになっていってしまうんだって。それだけは避けなきゃいけないの」
「…………」
彼にとっては死刑宣告されたようなものなのかも知れない。
今の今まで自分はまだ生きていると思っていたのに「幽霊だ」と言われ、しかも成仏しなければならないとまで追い込まれている。
哀れに思ったが、私としてはどうしようもない。もはや放置しておくわけにもいかないし。
ともかく問題は、彼を一体どうすれば成仏させられるのか? だ。
幽霊を目にすることはあれど、それらは全員無視して来たので話したことすらない。
一体彼らはあの後どうしたのだろう。もし成仏したとすれば、どうやって昇天していったのだろうか。
そんなことを考えていると、突然彼がこう言い出した。
「そういえば、まだ俺もあんたも名前言ってなかったな」
「ああ、そうね」私も今更ながら思い出して頷いた。
「俺は生田だ。こんな形で突き合わせて悪い。よろしくな」
「私の名前は妖魅。変な名前でしょう?」
妖しい魅惑。全く私の馬鹿親は珍奇な名前をつけてくれたものだと思う。
だが少年――生田は、「可愛いと思うけどなあ」と言って、完全スルーしてくれた。
名前のせいで浮きがちなところのある私としては、気にしないでくれたのは少し嬉しかった。
「さてと。生田くん、今晩は私の家にでも泊まる? 私の両親にはあなたの姿は見えないから」
「へえ。じゃあお言葉に甘えて」
そうして私は、幽霊とはいえど初めて男子とお泊まりをすることになった。
△▼△▼△
わかったことがいくつかある。
一つ、生田は人間・物質かまわず、何者にも触れられず、すり抜けてしまうこと。
二つ、彼は全く悪意なくこの世に留まってしまっていること。
三つ、死んだ時の記憶が欠けていること。
「……無念とかはある?」
「そりゃあまだ生きたいってのはあるけども。他には特段思いつかないな」
「そう。生きたいってのは大抵の人間にあるだろうけど、それを言ったらそこら中が幽霊だらけのはず。そう考えると、それだけでは無念とは呼べなさそうね」
私は今、自室で彼と二人きり、話をしている。
もしも外部者が見たら一人で呟いている狂人にしか見えないだろう。それが私が気味悪がられた所以である。
幼い頃は、妖怪だろうが何であろうが構わず話しかけていた時代があったなあなどと思い出しつつ、話を続ける。
「あなた、私の高校と同じよね? 何年生?」
「二年三組」
「へえ。私も実は二年生なのよ」
と言っても私は一組なので、彼と顔を合わしたことはなかったが。
「明日、学校へ行きましょう。そしたら何かわかるかも知れない」
「無念の原因が?」
「そう。それと――」
その時、外から声がした。「妖魅、何言ってるの。寝なさい」
私は「ひえっ」と叫んで飛び上がりそうになった。お母さんだ。
「は、はいっ! い、今は入ってこないで!」
「とにかく、早く寝るのよ。明日も学校あるんだから」
「わかってるって」
心底ヒヤリとした。
母親が立ち去ってからも、もしも生田と話しているのがしっかり聞かれていたとしたらと思うと寒気が止まらない。
「とりあえず寝よう」ということになり、生田少年との座談会は終わった。
△▼△▼△
翌日、私と生田は横並びで歩き、二年三組の教室へ向かっていた。
「ここだ」
案内された教室には、昼休みが始まって図書室へ行こうとしたり、体育館裏で告白しようと走る、様々な生徒たちの姿があった。
生田が彼らへ、「おーい」と声をかける。しかし誰一人として答えなかった。
「やっぱり俺、本物の幽霊なのか……」
「うん。そしてこのクラスには『見える子』がいないみたい。まあ私のは恐らく特殊例だけど」
そもそも幽霊を見たという話はごく少数、そして基本的に『見える人』はそんなことは言いふらさないので、目撃情報を出しているのは『たまたま見えた』人たちなのだろう。
実際に『見える人』たちがこの世界にどれほどいるかなど私は知らない。知る必要もない。
それはともかく、私は生田曰く仲が良かったという男子生徒、森原を捕まえた。
「あの、ちょっといいかしら」
「な、なんですか……?」
気の弱そうな顔がこちらを向く。
私は単刀直入に言った。
「生田くんのことなんだけど、教えてくれない?」
びく、と森原が肩を震わせた。
「き、君は生田の知り合い……?」
「うん、まあね」
ごまかすしかなかった。彼が死んでから知り合ったと言っても信じてくれないだろうし。
森原は相変わらず震えている。恐怖に染まった表情で、私を見上げてきた。
「生田は……死んだよ」
「知ってる。でもどうして死んだのか、教えてほしいの」
けれども森原は激しく首を振った。
「し、知らないっ。僕は何も知らないよ。じ、自殺だって警察が。バラバラになって、死んでたって」
「――?」
彼の言葉にはとても違和感を覚えた。
バラバラになって死んだ、自殺。この情報を総合すると、つまり生田は飛び降り自殺したことになる。
でもどうして? 死ぬ瞬間以外の生前の記憶がある生田なら、悩みを抱えて自殺したわけではないだろう。
衝動的にとも考えられたが、怯えているような森原の様子を見てその筋も違うのではと思えた。
森原は、何かを隠している。
「森原、おい森原。バラバラってどういうことだよ、教えろよ!」
しかしその声は私以外には届かない。
そして直後、学校のチャイムが鳴った。
「あっ、行かなくちゃ」
私は慌てて森原の前を離れる。
悔しいが、今は撤退する他にない。
森原はホッとした顔をしていた。
「でも、またいつか問い詰めてやるんだから」
名残惜しそうにする幽霊の少年を引き連れて、私は自分の教室へ走り戻った。
△▼△▼△
それから数日経ったが、進展はゼロだ。
あれ以来森原と出会えていない。昼休みに行っても、全然いないのだ。
逃げたんだろう。でも私も生田も、彼がいつも休み時間にどこへ行っているのか知る由がなかった。
――どうして私はこんなにも苦労しなければいけないのだろう。
私は毎日そう思い悩んでいた。
元はと言えば全く関係のない少年の幽霊を成仏させるためだ。いつ投げ捨てたって構わない、そんなことのはずなのに。
けれど、日を重ねるうちに、生田と私の距離がぐんぐん近くなっていくのを感じていた。
さすがに初日以外は私の家に泊めることはしなかったけれど、朝起きたらいつの間にか生田は目の前にいて、そして夕方に別れるまでの間、ずっと一緒にいる。
幽霊だとしても相手は男だ。
私はいつも彼を意識してしまっていた。そして暇さえあれば、言葉を交わしてしまう。
彼がどんな人生を歩んできたのか。
好きな人はいるか。部活は何をしているのか。
まるで仲のいい友達みたいに、何でも話せた。何でも話していた。
いいや、『友達のように』という表現は正しくない。
私はすでに気がついていた。自分が、生田に恋心を抱いてしまったのだと……。
△▼△▼△
人ならざるものに愛を寄せるなんて、馬鹿みたいな話だ。
いつまでも一緒にいられるわけがない。いつか、彼は悪しきものに侵されていき、悪霊と化す運命にある。
その前に成仏させることが必須であり、だからこそ私は行動しているはず。
なのに一方で、それを阻止したい気持ちが芽生えていた。
もっと話したい。もっと傍でいたい。だから、離したくなんてない。
こんな気持ちは初めてだった。
人間に恋したこともなかった私が、もののけに心奪われるなんて。
馬鹿だ、馬鹿だ、大馬鹿だ。
でも抑えられなくて、鼓動がうるさいくらいに高鳴っている。
どうしたら、と心が叫んでいた。どうしたらこの沼から抜け出せるだろう? しかし答えが出ぬまま、時があっという間に過ぎていく。
そして彼と出会って十日が経ったこの日、事態は大きく動く。
△▼△▼△
「……はいこれ千円。だから今日も」
「わかってるよ……」
昼休み、どうしようもない恋心に頭を抱えながら私が廊下を歩いていると、突然そんな会話が聞こえてきた。
片方は知らない少女の声。そしてもう片方は、
「森原くんだわ……」
声がした方を覗いてみると、そこはトイレだった。
ひと気のない男子トイレと女子トイレの狭間、そこに二人が立っている。
少女の方は気が強そうな目をしていて、森原は相変わらずビクビクしていた。
「あいつら、何してるんだ?」
そう言って近づいていこうとする生田を、私は止めた。周りに見えないことはわかっているが、静かにしてほしかったからだ。
一方の私は慌てて身を隠し、耳を澄まして盗み聞きすることにした。
「……最近、二年一組の女の子がやってきて問い詰められたんだけど……」
「そんなの気にすることないわよ。アンタが口割らなきゃバレないことなんだからぁ。おわかり?」
「う、うん……」
二年一組の女の子、それは私のことであろう。
陰から見ていると、立ち話をする彼らの周りには黒い悪魔のようなものがたくさん蠢いていた。
もちろん二人には見えていないのだろうけれど、あれは大体悪人の周りに寄ってくる化け物だ。あいつらがいることが、森原たちがよくない話をしていることの証左になる。
私は唇を強く噛んだ。
行くべきか、逃げるべきか。
きっと今逃げてしまえば、全ては闇に包み隠される。そうすればきっと、ずっとこのままでいられるのだ。
そんな考えに走ろうとする自分を、私は寸手で収めた。
それでは何もいいことにはならない。このまま有耶無耶にしていたって、それは私の身勝手に終わる。
だから――。
「あなたたち、何を話してるの?」
私は思い切って、トイレの中へ突入した。
△▼△▼△
「う、うわぁっ」
森原が驚いて声を上げる。
もう一人の女子も目を見開いた。「あ、アンタ誰よっ」
私は悪魔たちをかき分けて彼らの前へと進み出る。そして、言った。
「私は妖魅。生田くんの友達よ」
「はぁ!? なんでそんな人間がここに!」
金切り声で少女が怒鳴る。
狼狽えてしまって森原は何も言えないようだ。
「あなたたちのさっきの話、聞いていたわ。森原くん、ズボンの右ポケットに千円札を入れているわね?」
森原が「どうして」と呟いた。
どうしても何も、全部見ていたのだから当然だ。それに、ポケットからたくさんの『金の虫』と私が勝手に名付けた怪異たちが湧き出ていた。
「出しなさい」
「ひ、ひゃいっ」
怖い顔で詰め寄ると、すぐに堪忍して森原が金を取り出した。
千円札がピロリと一枚。私はすぐさまそれを奪い取った。
「これはあの子からもらったのよね? 口止め料、そうでしょう?」
今にも倒れそうな蒼白な顔の森原。彼は激しく首を縦にガクガクと振った。
「ちょ、森原! お前何を」
残念ながら、生田の声は私にしか聞こえない。
「今から暴くから」と背後の少年に言って、私はさらに森原を追い込む。
「あなたは生田くんの死の真相を知ってるわね? さあ、全て吐いてしまいなさい。もし拒否するなら、私は警察へあなたたちを突き出す。それでもいいのかしら?」
私がやっている行為は、脅しに他ならない。
でもそれもこれも、哀れな幽霊の少年を成仏させるためだ。負けてはいられなかった。
私のあまりの剣幕に耐え切れなかったのだろう、森原はうずくまってしまった。
「僕は……僕は、そうだ。見ていたのに、見ていたのに助けられなかった……。僕は、生田を」
「な、何言ってるのっ。アンタ、色々勝手にやってくれてるけど、これは一体どういうつもり!?」
「その言葉、そっくりあなたに返すわ。そういえば私に名乗らせておいて、あなたの名前はまだ聞いていないわね。――犯人さん、ここにいる生田くんに思い出させてあげて。彼の死の原因を」
その瞬間、強気に引き結ばれていた少女の唇が、だらしなく解けた。
△▼△▼△
少女――渡部は前々から生田に好意を持っていたのだとか。
「とっても好きだった」と彼女は言う。「それに、アタシのことをよく見ていてくれた。だから、運命の人だって思ってたのに」
ある日、意を決して屋上へ彼を呼び出し、告白をした。
しかし答えはあっさりNOだったらしい。生田が渡部の方を見ていたとかいうのはただの勘違いでしかなく、女としては見られていなかったそうで。
「だから……だからアタシは、生田さんを殺したのっ。あ、あっちからアタシを裏切ったんだから、何も構うことない! 気づいたら突き落としてて、それで……」
そこを、森原に見られたのだという。
そしてそれから毎日のように賄賂を渡し、口止めをしていたのだ。殺人を犯しておいて平気で生きていたとは、おぞましい話である。
「あっ」と言って、生田も全てを思い出したようだった。
「そうだ、俺、告られたのを断って、突き落とされて……、最後に、森原の顔が見えた」
そこで意識が途切れ、以降は覚えていないとのことだった。
途端に渡部が泣き出す。「バラさないでぇ、バラさないでぇ」と。
別に私は、森原はともかくとして渡部を許すつもりは毛頭ない。殺人をしたのだ、相当に償うべきである。
しかしそれは一旦後回しにしよう。大切なことは、他にあるのだから。
△▼△▼△
「生田くん、これで無念の意味がわかったわね」
「ああ……。俺はきっと『死んだ記憶』が思い出せてなかったから、成仏できてなかったんだろうな。……ほら」
見ると、生田の半透明の体が、さらに薄くなっていた。
私は慌てて彼に縋り付く。しかし伸ばした手が触れることはなく、するりと抜けていった。
成仏してしまう。
本当なら嬉しいことのはずなのに、私の胸はキツく締めつけられていた。
「ありがとう。これで俺、やっと天国に行けるよ」
対する生田の笑顔はとても柔らかだ。
未練が失われて安堵しているのだろうか。本当にこの世界に思い残すことは、ないのだろう。
わかってはいる。この気持ちが、片思いだってことくらい。
ずっと黙っておくつもりだった。けれど私は、堪え切れずに叫んでしまっていた。
「行かないで、行かないで! 待って、私、生田くんと離れたくない!」
――人ならざるものを愛している。
それがどんなに愚かなことと知っていても、この感情は本物で。
「ずっといて。私のそばに、いてちょうだい。触れられなくてもいい、言葉を交わせるだけで充分よ。だから……」
涙が溢れる。声が震えた。
きっと背後で縮こまる渡部や森原たちには、私が狂人にしか見えないだろう。それでも構わない、私は呼び続ける。
「行かないで」
緩んでいた生田の表情が、一瞬戸惑いの色を見せた。
きっと突然すぎて、何を言っているのかわからないのだろう。
私がどこまでも勝手なのはわかっている、でも最後にこの思いを伝えなくては。
「好きなの。私、生田くんのことが好きなの。だからお願い」
薄れゆく彼をじっと見つめる。
彼も私に視線を向けていた。しばらくの沈黙が流れたが。
「……無念がまた、できちまうじゃないか。仕方ないやつだな、あんたは」
最後の瞬間、生田はふふっと笑った。
「俺も、妖魅のことが……」
△▼△▼△
――生田は全てを言い切る前に、虚空へと消えた。
後には何も残らない。彼の残像を手でなぞりながら、私はただ呆然と立ち尽くしていた。
後日、渡部はしっかりと処分を受け、少年院に送られた。森原も罪は軽いが同様だ。
そうして全てが片付いた今も、私は生田のことが忘れられない。
成仏したと知っているのに、今でも彼がすぐそこにいるような、そんな気がしてしまうのだ。
そして、心の大穴を抱えたままで、高校の帰り道を歩いていたある日のこと。
そこに、明らかに異様な影を見つけた。
片腕のない、全身血まみれの幼女。六歳くらいだろうか。
どう見ても生者ではない。
彼女は丸い瞳をこちらへ向けると、可愛らしい声で話しかけてきた。
「おねえちゃん、わたし、まいごになっちゃったんだけど……」
人ならざるものたちは、私に落ち込む隙間も与えてくれないようだった。
また面倒ごとになるのか。そう思う反面、私は何の躊躇いもなく、女の子に歩み寄っていった。
「どうしたの? 私に手伝えることなら協力するわ」
自分の頬に笑みが浮かんでいることを、私は気づかない。
新たな物語が幕を開ける予感がした。