02
衝撃の日から一夜明けた早朝。翠燕はコツンコツンという音に目を覚ました。窓に何かあたる音だ。辺りは夜が明けたばかりで薄暗い。深李が部屋へ起こしに来るまでにはまだ時間がありそうだ。
「誰?」
小さく投げかけた声にも返事はない。ただコツンコツンと断続的に音は続く。翠燕はそっと寝台から抜け出すと、警戒しながら庭に面する窓に近づいた。
「!」
窓の外にいたのは一羽の烏だった。しきりに嘴で窓を叩いている。驚きながらも翠燕が窓を開けると、ぴょんぴょんと部屋に入ってきた。嘴に白い何かを咥えている。
「ねぇ、あなたはあの時の子?」
勿論喋るはずもないのだが、翠燕はしゃがんで烏に目線を合わせると、そう聞いてみた。烏はしばらくじっと翠燕を見ていたかと思うと、口に咥えていたものを翠燕の足元に置いた。
手に取ってみると細く折り畳まれた紙だ。中に文字のようなものも見える。
「これは私宛?」
読んでいいのかと聞いてみると、今度は返事のようにクルルと烏の喉が鳴った。開いてみると中身は手紙だった。
「この烏を助けてくれた者へ…」という書き出しで始まり、助けた烏は手紙の主の子飼いの烏だったこと、保護したことへの感謝が綴られていた。筆跡と文面から察するに男性のようだ。また手紙の中にはこの五年間、国を離れていて連絡ができなかったことが謝罪と共に添えられており、文末は今回のことへのお礼がしたいと結ばれていた。手紙の隅に書かれた「山仙」とは送り主の名前だろうか。
目を通している間も、件の烏は大人しく翠燕を見上げていた。
「お礼と言われても…うーん」
読み終えた手紙の内容にどうしたものかと翠燕は困ってしまう。その様子を心配したのか烏は翠燕の肩に飛び乗ると嘴を翠燕の頬に擦り寄せた。
「ふふ、あなたが元気になってよかった。また会えて嬉しいわ」
いずれにしろこの五年間、翠燕は烏の安否を心配していたのだ。ここまで飛んできたのだろうから、怪我はすっかり良くなったのだろう。次いで烏は室内の文机に移動すると、硯箱をコツコツと叩いた。どうやら返事を催促されているらしい。よく調教されているのか、とても賢い。
烏に促されるまま文机に座った翠燕は文面を考えながら墨をする。季節の挨拶からはじめて、手紙のお礼を綴る。山仙が送り主の名前であるかの確認と、次いで烏にも名前があるのか問うてみる。お礼はいらないことを丁寧に伝えながら、ふと昨日の一件が思い出された。
「"お礼の代わりに、差し支え無い範囲で異国の話を教えていただけませんか?"と」
そこまで書いて筆を置く。これからヴィエレト国のことを学ぶにあたり、彼の国のことでも、それ以外の諸国のことでも、国外のことに興味を持たなければと思ったのだ。この手紙の主がどの国にいたのかは分からないが、聞いて損はないだろうという考えだった。末尾には名前から取って燕とだけ記し、もらった手紙と同じように細長く折っていく。この間にも日が昇りはじめ、あたりは段々と明るくなってきた。もうすぐ深李がくるだろう。深李も一緒に烏の保護を手伝ってくれていたが、翠燕が烏の主に手紙を送ることにいい顔はしない気がした。
手早く硯箱を片付けると折った手紙を烏に渡して、窓を開く。
「来てくれてありがとう、烏さん。気を付けて帰るのよ。あなたのご主人にお願いね」
きた時と同じように手紙を器用に咥えた烏は再度喉を鳴らすようにクルルとなくと明方の空に飛び去っていった。
その後、数分と間を置かずに起こしにきた深李に、翠燕は手紙のことを省いて一連のことを伝えるのだった。