贄
短い夏の終わり。わたしは多くの骨を屠りに行く。いつものように。流れのゆるやかな、浅い川の中へ。
ナダが言う。悲しみを表に出すのは愚か者の仕業だと。そんなことは言われなくても判っている。
何の感傷も感慨もない。これは弔いですらない。単なる仕事に過ぎない。
ケリの死を、昨日知らされた。彼は一昨日、丘の上に引き出されたのだ。何人もがそれを見ている。
足元には枯れたザビアの枝が鬱陶しく纏わる。そうして軽やかに彼を誘ったのかもしれない。
どうして彼がそれを選んだのか。どうして秘密を口にしたのか。
わたしにはケリの心が判らない。そしてそれは、もうこの村の何処にもない。
バケツは妙に重たい。今日が当番で良かったとわたしは思う。少なくとも、手順を間違ったりはしないから。
肉を撒けば鳥が集まる。骨を撒けば魚が飛沫をあげる。彼等は何もかも承知の上で、あの年若い男の生身を食む。
父さんも同じように川へ戻された。母さんはまだ生きているけれど、あの人には、丘に上がる甲斐性すらない。
死を選べるものはまだ幸せだとケリは笑った。その額から滴る赤。彼の種族の色は赤に決まっていた。
鳥は無心に頬張り、魚は悪意を持たない。彼等は彼等のなすべきことをしているまでだから。
わたしの種族は白。代々そう決められている。だから初めから、彼とは交わりを持つことは出来ない。
それでもあの月の夜、彼はわたしを連れ去りに来た。ただ一夜だけの繋がり。それを拒む術などなかった。
一昨日の丘には沢山の人。多くは白を滴らせる大人ばかり。彼の一族から、選ばれた者だけがそこへ上がる。
きつく結ばれた手首。さらに掌に穴を穿つ。生暖かい獲物と一緒に、縄で繋ぎ合うために。
皿に盛られた料理に、わたしは殆ど手をつけなかった。何かが込み上げる。吐く。彼の爪が、地面に転がった。
骨は、わたしの額と同じ色。流れずに、水の底へ澱んで沈む。深く、深く。やはり流れはしない。
思い付いて、一つ口にする。灰の味しかしない。完全なる無機質。父さんのものと同じ匂いがした。
種族など最初からなかったのではないか。わたしは訝しむ。でなければ、同じ味がする筈がない。
考え過ぎるのがお前の悪い癖だと、ナダはいつもわたしを咎める。でも。果たしてそうだろうか?
青い水の中に、ケリが溺れていく。わたしは無心に眺める。指先でそっと触れると、魚の鱗がきらりと光る。
軽くなったバケツをもう一度振ってみる。白い粉が舞うばかりだ。夜の闇にはまだ遠い。鳥が騒ぐ。
血のような夕焼け。ザビアの枝はいつもこの色だ。丘には、選ばれた者しか上がれないから。
誰もがいつも腹を空かせている。けれどわたしはそれを感じない。真っ白な月の夜からずっと。
最後の灰を口にしたせいか、腹は少し重かった。無意識にそれを撫でながら、その中にケリを感じる。
―― いっそ、ナダに言ってやろうか?証拠はわたしの中にあると。
―― いや。よしておこう。何を言ったところで、あの人は聞きもしないだろうから。
わたしの中の彼は言う。誰にも悟られるなと。誰かがいつも、嘘をついているからと。そんなことは判っている。
全てを流し終えたあと、わたしは立ち上がる。怪しまれないように。慎重に帰らなければならない。
軽くなったバケツと、幾分重たい腹を抱えて。真っ赤な空の向こうに、仄青い三日月を眺めながら。