タピオカとチアシード
チアシードが初めてタピオカを目にしたのは、ミルクティーの中でした。
水面に軽々と浮かぶチアシードに対して、タピオカはコップの底に重々しく居座っていました。チアシードは、薄橙の濁りのなかからちらちらと見えるタピオカのオーラに圧倒されました。一度話してみたい、と思い、試しに声を掛けたことがありました。しかし、その声は虚しくミルクティーの濁りに溶けていくばかりでした。そうしてついには願いが届くことはありませんでした。
それからしばらく経ったある日、チアシードは自分が大きくなることができるということに気が付きました。大きくなることは一つの夢だったのです。突然夢が叶ったことにチアシードは、大喜びでした。
更にもう一つ、喜ばしい出来事が起こりました。身体が大きくなったことによって、沈むことができるようになったのです。沈むことができるのならば、憧れのタピオカと会話をする機会を得られるだろう、とチアシードは身体をぷるぷると振るわせて歓喜しました。
あくる日、チアシードは再び、タピオカと一緒のミルクティーに入る機会を得ました。今日こそは、と勇んでいました。コップの底でどっしりと構えるタピオカを目線を合わせて、チアシードは、ふわふわと漂いながら底面へと向かって行きました。その間は、時間が異様に長く感じて、いつになっても底へ辿り着かないのではないだろうか、と不安になる程でした。
タピオカとの初対面はチアシードにとって、とても気恥ずかしいものでした。底面まで辿り着いてみると、タピオカはチアシードが想像していたよりも遥かに大きかったのです。すっかり自分はタピオカ程の大きさになったものだと思い込んでいたので、昨日まで想像の中でこつこつと積み重ねてきた計画が土台から崩れてしまったのです。意気消沈しているチアシードに対して、そんな状態であることを全く知らないタピオカが、声を掛けてきました。
「はじめまして。私、タピオカと申します。不束者ですが、どうぞよろしくお願い致します」
人気者とは思えぬ低姿勢な挨拶でした。チアシードがタピオカに対して張っていた緊張の膜は、ミルクティーの薄橙に溶けていきました。
この日、二人は多くの言葉を交わしました。チアシードはタピオカ本人へ、憧れの存在であるということを告白しました。タピオカは黒色を濃くして照れている様子でした。人気に対する謙虚さが更に魅力を増幅させていました。チアシードのタピオカに対する憧れは益々大きくなりました。
その晩から、チアシードは、火が付いた様にタピオカを目指し始めました。その勢いは凄まじく、日に日に大きさを増していき、ついには大きさだけではなく、姿形そっくりそのままタピオカと同じになりました。
チアシードはタピオカになったのです。
それからというもの、胸を張ってミルクティーの底へ沈む毎日を送っていました。しかしそんな幸福な時も長くは続かず、次第にタピオカの人気に陰りが見え始めたのです。そうしてついには、誰もタピオカを飲む者はいなくなってしまいました。まだタピオカになったばかりのタピオカは、あの日出会ったタピオカにまた会いたくなりました。悩みを話し合いたかったのです。しかし、どこを探しても見つけられませんでした。
気づけばあれから長い月日が経っていました。久々にタピオカが飲まれる日が来ました。チアシード入りタピオカココナッツミルクでした。タピオカは昔、自分がチアシードであったことなど、とうに忘れ去っていました。昔の勢いも消えて、ぼーっと、ココナッツミルクの濁りを眺めながら沈んでいきました。
「はじめまして、私、チアシードと申します。不束者ですが、どうぞよろしくお願い致します」
沈んでいく途中、横から聞こえてきました。タピオカは何かを思い出しそうになりましたが、思い出せませんでした。チアシード、チアシード。タピオカは頭の中で反芻しました。最近、チアシードが人気になっている、という話をタピオカは聞いたことがありました。タピオカはチアシードになりたい、と思いました。完。