2.再会
「ーー相手は我が王国の宮殿に忍び込み、あまつさえ騎士団長殿を辱めた大罪人だ!絶対逃すな!」
「「「はっ!」」」
ひげを生やした大男の命令に、軍服を着た衛兵達が隊列を組んで路地裏を駆けてゆく。
その路地裏の奥の奥、迷路のような路地の細道に鋭斗はいた。
鋭斗は別にここにいたいわけではない。
むしろ一刻も早くここから出たい。
そうだというのに鋭斗がここにいる理由、それは現在衛兵に追われているお尋ね者、それが鋭斗のことだからである。
「はあ…もうムリ、動けねえ」
鋭斗は近くにあった井戸の甕から水を手ですくい、そのままばしゃっと顔にかける。
そうすることでいくらか火照った身体の熱は冷めたが、鋭斗の表情から疲労の色は消えなかった。
それも仕方のないことだろう。
鋭斗は宮殿を脱出してから、実に4時間ほど走り続けたのだから。
そのせいで、鋭斗が着ていた服はところどころで擦れもうボロボロである。
「こんな格好でいたら怪しまれるし、早く逃げなきゃなんだけど…っ!」
地面に手をつき立ち上がろうと試みるも、力が入らず倒れこむ鋭斗。
もはや足は痺れて言うことを聞かない。
もう逃げるのは不可能だろう。
いっそ自首してしまおうか。
鋭斗はそう考え始めていたし、どうせ逃げ切れないなら逃げようが逃げまいが一緒だ。その判断は正しい。
しかし、鋭斗には一つ不安があった。
(この国の法律って、どうなってるんだ…?)
石畳の道路や建物、馬車や道行く人々の不思議な服装。
逃げる途中それを見て鋭斗は確信した。
ここは、日本ではないと。
さらに言えば度々聞くアルカドア皇国という言葉、だが実際地球上にはそんな国は存在しないはずだ。
つまり、ここは異世界である可能性が高い。
そうなると、法律やマナー、文化も地球とは違うだろう。
だから鋭斗は見つかれば即刻死刑かもしれないのだ。鋭斗はそこが唯一気がかりだった。
いや、もう一つ心配ごとはある。
気を失いかけたとき一緒にいた妹 七海の安否だ。
日本にいるのなら良いが、もしこちらに来ているのだとしたらどんな目にあっているかわからない。
そう考えると、七海を探さずにはいられない。
そのためには、ここで捕まるなんてことは出来ないが…
そんな考えごとをしていた時だった。
近くから、ばたばたと足音が聞こえてきたのだ。
「まずいっ!」
その音は徐々に大きくなっていく。
衛兵達が鋭斗に近づいてきているのだろう。
とにかく、捕まったら死ぬかもしれない状況でそうやすやすと捕まるわけにはいかない。
鋭斗はなんとか身体を叩き起こし、壁を支えにして立ち上がる。
だが、そこまでだった。
(あ、れ…?)
それは当然というべき現象。
普段運動をせずめったに外に出ない鋭斗が、いきなり何時間もぶっ通しで走り続ければ、身体は異常をきたしほとんど使いものにならなくなる。
実際鋭斗は急激な身体の不調を感じ、吐き気やめまいといった症状が出始めていた。
意識も混濁としてきて、もはや立っていられず鋭斗は盛大に地面に倒れ込んだ。
「ぐっ…」
その拍子に舌を噛んだのか、口の中に鉄の味が広がった。
だがその感覚も徐々に消えていく。
そして鋭斗は今度こそ、意識を完全に手放した。
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「ーーーか?あの、大丈夫かい?」
「うおっ!」
鋭斗が目を覚ましたのは、こぢんまりとした部屋のベッドだった。
見慣れない景色に驚き、鋭斗はばっと跳び起き辺りを見回す。
机や椅子、燭台など最低限の家具しか置いていない質素な部屋だ。
そして鋭斗の隣には、茶色の短髪が爽やかな印象を与える、緑眼の青年が椅子に腰掛けていた。
「よかった、目が覚めたんだね。」
「うっ…あなたは…?」
「そういえば自己紹介がまだだったかな?僕の名前はファルディープ。エイトが家の前で倒れてたから、ここに連れて来たんだよ。」
「…!それはどうもありがとうございま…って、なんで俺の名前を?」
「ああ、それはですね…」
「ーーファルさん、水持って来たよ…ってあれ、もう起きたの?」
鋭斗の質問にファルディープさんが答えようとしたところで、突然部屋の扉が開け放たれ、一人の少女が入ってくる。
鋭斗はその少女の顔を見るなり、あっと驚きの声をあげた。
なぜなら、その少女が我が妹、七海だったからである。
「七海!無事だったのか?」
「うん、森で迷ってたところをこの人達に助けてもらって。あと兄ちゃん、脱水症状になってたけどどうしたの?」
「い、いやーそれはその…」
言えない。
女子トイレの個室に忍び込んで追われてたとか言えない。
鋭斗はどう説明しようかと悩んだが、ありがたいことに七海はそう深く聞いてこなかった。
「とにかく、この水飲んで。まだ体調万全じゃないでしょ?」
「ああ、ありがとう」
七海から水が注がれた木製のコップを受け取り、一気に飲み干す。
それだけで体のだるさ、倦怠感は薄れ幾分か良くなった。
「っはあ……ファルさん、本当に助かりました。ありがとうございます。何かお礼させてください。」
「いやいや、そんな大したことしてないから大丈夫さ。それと敬語使わなくてもいいんだよ?」
「そういうわけには…っそうだ、なあ七海、俺のリュック持ってないか?」
「うん、持ってるけど…はい。」
「ありがとう。えーと…」
受け渡されたバッグを弄り、探し物をする鋭斗。七海とファルさんは、その様子を不思議そうに見ている。
「…あった。あのこれ、実家へのお土産だったんですけど、よかったら受け取ってください。」
「『ぴよ子まんじゅう』…?なんだい、これ?」
「中に甘いあんがつまったお菓子です。ぜひ食べてください。」
「甘いものか!いやーうれしいな、ありがたくいただいとくよ。じゃあ今からお茶の準備してくるからね」
そう言うとファルさんは、手にお菓子を持ってそそくさと部屋を出て行った。
すると部屋の中は、必然的に鋭斗と七海の2人きりになる。
そのタイミングを見計らったのか、ファルさんが部屋を出るなりすぐさま七海は鋭斗に耳打ちしてきた。
「…ねえ兄ちゃん、今の状況、どういうことかわかる?」
「いや、正直よく分からん」
「うん、私もわかんない。でも、この世界のことはファルさんに聞いたからなんかわかんないことあったら教えるけど?」
「この世界…ってことはやっぱりここ異世界なんだな?」
「そうみたい。んでここがアルカドア王国の首都リーゼってとこらしいの。他にも国があるみたいだけどそこまでは聞いてない。あ、私達遠くから来たって設定だからよろしく」
淡々と説明していく七海。
遠くから来たという設定も、異世界から来たといっても信じてもらえないからだろう。
存外、妹は頭がいいのかもしれない。
「にしても落ち着いてるなお前。どうしたんだ?」
「なんていうか…ありえなさすぎて逆に冷静になっちゃうんだよね。よくわかんないけど」
「そうか…で、あのファルさんってどういう人なんだ?」
「んー、優しい人だよ、見ず知らずの私達を助けてくれたし。あとこの家に3人で暮らしてるらしくて、なんでも冒険者パーティをやってるらしいよ。」
「冒険者…まんま異世界って感じだな」
そのいかにもな世界観に、鋭斗は半ば呆れる。
とはいえ、このまま元の世界に帰れなければいずれ仕事を探さなくてはならなくなる。
ひょっとしたら、鋭斗も近々冒険者になっているかもしれない。
今のうちに鍛えたほうがいいのだろうか…
鋭斗がそう悩んでいるうちに、こんこんと扉がノックされ、ファルさんがお茶を持って登場した。
「さあ、お茶の準備が出来たよ。みんなでおやつにしようか。」
鋭斗と妹の手を引っ張り部屋の外へ連れ出そうとするファルさんは、そういってにこっとはにかんだ。