11.ミスティアの過去
ミスティアが洞窟に入れなくなったのは、今から3年前のことらしい。
その日いつもどおり森を探検していたファル達は、とある洞窟を見つけ中に入った。
しかしそこの洞窟はかなり脆く、戦闘の際壁が崩れ、ミスティア一人が洞窟に取り残されてしまったのだ。
暗い洞窟で、魔力も尽き光を出すこともできない。
そんな空間でミスティアは、魔物に襲われる恐怖に怯えながら実に30時間以上をそこで過ごしたそうだ。
それは彼女にどれほどのトラウマを植え付けたのか、俺には分からない。
ただその時から、ミスティアは洞窟に入ると魔法が使えなくなってしまったようだ。
「その時はファル達が助けてくれたんすけど…それから何日か後洞窟に入ると手が震えて、魔力操作もできなくて…」
実際、今もミスティアの手は震えている。
確かにこの精神状態では魔法を使おうとしても難しいだろう。
「…わかった。ミスティアはここに残っていてくれ。俺が行く」
「そんな!洞窟の中のモンスターは強いんです、エイトが行ったら絶対死にますよ!」
「ファルは俺の命の恩人だ。放って逃げるなんてことはできないし、さっきスキルも手に入れたんだ。大丈夫だよ」
袖を掴むミスティアの手を離し、俺は洞窟へ一歩ずつ進んでいく。
洞窟へ入ると、ミスティアも追ってはこれないのか戻ってきてくださいと入り口の前で叫んでいた。
その声が聞こえなくなるくらいまで来た頃。
俺は辺りを警戒しながら進んでいた。
洞窟内は暗く、それを具現化した懐中電灯でなんとか照らしながら歩いている状態だ。
ひんやりとした冷気が肌を撫で、少し不気味さを感じる。
そんな薄暗い通路を出ると、少し開けた場所に出た。
向こうにはかなり大きな空間が見える。
おそらくあそこがファルさんの作った洞窟の休憩所だ。
急いで向かいたいが、走ろうにも足元にはいくつか落とし穴のようなものがあり、もし俺が落ちれば命はないだろう。
また、脅威はそれのみではなかった。
(これは…コウモリか?)
ライトで照らすと、天井や横の壁に至るまで壮絶な数のコウモリが張り付いているのが分かる。
寝ているのか襲いかかっては来ないようだが、音を立てればすぐに目覚める。
俺は忍び足で、慎重に洞窟内を歩き進んでいくことにした。
しかし休憩所が手前まで来た時、誰もが安堵するその時が一番危ないということを鋭斗はまだ知らなかった。
「…あっ!」
少し油断していた鋭斗は足を踏み外し、穴に落ちそうになる。
寸前で体勢を立て直したが、ライトは下へ真っ逆さまに落ちていってしまった。
不幸というのは連続するもので、ライトの落下音は洞窟内に大きく響き、その結果恐れていた事態が発生する。
『ピギャーーーー!!』
今まで鋭斗に気がつかなかったコウモリが、一斉に襲いかかってきたのだ。
俺は持っていた大剣で必死に振り払うも、小さく数の多いコウモリには効果が薄い。
やがて結構な数のコウモリが鋭斗の身体を狙って集まってきた。
「痛っ!」
そんな戦闘中に鋭い痛みを感じ、鋭斗は小さく叫びを上げた。
見ると、一匹のコウモリに右腕が咬まれている。
そのコウモリは決して腕を離れることはなく、よく見るとその牙俺の血を吸っているようだ。
「くっ、きりがない…!ここは一旦逃げるしか…」
追ってくるコウモリをなんとか振り払いながら、鋭斗はすぐ近くの休憩所を目指した。
休憩所は洞窟に入ったパーティが作るもので、生息するモンスターの嫌う匂いのお香を焚くことで魔物が入ってこれないようになっている。
その効果は強力で、現に鋭斗に喰らい付いていたコウモリも休憩所に近づくにつれ離れていく。
そして鋭斗はついに休憩所へたどり着き、一匹もコウモリがついていないことを確認するとへなへなとその場にへたり込んだ。
体がいつになく重い。
血を大量に吸われたのか、視界も朦朧としてきた。
だがこんなことで立ち止まっているわけにはいかない。
もしかしたら今ファルや七海が殺されようとしているかもしれないのだ。
鋭斗は壁に寄りかかりながら、ずるずると自らの体を引きずってなんとか進む。
「はあ、はあ…」
だがやはりダメージは大きかったのか、十分程度歩いたところでついに鋭斗は倒れこんだ。
今度は足どころか、指一本動かない。
そんな中意識だけはいやにはっきりしていたが、そのせいで耳がある音を捉えてしまった。
それはまるで、重い身体を引きずるような音。
徐々に大きくなっていくその音は、こちらにだんだんと近づいていることを示していた。
(これは、モンスターか…終わったな)
鋭斗の歪む視界が捉えたのは、壁をすれすれで通る程の巨体。
漆黒の鱗に覆われた巨大な蛇であった。
このモンスターの正式名称は黒蛇。
鉄をも溶かす強力な腐食毒を持ち、それを吐くことで攻撃する。
到底満身創痍の鋭斗が立ち向かえる相手ではなかった。
(死ぬのか、俺は?)
黒蛇が口を開け、立派な毒牙を見せつけてきた死の直前になって、鋭斗は後悔した。
遠征に行くのをやめていれば。
俺が余計な心配をしなければ。
あのときミスティアと一緒にいれば。
俺は、生きていられたかもしれないのに…
「馬鹿か俺は…!」
そこまで考えて、鋭斗は自分を殴り飛ばしたいぐらいに怒った。
もしあそこで俺が助けに行かずファル達が死んでいたら、俺はもう生きてはいけなかっただろう。
たった数日の付き合いだが、ファルは俺なんかより有能でいい奴だと分かった。
それはファルだけじゃない、七海やセレンもだ。
そんないい奴らを助けに行った俺も誇っていいはずだ。
最後くらい、胸を張っていい奴として死のう。
そう覚悟を決めた鋭斗。
寸前まで蛇の頭が近づいてきている。
しかし鋭斗の心は妙に落ち着いていて…
「ヘルファイヤ!」
その声が聞こえた瞬間、一瞬にして蛇の頭が消し飛んだ。
断面はぷすぷすと焦げ、炎によって頭が燃やされた痕跡が残っていた。
間違いない、これは…
「ミスティア…!?」
「私、やめとけって言ったじゃないっすか。それなのにエイトは進んでって、案の定死にかけてるし。だから仕方なく私が来てあげたんすよ」
杖を片手に佇むミスティアは、いつも通り偉そうな口調でエイトに語りかける。
しかしその両手は震え、魔法も万全とは言い難い威力だった。
おそらく、相当無理してここまで来たのだろう。
「ミスティア、なんでそこまでして…」
「それはこっちのセリフっすよ。なんで死にに行くような真似するんすか。そのせいで私も洞窟に入らなきゃいけなくなったんすから」
「それは…」
「…でも、ありがとうございます。後で死ぬほど後悔するとこでした。だから絶対ファルとセレン、ナナミも全員助けるっすよ!」
ぐっと親指を立てるミスティア。
気丈に振る舞う彼女に俺は、歯を食いしばって立ち上がった。
「…ああ、絶対に、全員助ける!」
洞窟の中心部。
多くの冒険者が命を落としたその場所で、鋭斗とミスティアは希望を胸に誓った。