5.三人だけの新士
空中庭園の小館は地上二階、地下……というより枝の洞の中に一階の三階建てで、外側からの印象以上に内部は広く豪華だった。建物の中央は屋根まで続く吹き抜けとなり、それを取り巻く廊下や階段の手すりには、ヒスイと紫水晶で作られた葡萄の蔦が青々と絡みつく。それはあちこちに開いた窓から見える大樹の枝と合わせることで、さながら森にいるような錯覚をもたらしていた。
――なるほど、これはこれはまあ。
ヴェクはその吹き抜けの底、八角形の居間にたたずみながら心中で舌を巻く。
八面の壁には磨きぬかれた大判のガラスによる窓が備わり、そこに映るのは夕焼けに赤く染まった校舎群の屋根の並び。不思議なことに窓ごとに向きや傾きがバラバラで、中には真上から見下ろしたような光景も混じっている。
だがそれも道理だ。フェアラムの簡単な説明によると、ここに見える景色は全て銀仕上げの巨大鏡に映る虚像なのだから。
「部屋全体が仕掛け鏡になっているのですね」
部屋をぐるりと囲むソファーの一角で、くつろいだ様子のソシアが周囲をキョロキョロと見回してはしきりに感激する。その隣に腰かけたラファムも同様だ。
ヴェクは彼女の洞察に感心の口笛を吹く。
「だろうなあ。きっと下からは小さな洞にしか見えねえだろうぜ。ランプにゃ鏡に火が映らんように灯り殺しの板があるし、夜でも星にまぎれるんじゃねえの?」
「気付かれることなく学校を観察するには、まさにうってつけですね」
大規模な仕掛けに興味を持つ者同士、ヴェクとソシアが若干うち解けた様子でうなずきあう。しかし一人だけ、まだ警戒が解けない様子でラファムだけが口を開こうとしない。
そこへ乾いた拍手をしながら、フェアラムが螺旋階段を下りてきた。
「いかにも」
深紅のケープはそのままにワイン色のゆったりしたローブを合わせた楽な格好で、彼女は「どうだ二人とも」と自慢げに周囲にアゴをやる。
「最高です、仕掛けは大好きですから!」
目を輝かせて即答するソシアに、呆れか喜びか肩を上下させるフェアラム。その視線は次にヴェクへと向けられ、彼は頭をかきながら周囲を示した。
「いやまあ、これを疑っちゃいたが……予想よりすげえ代物でビビるぜ」
「ふふ、そうであろう。しかしお前がこちらを見たと思ったが、やはり見まちがいではなかったか。その様子だと暖炉の仕掛け扉にも気付いたのであろう」
「そこは……空き巣の勘ってやつで。扉を隠すなら壁、それも動かせないっていう思いこみを利用するのが手っ取り早い。跡がうっすら壁に残ってたからな、まぁ余裕だったぜ」
あくまでも粗野な物言いのヴェクに、しかし指摘されるつどフェアラムが考え深げにうなずきを示す。ソシアも彼に興味深げな視線を向けていた。
それを突然、ラファムが怒声でさえぎった。
「なにが『余裕だったぜ』だよ! 泥棒が得意げに言ってさ! そんなのまぐれに決まってるよ!」
「はぁ? 仕掛けを見逃した上に力任せに木登りしやがるガキが、青臭いペッタンコの胸を負け惜しみで張ってんじゃねえよ。だいたい泥棒じゃなくて野盗だっつうの! これだからガキのやっかみは始末に悪いぜ」
「ペッタン……てめオッサン、気にしてる、事を……表に出ろ!」
「おぉやるか!?」
「やめい二人とも。見苦しい」
二人の口が言葉の売り買いに白熱し始めたそこへ、フェアラムの抑えた静止が飛ぶ。
「お前らはこれより新士となる身だ。ラフィ、お前はその狭い了見を改めよ。ヴェクはいたずら任せに煽るな。あと言葉づかいに気をつけねば斬るぞ?」
さしもの二人も、フェアラムの手がサーベルに掛かれば大人しく口をつぐむ。しかし同じ沈黙でも、なおラファムは唇を噛んでヴェクを睨むのをやめようとはしない。フェアラムはそれを叱るのではなく、ただラファムのアゴをクイと引いて、視線でたしなめた。
「どうにも得心がいかぬようだな。なればまずは互いに知ってもらうとしようか」
フェアラムが二人にヴェクを示す。
「ラフィ、ソシィ。この男の名はヴェク。無礼な口調からも識れようが辺境の生まれだ。四年前に私が討伐に加わった折、何をトチ狂ってか決闘を挑んできた筋金入りの馬鹿でな。当然のように私に敗れ、命と引き換えにこの学校に入ったのだ」
いろいろと聞き捨てならない言葉にヴェクのこめかみが波立つが、無視してフェアラムが少女たちを彼に示す。
「ヴェク。この二人は私の知人の縁者で、名をラファム・ブネーツタールと、ソシア・ドゥブナフォーエという。まだ十六で成人したばかりだが、私と師弟の契りを結ぶほどの使い手だ。若輩なれど侮る事は許さん。対等の相手として敬意を持って接するように」
縁者と聞いて身内びいきかと気色ばんだヴェクだが、間を置かずにそれを引っ込める。
二人はフェアラムに使い手と言わしめる前から、彼の隠身を見破る、垂直に近い木に登るなど、ずいぶんな芸を披露しているではないか。先ほどは勢いで挑発したが、だからといって全てを侮って済ませるほど愚かではない。
「……わかった、そうするぜ」
「素直でよろしい。二人はこの男について何か言うべきは?」
「いえ、私は特に。ヴェク候補生、どうぞよろしくお願いします」
納得した様子でヴェクと握手を交わすソシア。ふと彼女は不思議そうな目を向けた。
「あの、よろしければ家名を? フェアラおばさまは隠しておられるみたいですけど」
「いやソシア候補生、そいつは……」
「隠したわけではない」
言葉に詰まるヴェクに、フェアラムが横から助け船を出す。
「こいつは生まれ賜った名を知らんらしい。五番というのも野盗仲間の番号、あだ名だな」
そして黙ったままのラファムに対し、なぜか小さくうなずく。
「どうだラフィ、まだこいつを野盗と蔑むか? 愚かとはいえ私に正々堂々挑んだ逸材だぞ」
ラファムは何度か瞳を揺らし、ややあってヴェクに手を差し出した。
「……悪かった、です。ヴェク候補生」
「ああ、まあ、こっちも済まんな。口が過ぎたよラファム候補生」
ようやく交わされた握手にフェアラムが息をつき、ついでサーベルで床を軽く打った。
「三人とも、いつまでも候補生ではあるまい。そこに並べ、新士の号を下す」
フェアラムがそう言いつつ、八面の窓に向けてギラリと殺気に満ちた視線を向けた。校舎のあちこちで篝火が焚かれ、課題を果たせなかった前半合格者たち、いやもはや失格者たち、が教官に説教をくらう姿が鏡に揺れている。
「クソのボンクラ共め」
「教育方針に問題が……いや冗談デス」
そのつぶやきに反射的に軽口を挟みかけたヴェクだが、殺気の余波を向けられあわてて少女たちの横に並ぶと神妙に背筋を伸ばした。
校長はソファーの座面を開くと、物入れから黒の、新品の飾り帯を取る。
「ラファム・ブネーツタール。ソシア・ドゥブナフォーエ。そしてヴェク。我フェアラム・フルールアルムは、此度の働きを持って貴公らを銃士と認める。今こそ学士のケープを返し、誉れの帯を纏い〈卿〉を名乗るがいい」
三人は黙礼して青のケープを外し、代わりに渡されたフェルト地の帯を肩につけた。金銀の糸で刺繍されたそれに、だがヴェクは違和感を覚えて手を止める。たしか銃士の帯には八つの輝きがあったよう憶えているのだが、そこには切れ込みの入ったポケットと、用途の分からない留め具があるばかりだ。
「気付いたか?」
顔を上げると、フェアラムが彼に人の悪い笑みを向けていた。
「いかにも、その帯に銃士の証――銃士の八つの心を象徴する〈織魔水晶〉はまだ嵌っておらん。これから自らの手でつけるのだからな」
「買って付けろってことか? ……ってなんだよ」
「んな訳ないでしょ」「まぁ、そこら辺で売ってはいませんよね」
「秘していたとはいえなぜその結論に達するのか」
的外れな質問を飛ばした直後、ラファムによるツッコミ、ソシアの嘆息、そしてバカかと言わんばかりのフェアラムの憐れみを受け、居心地も悪く後じさる。
「ま、まるで俺が馬鹿みたいじゃねえか。知ってるなら教えてくれたっていいだろうが」
「教えんとは言っておらん。お前がそそっかしく間抜けなだけだ」
オホン、と一つ咳をしてフェアラムが三人の姿勢を正す。
「話を戻すぞ。八つの織魔水晶を帯に戴くために、お前たちは新士の試練に挑まねばならん」
「またテストかよ」
「いちいち口を挟むなヴェク。そも数日程度のテストで適正を計ろうというのが馬鹿げているのだ。とはいえ候補者は絞らねばならず公平を欠く事も許されん。新士の選考などその程度の茶番だ。お前らの資質は今から、真に試されると心得よ」
辟易しながらヴェクを諭したフェアラムが、サーベルで再び床を打つ。そして三人に向け、朗々たる声で命令を下した。
「新士三名! お前たちは今この時より三年のうちに、八人の教導者に会い、その教えを請いその目に適わねばならん。彼らがお前たちに〈銃士の心〉を授けるであろう。教導者がフレアヒェルの何処にいるのかは教えん。探しに行くがよい!」
それに黙礼した少女たちも、そしてヴェクも言われた事を飲みこみかねて瞳を迷わせる。フェアラムもそれは承知なのか、懐から銀箔の押された証書を出して彼らに配った。
「それはお前たちの身分証明であると共に、試練の詳細と禁則も記したものだ。熟読し従い、肌身離さず持ち歩くように」
それぞれの名の入った証書を手に、細かな文字に目を通そうとするヴェクたち。しかしフェアラムがそれは後だと遮ると、赤メノウで飾られた銀の鍵をかざした。
「銃士となったからには渡されるべき物がある。ついてくるがいい」
踵を返すフェアラム。その背中を見つめて、ヴェクは心の中でつぶやく。
――とうとう来ちまったぜ。この時がよぉ。