3.真昼の闇討ち
ある少女たちと険呑な顔合わせをしてから少しあとのこと。
ヴェクは校舎群の外れにひっそりと伸びる人気のない通りを、長身を振りながらゆらゆらと進んでいた。腰に手を当て、情けない表情のまま独り言をぶちながら。
「やれやれまあ、気取られた上に怒らせるたぁ、俺もちょいとヤキが回ったか。とはいえ素直に『二人だけで頑張ってるから気になった』とか言っても、あの調子じゃ殴られるのがオチだったろうしなぁ。あぁやだやだ、ガキってのはどうしてこう面倒かねえ」
先のやり取りの真相については本人の言葉そのまま。たまたま二人に興味を引かれた程度で、それ以上に何かがあったわけではない。隠身を見破られたのは想定外で、その上拒絶されるなど思ってもいなかったが。
「にしてもあの二人、校長の事を知ってる口ぶりだったよなぁ。やっぱ今からでも戻って事情話した方が…………チッ」
嫌な予感に立ち止まり、舌打ちしながら周囲を見回す。自慢ではないが彼の勘が外れた事はあまりない。それは勘というより、無意識に周囲を感じ取る力と言った方がいいかもしれない。
石畳に他の人影はなく、通りの左右に雑に積まれた木箱や樽にも変な所は見られない。だが昼下がりの風に紛れてときおり流れてくる小さな揺らぎが、彼の肌と神経を逆撫でした。
「……おい、コソコソ隠れてんなよ! ってのはさっき俺が言われたか……じゃねえよ、待ち伏せってのは腰を据えてやるもんだぜ洟垂れボウズ共。音だの殺気だのバラまいてんじゃねえ! あんまりの素人芸にこっちの背中がムズムズすらぁ!」
果たして辺境訛りがどこまで通じたかは置くとして、物陰から、校舎の窓から、さらに屋根の雨樋の上から、都合十名ほどの青ケープの少年たちが姿を現す。
天を覆った大樹を、彼は目まいすら感じて仰いだ。
「だからって言われて出てくる馬鹿正直。辺境だったら二日で豚のエサだぞコラ」
一人の少年が彼の正面に出る。そこに方々から、カチリと撃鉄を起こす音が重なった。
「僕らがこうしてお前を待っていた理由はわかるか?」
「わかんねーよ」
心底興味がないヴェクの返しに、正面の少年が苛立った様子で路石を蹴る。
「ならば教えてやる! 僕たちはお前のような人間のクズが王立大にいることが許せない! ここは選ばれた者が集う場所で、お前のような汚物は必要ない!」
「ほうほう、ほんで? それがどうした」
彼にとってこんな事は日常茶飯事で、いちいち取り合っていては身が持たない。ヴェクはジリッと歩を進め、それに面食らったのか少年が半歩退き、すぐに思い直したように頭を振って銃を取る。
「く、クズが、このまま無事に済むと思うな! 僕らは教官がいなくなるこの時を待っていた。こちらは十人、もう逃げ場はないぞ。汚物は消毒してやる!」
一斉に持ち上がる銃口。
十のあからさまな敵意を前にして、だがヴェクは、いいかげん面倒だなと思っただけだ。無駄だと考えつつも、彼はだらりと言葉を吐いた。
「あのな、クズは死んどけってそういう話なら聞き飽きてんだよ。教官がいないからあんだって? 数で押そうって? おいガキ共、寝言は寝て言うもんだ」
ゆるい口調とは裏腹に、彼は鋭く「ガキ共」の体つきや配置を見切る。筋肉と脂肪で丸く太った身体はいかにも鈍そうで、銃の握りは教科書そのまま、立ち位置に工夫は皆無。脅威とも呼べない相手だ。
だからといって最初から戦って済ませる気もない。面倒は避けるに限る。交渉の余地はあると見て、彼は努めて明るく声をかけた。
「ところでガキ共、今ってのは大事なテストの最中だよな。あれか、面倒は他の奴に押しつけて、ボクらは仲良くゴミ虫に天誅でございってか。あのな、校長ナメてると痛い目に合うぞ? いやマジで真剣にホントに痛いから、これ忠告よ?」
「問答無用! 覚悟しろ!」
――はい交渉失敗。
「ああそう、じゃ……やってみな!」
言うや兆しすらなく訓練銃を抜き、狙ったのは右の校舎の雨樋。続けざまの二発でその金具を折る。
屋根から身を乗り出していた生徒が、足場にしていた樋を傾けられ、もんどりうって転落する。彼は悲鳴を上げながら直下の窓にいたもう一人を巻き込み、さらに割れた窓ガラスと一緒になって真下にいた二人を下敷きにした。死ぬほどではないがもはや動けまい。
一瞬で四名。正面の少年の怒号に、ようやく六人がかりの反撃が始める。だが、すでにヴェクは積まれた木樽の裏に滑り込んでいた。弾丸が樽にバラバラと降り注ぐが、いずれも鉄の箍どころか木の板すら抜けない。豆鉄砲などいくら撃ってもその程度だ。
「おいおい景気がいいなコンチクショウ。弾数は大丈夫か?」
熟練の野盗ですら弾の数え忘れは死を招くのに、未だに人を撃ち殺した事もない貴族の子女ならどうなるか。結果は火を見るよりも明らかだった。
軽い銃声が二十を越えたあたりでパタリと止む。
相手が弾切れに慌てたそのタイミングで、ヴェクは通りに飛び出した。間抜けにも隠れるのを忘れた二人に弾丸を浴びせ、間髪入れず反対側の木箱の裏へ。
撃つだけ無駄の弱装弾でも、胸に正面から命中すれば痛いでは済まない。撃たれた二人は身も世もなく悲鳴を上げてのたうち回っている。
ここでようやくヴェクが再装填する。ただし、熟練の手つきで、だが。
――親指で留め金を押し込みスナップで輪胴をスイングさせ押し出し棒を連打して空薬莢を全て排出間髪入れずあらかじめ握っていた弾薬を輪胴へ落とし込み全部を戻してハイ終了。
相手がようやく装弾し終えたとき、ヴェクは悠々と木箱から上体を出し、次の狙いを定め終わっていた。
「年季の違いだな」
気楽な呟きから、反撃も許さぬ四連撃が放たれた。
次々に肩を砕かれる生徒たち。残されたのは無様に転がるか、慌てて逃げるかの狭い二択だ。そして行き着くところは、ヴェクの鉄拳と固い石畳の挟み打ちであった。
十人全員を片付けた、というか気絶させたヴェクは、そそくさと撃ち合い現場から逃げ出した。路地をデタラメに走りながら、彼は舌を出して毒づく。
「本当にガキのやっかみって奴ぁ、煮ても焼いても食えやしねえぜ。教官たちに撃ち合ったってバレたら何言われるか……って」
はたと彼は足を止め、背後をふり返って風に気配を探る。あれだけ派手に銃声が鳴ったにも関わらず、余分な足音は一つもない。彼は用心深くわき道へ入り、雨水留めの砂袋に腰を下ろすと、しばし首をかしげた。
普段なら撃つどころか銃を抜いただけで大騒ぎになるというのに。テストに一切干渉しないというのは本当だったのか。しかし――。
「いや、いやいやいや、これまでだって合格者がモメた事ぐらいあるだろうが」
実践テストが完全に野放しなら、過去にも生徒同士の衝突があったはずだ。生徒の大半が年端もいかない少年少女だから、いくら礼儀に口を酸っぱくしたところで限界があるのはさっき見たとおり。ではこの王立大がそれ見逃すかというと、そんなはずがない。野放しに見えて、何らかの監視方法があると考えるほうが自然だ。
――だったら、誰がどこから? まさか潜んでるわけじゃないだろうしな。
王立大は自らの存在を隠す「隠身」を教えているが、それとて百名近い血眼の集団から隠れられる代物ではない。それが証拠に、ヴェクの異様なレベルの隠身ですら少女たちにバレたばかりだ。いくら手練れの教官でも、まったく気付かれないはずはない。
学校を囲む城壁から監視するか。しかしヴェクはすぐ頭を振った。元が砦とはいえ戦乱は過去のものだ。高い城壁は手間がかかるために低く造り直されており、今や校舎のほうが背が高い。死角を無くすには……空、という単語が浮かぶが、さすがに無理がある。魔法が世にもたらされて五十年。その凄まじい力をもってしても、人は地に足をつけたままなのだから。
「……待て、そういや空に近い場所が、一つだけあるような気が」
彼はそろりと上を見る。
――そう、か。そこか。
シンプルな課題ほど難しい。それは王立大における卒業テストの不文律。
その難しさは、しかし手がかりが皆無という事ではない、最初に明示されたヒントに気付くための大局的な視点の有無が勝敗を分けてしまうだけの事なのだ。
ニヤリと笑ったヴェク。それに応えるように、大樹の梢で小さな光が弾けた。
「ガキのやっかみも、たまには役に立つじゃねえか」
彼は再び立ち上がり、再び風に紛れて駆け出していく。
その目指す先に、学園の中心を占める巨大な〈大校舎〉が、大樹に抱かれるようにそびえ建っていた。