6.鉄鎧の大闘士
すり鉢のような形をした〈ロゴブの闘技場〉は十年も無事だったのが奇跡としか思えない安普請だったが、今日も今日とて砂敷きの広場の中央に、いろんなものにに耐えて立ち続けていた。
その丸太の骨組みに荒い麻布を張っただけの壁の外にヴェクの姿があった。黒い服で丸太柱が作り出すせまい影に溶け込みながら、しきりに広場に目をやる。
今は警護八日目の昼。ラファムと和解した朝からは二日がたち、件の試合は明日に迫る。だが、いまだに捕まらない脅迫犯よ。ヴェクがその候補として絞り出した二人には、それぞれに疑わしい点と追及できない事情がある。
その事情のうちひとつは、あと少しで取りはらわれるはずだった。
ヴェクはやがてこちらに、闘技場の裏口に近づいてくる馬車を見つけ、誰にも聞こえない声でつぶやく。
「おいでなすったか」
砂の上をのたのたと進んでくる二頭引きの荷馬車。ヴェクが聞き込んだところが正しいなら、あの馬車には明日ミカナムとの対戦するという、長らく巡業に行っていた闘士が乗っているはず。その闘士には動機がある。ミカナムが棄権すれば、労せずして賞金が手に入るという動機が。利益、つまるところの金目当てというのは、人が罪を犯す理由としては当たり前のものだ。
さてさて、相手は無口だと聞いているが、あいにくと悪徳の栄える辺境で生まれ育ったヴェクに言葉はさして重要ではない。いつものように顔から読めばいい。
馬車が彼の前を過ぎて止まり、その御者台からネズミ色のローブを着たやせぎすの男が飛び降りる。ヴェクはその男にすばやく歩み寄った。
「あんたが、明日ミカナムとやりあう相手かい?」
男が深く被ったフードの奥からヴェクを見返し、すぐに首を横に振る。
「私ではない」
かすれた声でそう答え、男は幌でおおわれた荷台に左手をかざす。
「〈無敗の男〉なら、そこにいる」
「へぇ、そいつはまたご大層なあだ名で……って……おいおいおい!」
突然、馬車がギリギリと軋んで大きく揺れる。それも丈夫な車輪までもが上下に歪むほどの勢いで。
「こいつには馬でも入ってんのか!?」
「失礼な。彼こそは数多の闘技場で〈常に勝利を得て〉きた英雄なるぞ」
思わず食ってかかるヴェクと、それに早口で答える男。お互いの言葉が終わらないうちに幌が内側からめくれ上がり、荷台にそれが立ち上がった。
天を突かんばかりの巨漢。
見上げたヴェクが思わず言葉を失う。
――おいおい、まるで〈砂漠の怪物〉じゃねえかよ。
そしてすぐに、自分の得意を封じられたと覚った。巨漢の闘士は顔面も含め、その全身を鉄の鎧にすっかり収めていた。この昼日なたに暑苦しい事この上ない格好だが、これでは表情も仕草もほとんど読み取れないではないか。
大男は荷台から飛び降りて地面を揺らし、そのまま地鳴りのような重い足音をたてローブの男の前までやってくる。
ヴェクは横から彼をつぶさに観察した。人に会えば長身と言われるヴェクよりも背が高くおそらく七足寸(約2メートル)、もしかすると八足寸を越えている。その堂々たる身の丈に加え、ビール樽ほどにも膨れ上がったむくつけき四肢が彼の目を引く。まさしく筋肉の化け物と呼ぶにふさわしい相手だ。
と、そのときふいに鎧の闘士がヴェクを見下ろしてきた。やはり大仰な面鎧のせいで顔面をうかがうことはできないが、怒りの顔をかたどった面のすき間から、チラリと赤い輝きがヴェクを捉えてくる。
「と、ところで〈無敗の男〉さんよ、俺はこういう者なんだが」
肩から下がった帯を相手に示し、彼は怖じ気を押しこめてなんとか質問を切り出した。こうなれば顔でも声でもなく身体に聞くしかない。もちろん変な意味は抜きだ。
「ミカナム・ラトナーさんにちょっと問題が持ち上がっててな、アンタ、何か知ってる事はねえか?」
しかし動揺を誘おうとしたヴェクの言葉は、ものの見事に肩すかしを食らう。大男は不思議なほど静かに立ちつくし、その息づかいすら感じ取ることができない。
「えっと……もしかして聞こえてねえ、か? 兜が邪魔なら脱いでくれても――」
「無駄だ。彼は喉を痛めており、今は話せん」
だしぬけに割りこんできたローブの男に、ヴェクはムッとしてたずねる。
「そういうアンタは?」
「彼の代理人だ。見たところそちらは銃士のようだが、話せる事は何もない。ミカナムとやらについても全く見当はないな。わかったらそこを退いてもらおうか」
フードの下から、黄色くにごった瞳が鋭くヴェクを射ぬく。しぶしぶと丸太柱まで寄り下がってヴェクは二人に道を空けた。怪しいといえば死ぬほど怪しいが、しつこく聞けば警戒されるだろう。ここは下がるしかなかった
大小の男たちが悠然と裏口へと消えていくのを見送り、その後ふっと、ヴェクは妙な感覚に囚われる。さっきのローブ男の瞳をどこかで見たような気がするのだが、なぜか印象が漠としすぎて見当をつけられない。
――いや、考えるのは後だ。まずは知らせねえと。
ヴェクはこびりつく考えを振りはらうと、影に滑りこんで走り出した。
***
場所は変わって地下にあるミカナムの控え室。
ヴェクが扉を開けばラファムとソシアが静かな顔で迎えてくれたが、ただ部屋の主であるミカナムだけが彼におどろきたずねてくる。
「ヴェクさん? 帰ったはずじゃ……」
「用事ができちまってな……ラフィ、ソシィ、例の男が来たぞ|」
ミカナムに構わず鎧男について報告をはじめるヴェク。だがすぐに彼女が首を傾げてそこに割りこんできた。
「ちょっと待って。彼を疑ってるのはこの際だから置いておくとして、彼はそんなに無口じゃなかったはずよ。前に何度か会って知ってるもの。それにその代理人? 私はそんな人知らないけど……」
さらに何かを思いついたふうのラファムが加わる。
「まさか――別人だったりして?」
「そりゃ、さすがにどうだろうな。顔が確認できたわけじゃないから可能性は残るが、あの鎧を着て歩ける替え玉がほいほい見付かるとは思えんぜ」
ヴェクの指摘にそれもそうかと肩をすくめるラファム。
と、ここまで静かに長持に腰かけアゴに指を当てていたソシアが、ミカナムにスイッと顔を向けて問いかける。
「ミカさん、彼と戦ったことはありますか? あるなら勝ったことは?」
「戦ったことはあるわ。まだ……勝ったことは無いけど」
やにわに向けられた問いに、ミカナムがチラリと地面に目を向けて答える。それを聞いたソシアは急に立ち上がり、ヴェクとラファムの腕をつかむと控え室の外へと引っぱった。だがラファムがそれを拒み、二人にミカナムを示す。
「私はここでミカさんに付いてるから、二人でよろしく」
「いいの?」
「うん。これが私の役割かなって、それに……」
最後の消えそうなつぶやきは、しかしヴェクにも充分に伝わった。信用してるからね、と。
彼女に小さく感謝を示して、ヴェクはソシアと共に控え室から地下通路の暗がりに出る。そして少し歩いて控え室から離れたと見るや、ソシアがヴェクの襟元を引っぱって小さくたずねた。
「率直に聞きます。ヴェクさんの見るところ、その大男は白黒どちらですか?」
「……白だ。理由は……言わなくてもいいよな」
あの〈無敗の男〉が本物であれ偽物であれ、負けを警戒して脅迫する理由はどこにもあるまい。むしろ負けを心配すべきなのはミカナムの方だ。ただし、とヴェクは指を立て、考え込もうとしていたソシアの注意を引く。
「白とは言っても灰色に限りなく近いぜ。ラファムじゃねえが、俺にはあの大男がただの人間だとは思えねえ。つっても、だからなんだって言われると困るが……とにかく、そうなると主犯はおそらく……」
「ええ。胴元のロゴブでしょうね」
二人がその男に目を付けたのは、さかのぼること五日ほど前のことだ。
ヴェクはその日、ぐでんぐでんに酔っぱらった賭け客から、この闘技場に裏賭博があるといううわさを聞いた。別にそれ自体は不思議な話ではない。法によって賭け金の上限が決められたことを良く思わない人物は、それこそ胴元から賭け客に至るまでどこにでもいる。
そこから二人で密かに調べた限りでは、詳しいことはまだわからないが裏賭博は事実と見てよかった。ヴェクはそのレート表が総合の勝率を元にしている事までつかんでいる。そうなると、がぜん怪しくなるのが胴元であるロゴブなのだ。
胴元のお手盛りには不正が珍しくなく、仮にロゴブが賭けを操作していると考えると、勝ちっぱなしのミカナムがどんな役割を演じているかが問題だ。もし彼女が不正に協力していないとすれば――真面目な人柄からするとありそうな話だが――ロゴブが放っておくとは思えない。
この仮説をヴェクとソシアは考え続け、そして考えれば考えるほど、一点を除いては筋が通るという答えにたどり着く。ロゴブはもちろんミカナムと顔見知りで、闘技場の内外で彼女の命を狙える立場にあり、さらに脅す理由もある。
では筋が通らないのはどこかというと……。
「なんでミカさんは、ロゴブを訴えないのでしょうか」
そう、もしロゴブが脅迫犯なら、ミカナムがそう銃士に訴えれば万事解決のはずなのだ。裏賭博の件だけでも動きを封じるのには充分で、おそらくロゴブは二度とコンスナファルツの門をくぐれまい。もしヴェクが彼女の立場だったらそうするだろう。仮にその後の生活について心配があるとしても、彼女ほどの強い闘士なら公営の闘技場に移籍してもやっていけるはずだ。
ところが彼女はそうせず、どころかヴェクたちにロゴブのロの字すら出さない。
「何かしがらみが……いや弱み、だろうな……それこそ俺たちに、銃士に言えねえぐらいの。だいたい他人様を動かして儲けてる悪党なら、そんなゴッツイ鎖の一本や二本はしっかり握ってるもんだが」
ヴェクの半ば独り言にソシアがうなずく。
「だとすると厄介ですよ。誰から、どう聞き出したものでしょう……」
本人に聞くのは難しく、ロゴブに直に当たるのは論外。かといって裏賭博を告発する材料は一朝一夕にそろう物でもなく、そもミカナムが言い出さないのにそんな乱暴な手を打ってもよいものだろうか。
通路の暗がりで彼らが頭を抱えている間にも、時間は刻々とすぎていく。
やがて地上から一戦が終わった合図に銅鑼が打ち鳴らされ、控え室からはラファムを伴ってミカナムが出てきた。彼女はヴェクたちにチラッと目を向けるが、何も言わずに革の具足を鳴らして通りすぎていった。
通路の先に消える少女闘士を見送って、ソシアがポツリとつぶやく。
「そもそも、なぜ彼女は銃士を頼ったのでしょうか」
ヴェクはただ首を振ってそれに返すが、内心では強く歯がみしていた。
刻限まであと一日を残して状況は手詰まりに近く、ラファムの心づかいにもソシアの問いにも答えられない自分がもどかしい。そして何より、あの大男に出会ってからというもの、外れてほしい時に限って外れない、あのいやな予感が首すじにまとわりついて離れないのだった。