5.調合の銀匙
早いもので、ヴェクたちのコンスナファルツ滞在も七日を数え、彼らがミカナムの護衛を買って出てからは六日が過ぎようとしていた。
今のところはミカナムの周辺に怪しい動きはない。
ちなみに三人が頭数に入っていなかったせいもあって、護衛の件についてはギルドからわりとすんなり許可が下りていた。団長のヴァルーシャにいたっては、二つ返事で認めた上に「楽そうだから私も参加したい~!」などとうそぶく始末だ。もちろん居合わせたスタッフによってキツく止められたが。
ただし、これはあくまでも三人の個人的な行動であり、ギルドからの人手は望めない。結果として少ない人数で護衛せざるを得ず、ヴェクたちは交代を変則的にしてこれに対処していた。具体的には一人が日の三分の一を休み、それをずらすことで常に二人がミカナムのそばに付く。幸い、それに似たスケジュールなら、王立大の夜回り訓練で三人とも経験済みだった。
***
夜もまだ明けきらぬころ。城壁に近いうらびれた下宿の三階にて。
「うーっす、交替だよ」
階段からひょこっと顔を出したラファムの小さな声に、椅子に深くもたれて居眠りしていたヴェクは音もなく起きていた風をよそおう。
ここはミカナムの下宿先。漆喰に木の柱がむき出しの質素な造りの部屋で、カマドの作り付けられた食堂と寝室だけという簡単な間取りになっている。闘技場の稼ぎ頭が寝泊まりするにはずいぶんな場所だが、本人に聞いたところほとんどの賞金を大家族に仕送りしているそうで、これでも精いっぱいなのだという。
ヴェクは眠たい目を帽子でごまかすと、ラファムに寝室のドアを示す。
「……ソシィならミカの横に付いてるぜ」
「ミカさん、調子悪いの?」
「ああ、昨日の夜試合でけっこう大変だったからな」
六日もあれば、ある程度は気心も知れる。さすがにヴェクは無理でも少女たちがミカナムの寝室に入るのは問題なく、こうして怪我の手当もさせてもらえるようになっていた。
ラファムが背負ってきた大荷物を食堂のテーブルに立て掛けると、音を聞きつけたのか寝室のドアが開いてソシアが出てくる。彼女は額の大汗をぬぐうと疲れた顔を二人に向けた。
「やはり魔法で氷を作るのは大変ですね。夜通しやってたからもうヘトヘトです。ああ、彼女の傷の具合ですが心配はありません。軽い打撲と裂傷です。今ある氷嚢がなくなったら、あとはそのままで大丈夫でしょう。……それにしてもミカさんは本当に頑丈な方ですね。あれだけの傷で深手がひとつもないなんて」
「じゃないと拳闘士なんてやってられんだろ。お客に聞いた限りじゃ、刃物に素手で挑むことも珍しくないらしいからな」
「それはそうですが、ちょっと気になる点も……ふぁ」
ヴェクに言葉を返したそばから、ソシアが大きなあくびを付く。彼女は昨日の昼からの当番で、それなりに疲れも溜まっているはずだ。ラファムが親友のそばに寄り、気づかうようにその背に手をそえる。
「いいからソシィは帰って休んで。あとは私にまかせてちょうだい」
「おい、俺もいるんだが」
「はぁ? ヴェクは居眠りしてたじゃない」
お見通し、と指を突きつけられては言い逃れのしようもない。ヴェクは肩をすくめて、フラフラと階段を下りていくソシアの背中を見送った。そして顔を戻せば、テーブルについてこちらをジトリと見るラファムと目が合ってしまう。
「……いや、見張られなくともお前が相棒じゃ寝てられねえ……ってだから冗談だって。それよりその荷物は? やたらと持ってきたみたいだが」
「ああ、これ? 寝過ごしちゃったから道具と材料を全部持ってきたの。今のうちに〈魔装弾〉を作り置きしなきゃ、次はいつ腰を落ち着けられるかわかんないし」
「そういや得意なんだっけか? ソシィに聞いたぜ」
彼女は答えなかったが、少しはにかんだ様子を見せると、やおら荷物の中身をテーブルに並べはじめた。
ゆるくカーブした集光鏡のついたランプ。小型の万力。調合用の秤と銀の匙のセット。乳鉢にるつぼに薬皿。これらは全て弾薬を作るための道具だ。
そこにさらに、彼女が市場とギルドの売店で買い込んでいた空薬莢と弾頭、火薬と何かの粉が加わる。あっという間に布の袋が山をなしてテーブルに積み上がっていった。
そこから薬莢をひとつ取り上げた彼女がヴェクにたずねる。
「ヴェクの弾は自動拳銃用の三番径だったよね?」
「おぃ、まさか俺の分も作ろうってのか?」
彼のとまどいに、灯した火明かりをうけてラファムの顔がニタリと笑う。
「自分で作りたいなら止めないけど。でも〈ラファムさん印〉の弾の方がいいと思うけどなぁ。いざというとき役に立つよ、きっと」
あまりの自信のほどに興味を引かれ、ヴェクは相づちを打つ。
「へいへい、じゃあお任せしますぜ」
「任されよぉ。とにかく試しに一発作ってみるから、気になるところ教えてね」
そう言うと彼女は懐から取りだした一眼鏡を右目につけ、口をキュッと結んで匙を動かしはじめた。
彼女が作ろうとしているのは弾丸。それも〈魔装弾〉という特殊な弾だ。
魔装弾はその名の通り〈魔法〉を弾に込めて撃てるようにしたものだ。使用者の素質を問わずに魔法が撃てるとあって登場直後はとても流行ったものの、その人気は長続きしなかった。
まずなんといっても材料が手に入りにくい。弾に魔力と魔術を供給するのは、火薬に混ぜられた砂粒大の織魔水晶――魔砂晶なのだが、これがあまり採れない上に使い道がほとんど無く、まず絶望的に売ってない。
そして次に調合が地獄のように難しい。今もラファムが細心の注意を払って、それこそ砂粒単位で計量しているように呆れるほどの正確さが求められる。ほんのわずかに量を違えただけで銃が爆発してしまう恐れすらあるのだ。
最後にこれが一番の問題なのだが、撃てる銃が限られる。魔装弾は発射時に銃に高い負荷をかける。模造銃なら三発撃てば銃身がガタガタになり、実質的には〈輝鋼〉で作られた魔銃でしか扱えない。
つまりは作るも使うも難しい欠陥弾なのだが……。
赤い魔砂晶を丁寧に篩いながら、ラファムが独り言のようにつぶやく。
「でも魔法の代わりだと思うからダメなんだよ。魔装弾にしかできない事もあるんだよね」
言われたところで首を傾げるばかりのヴェクに、彼女は作りかけの弾頭をつまみ上げると説明しはじめた。
「たとえばこの炸裂弾、相手の中で爆発させられる弾だよ。もし普通の火薬を弾頭に詰めても爆発はショボイ。魔法は、ヴェクも習ったと思うけど、あくまでも水晶から放たれる力だから、物をすり抜けて発動させるにはものすごい素質と集中力が必要になる。きっとソシィでも何回も使えないし準備も時間がかかると思うよ。それ以前にそんな魔法の入った水晶がないし」
よほど好きなのか小声ながら一気にまくし立て、彼女がウインクする。
「この子は量さえ間違えなければ効果もタイミングも変わらない。あとは混ぜる砂の種類によって思わぬ効果を引き出せる時もあるから。そういう組み合わせの発見って楽しくない?」
嬉々として万力を締めて弾頭を薬莢へねじ込んでいくラファムに、ヴェクは唇を曲げて心の中でごちる。
――楽しいって、なぁ。……まぁ物騒だがやってる事は子供の絵の具遊びと変わらんか。こいつなら好きろうな、そういうの。
元気と迂闊が目立つラファム。しかし彼はこのひと月あまりで、彼女の別の側面にも気付きはじめていた。
そのサバッとした見かけや物腰に似合わず、ラファムは細かいことや工夫が必要なことにかなりの才能がある。芸術家とでも言えばいいのか、料理はソシアより上手で、そもそもソシアのドレスを繕っているのも彼女だ。隠し味などお手の物で、いつだったかソシアがかぎ裂きしてしまった部分を、ステッチと刺繍で模様に変えたのも彼女である。
……ずっと見ていると、むしろソシアが不器用なだけにも思えるが。
ともかくそんな性格ならば弾薬作りを楽しめるのも道理か。ヴェクがそう納得したところへ、ラファムができあがった弾を投げてきた。
キャッチして近くのランプの光にかざしてみる。見た目の出来は銃士ギルドで扱ってる正規の弾薬にも劣らない。さっそく銃に装填して、遊底を引いて飛ばしたり弾倉に詰めたりを繰り返してみるが、どこにも引っかかる様子はなかった。
彼はラファムに親指を立て、彼女が小さくガッツポーズを作る。
「それじゃ残りはその寸法で仕上げるね。種類別で一弾倉ぐらい」
「今からか? 夜明けが近いぜ?」
食堂に申しわけ程度に開いた小さな窓。その向こうでわずかに青みを増した空に目をやるヴェクに、ラファムはそっけなく答える。
「間に合うよ」
そして彼女が軽やかに調合の銀匙をあやつりだすのを、ヴェクは邪魔しないように口を閉じ、背もたれに身体を預けてしばし眺めていたのであった。
***
やがて空から星が消えていくころ。
ラファムが息をつくのを感じたヴェクは、そっとテーブルに目を向ける。そこにはいつの間にやらソシアの長魔銃用の弾がカラフルな封蝋を被せられ所狭しと林立していた。赤や黒など都合五色ほど、おそらくは魔装弾の種類を示すためのものだろう。その先端を追っていた彼の視線がラファムの視線とぶつかり――。
冷えた瞳で彼を見すえ、ラファムが低くつぶやいた。
「…………ヴェク……最近、ソシィと二人で私をのけ者にしてる」
反射的にごまかそうとして、しかし彼は言葉をいったんノドに引っ込める。その言葉がほぼ事実だったからゆえに。とはいえ彼らに悪意があったわけではない。
やや迷って、ヴェクは思ったところを口にする。
「……そんなことは……それにまたお前が直球カマしたらと思ったら――」
だがすぐにラファムが目を吊り上げ、声を尖らせた。
「そんなことを言う! たしかにソシィは頭いいし、ヴェクは年上だから……でもそれで私だけ子供扱いなんて、それで……そんなのズルイよ。悪いようにはしないって言ったじゃない!」
彼女の崩れんばかりの言葉と泣き出しそうな顔には、おとぼけの強い彼もさすがに気付くものがある。それは疎外による不安ではなく、知らぬが仏とばかりに遠ざけたられたことに対する怒りだ。
ヴェクにはまだ詳しく少女たちの関係がわからないが、ソシアがラファムにとって強い立場にある事は察せられる。さしずめ姉代わりと言ったところか、となれば今度のことは、姉代わりと新入りの大人が彼女を頭ごなしに子供扱いしたという事になるだろう。我が身に置きかえなくともその腹立ちは理解できる。
さらに少し考えを進めるなら、彼女がその気持ち彼にぶつけてきたということは、彼がソシアを奪ったように感じているのかもしれない。さすがに本物の姉妹になぞらえすぎだが、さして外れていない気もする。
ともかく、誤解は誤解、あやまるべきはあやまらねば。面倒ではあるが、事はこじれる前に正しておくべきというのがヴェクの信念だった。こじらせてさらに悪化することはあっても、解決することなどめったに無いのだから。
いつもの態度を胸の中にしまいこみ、彼はラファムに正面から向き合った。
「すなまかった、お前に、失礼だったな」
「だったら……ちゃんと説明してよ。子供扱いしないでよ」
返ってきた弱い声に帽子を取って髪をなでつけ、ヴェクは彼女に語るべきを探してはゆっくりと言葉へと変えていく。
ヴェクとソシアが彼女に隠れてやっていたのは、主にミカナムの周辺への探りこみと情報の整理だ。少しは仲良くなったとはいえ、当のミカナムがあまり協力的ではない様子だったので探りには慎重になる必要があり、もしラファムにつど聞かせていては、ミカナムや脅迫している誰かに筒抜けになる恐れがある。だから、ついつい二人とも彼女には口を重くしていたわけだ。
それで成果が実っているかというと、そう言いがたいのが実状だった。ミカナムの真面目な性格から動機が恨みつらみでないのはほぼ確実として、ある事情からその他の可能性を詰め切れていない。
「――怪しい人物を絞ろうとしてるんだが……まだな、決め手に欠けるってところだ。これで、俺が持ってるのは全部だ。あとはソシィに聞いてくれると助かる。俺も言葉が少ないからな」
ひととおりを聞いたことで落ちついたのか、ラファムが怒りで上がっていた肩を落とし、ため息ひとつ吐いて彼に頭を下げた。
「話してくれて、ありがとう。もう、のけ者にはしないで。私も見境なく突っかかったりしないって約束するから」
「ああ、すまなかった」
二人が見つめ合ったところで、気付けば空は白み、寝室からミカナムの起きる気配が伝わる。居ずまいを正した彼に、ラファムが道具を片付けながら小さめの布袋を投げてきた。受け取ったそれを掌でジャラリと鳴らし、ヴェクは袋を開くと中身を手の平に出す。
袋からまろび出た魔装弾が差し込んできた朝日にキラリと輝くのを、ヴェクは信じられないようにポツリとつぶやく。
「……間に合ったのかよ」
「当たり前。だってラファムさん、だもん」
そう返した彼女の顔は日に照らされ、陰のない笑顔を投げかけていた。