4.闘技場の少女
人がお金という道具を発明してからというもの、賭け事はいつも身近にあった。早くは聖女の時代から、人は転がるサイコロに、木札に、犬に雄牛に〈砂漠の怪物〉に、そして人の殴り合いにまで財産を託し、勝負の表裏に笑って泣いてを重ねてきた。
現在、ほとんどの賭け事は五大国の法の治める所にある。高い賭け金は過去のもので、一攫千金の夢もなければ全財産を使い果たす恐れもない。賭け事は、それがもたらす悲劇を重く見た当世の人々によって、ようやく飼いならされつつあった。
だが牙を抜かれた勝負に、全ての人が納得しているわけではない。賭ける方も賭けられる方も、ときには血まみれの真剣さを欲して止まないのだから。
***
拳闘士たちへと投げかけられる大歓声を受けて天井がビリビリと震える。レンガを適当に積んで天板を渡しただけの地下通路は、地上の観客席に満ちた熱気と足音によって、今にも崩れそうだった。
ヴェクはときおり肩に落ちてくる土ぼこりを払いながら、先を行く背の低い男にたずねる。
「公営じゃなくて私営の闘技場ってのはわかっちゃいるが、こんなボロい所で賭けなんかやって本当に市議会から文句とか言われねえのか?」
疑いの色が強い言葉に、土色のローブを全身すっぽり被った闘技場の案内役が彼をふり返って、ロウソクの明かりに出っ歯を輝かせる。
「大丈夫でさぁ銃士のダンナ。胴元のロゴブさんが市のお偉いさんに話付けてくれてますんで、それになーんも法は犯しちゃいねえですよ。この建物だってもう十年は無事に建ってまさぁ」
「なら十一年目にいきなり崩れるとかはナシだぜ。――だとよ、お二人さん」
男の言葉を、ヴェクは少し離れて付いてくる少女たちに投げわたす。それでも二人はおっかなびっくり歩いて意地でも壁に近寄ろうとしない。〈砂漠の怪物〉にすら動じなかったラファムですら、通路が揺れるたびに情けない声をもらす有様だ。
「そんな、事、言われたって、ひゃっ!」
「もう勘弁してくださいまし!」
そこへタイミングよくレンガが壁から抜け落ち、それに二人が抱き合って悲鳴を上げる。腹を抱えて笑った案内役がヴェクを押し退けてて二人のところへ行くと、落ちたレンガを壁に蹴りやってからひどい訛りで語りかける。
「ヒヒッ、いつものこってす。銃士のお嬢さんがた気にせんでくだせぇや?」
「ほ、本当に相談者がこの奥にいるんですか?」
「へえ、ミカちゃんのこっでしょ。奥が闘士の控え室になっとりますんで、はい。そっちはもうちょっと広くなりますんで、あと少し辛抱してくださいや」
ソシアにたずね返された案内役の言葉にウソはなかった。
付き合いきれねえ、と鼻を鳴らして先に進んだヴェクは、下へと潜っていった通路の先で、広い地下室の真ん中に出る。見わたしてみるとそこは幅の広い通路になっているらしく、差し渡しが五十歩、幅は十歩ほどもあり、壁には板きれの扉がいくつも並ぶ。レンガで組まれたアーチ天井のおかげでしっかりしており、ランプや松明があちこちにあるのでそこそこ明るい。
「左へ行って一番奥になりまさぁ。じゃ、銃士さまがた、あっしはこれで」
少女たちを引っぱってヴェクに追いついた案内役が、そう言うと頭を下げて通路を戻っていく。ようやく落ち着きを取り戻した少女たちに呆れ顔を向けてから、ヴェクは言われたとおりに左へと向かった。
どうやら並んだ扉の一つ一つが闘士の控え室らしく、下のすき間からはランプの光がもれる。しかし案内役の言っていた左端の部屋だけは暗いままで、ヴェクは留守かと思ってノックもせずに扉を押し開け……。
「止まれ!」
凛とした声と同時に闇から突き出されてきた拳が、彼の帽子をはね飛ばした。
ヴェクは驚いたものの、踏み込みの音で拳が届かないと知って避けなかった。背後からの駆けよって撃鉄を起こす音に手をかざして、彼は暗闇に沈んでいる相手に呼びかける。
「おいおい、ご挨拶だな。こっちはわざわざ銃士ギルドから来てやったんだぜ」
「……うそ、あなた銃士なの?」
返ってきた声はとても疑わしげで、彼はふり返ると少女たちに確かめる。だがラファムが明後日を向き、ソシアが呆れ笑いを返すとなれば、おおかた新調した安物の黒い上着あたりがマズかったのだろう。ヴェクは肩をすくめて顔を戻す。
「そうか、うん……まぁ、ちょっと信じられないだろうが銃士だ。ところでアンタがミカナム・ラトナーさん、かい?」
答えのかわりに暗い部屋に火花がはぜ、ランプの赤い火がおこる。
闇から浮かび上がったのは、油明かりを受けて彼を睨む小柄な少女の姿だった。
***
「ごめんなさい。てっきり破落戸かなんかだと思って」
そう言って少女闘士、ミカナムは水の入ったカップを三人へすすめてくる。
背はラファムたちと同じぐらいで、闘士としてはかなり小さい。だが背の低さをおぎなうように肩や太ももはパンパンに張っており、申し訳ていどの緑の薄衣からむき出しになったお腹は、四段にくっきり割れている。肌色が黒っぽいのも相まって、ヴェクはカップを受け取りながら彼女に大砲の弾を連想した。
彼女の控え室はそれなりに広く、ミカナムに加え三人が入っても窮屈な感じはない。壁も床もレンガで覆われ、こまめに掃除されているのかホコリやカビ臭さも感じなかった。置いてあるのは木の寝台と小さなテーブル、あとは長持が少し。
その長持を椅子がわりに四人でテーブルを囲んだところで、まずは横からソシアが頭を下げた。
「服装で混乱させてしまって申し訳ありません。ですが相談を受けた以上は真剣に取り組みますので、どうか怒らないでくださいまし」
ヴェクの対面に座ったミカナムが、ソシアのかしこまった様子に短い栗毛を振って銅色の目をゆるめる。
「そんなに凹まないでこっちが困っちゃう。ちょっとピリピリしてただけなの。そこのデカいのも帽子汚しちゃってごめんなさい」
「かまわねえぜ、どうせ元から真っ黒だしな。それにしても、そのナリで闘士ったあアンタすげぇな」
ヴェクにほめられ、ミカナムは誇らしげに腕を張って革の具足をビンッと鳴らしてみせる。いかにも少女っぽいはにかんだ笑顔と鍛え上げられた肉体。アンバランスに見えて、しかしそこに宿った熱い闘志とみなぎる自信を感じ、ヴェクは改めて帽子を取ると軽く礼を執った。
「俺はヴェクだ。よろしくなミカナムさん」
「ミカでいいわ。そっちの娘たちは?」
ラファムとソシアが名乗り、四人は互いに呼び方を確かめるとさっそく本題へと入った。
「それでミカさん。今日は相談があるという事でしたが」
「ええ……ちょっと、見てもらった方が早そうね」
彼女が腰かけた長持のサイドポケットから何かを取り出しテーブルに置く。
それはメモに使われる手の平ほどの木版で、下手な字、おそらくは筆のクセを隠すために利き手ではない手を使ったのだろう、でのように書かれていた。
〈ミカナム・ラトナー ヘ
イノチ ガ オシ ケレバ 10 ニチ ゴ ノ シアイ ヲ キケン セヨ
サモナクバ ジュウダイ ナ ジタイ ガ オマエ ヲ オソウ ダロウ〉
どうにかヴェクが読み終わったころに、ミカナムがポツリとつぶやく。
「それが届いたのが昨日の朝よ」
ソシアが木板を手に取ると、卓上のランプを寄せて調べつつミカナムへ問う。
「差出人に心当たりはありませんか?」
ミカナムは首をただ横に振っただけだ。
だがその動作に一拍のズレがあった事を、ヴェクは見逃さなかった。ソシアも同じ事に気付いたらしく、次の質問の代わりに瞳をヴェクへと向けてくる。彼はそれとわかる程度にうなずき返し、彼女も目を伏せて答えた。
「そうですか。ちょっと調べたい事があるので、この手紙は預かりますよ」
ソシアが脅迫状をしまうと、今度は反対側からラファムがたずねる。
「ところで棄権するつもりなの?」
「そんなわけない! その試合は大一番なの、勝てば金貨五十枚の大勝負なんだから。棄権するなんて拳にかけてあり得ないわ!」
ミカナムが気色ばんで拳を握る。まるで賞金のために戦うように聞こえたが、そうではないのは真剣な顔を見れば明らかだ。欲など欠片もない、あるのは純粋な闘志と何かの使命感だけ。
――この娘はどうやら根っからの拳闘士、いや勝負師か。それでも金も必要って感じだが、何に使うのかは……何か事情がありそうだが……まあいい。
ともかくミカナムが棄権しないというなら彼らに押せる横車はない。むしろ相談してくれたのなら全力で応えまでだ。裏が気になるならこっそり調べればいい。
余計な勘ぐりはよそへ置いて、ヴェクは彼女へと手を打ち合わせる。
「そーいう事なら十日後、いや昨日来たんなら九日後までか? とにかくそれまでに脅してる奴を捕まえるしかねえなぁ」
「そうですね。まずはこの手紙について調べてみましょうか」
何気ないふうを装いつつ、お互いに察しよく視線を交わすヴェクとソシア。声ならぬ腹芸でヴェクが今後の動きを組み立てはじめたそこへ、予期せぬ質問がラファムからミカナムへと飛ぶ。
「……ミカさん、もしかして襲われるかもしれないって思ってるの?」
途端にミカナムがギュッとアゴを引くのを見て、ヴェクはあわててラファムを睨む。彼女もそれにおどろいたのか、さらに全員に説明しようと手を振った。
「いや、だってほら灯りを消してたりとか、いきなりヴェクに殴りかかったのって――わっ!?」
これ以上話をマズい方向に持って行かれる前にと、ヴェクはラファムの肩をつかむと無理やり控え室の外へと引っぱり出す。そして扉を閉めるなり、キョトンとする彼女に小声で食ってかかった。
「おいラフィさんよ、いくらなんでも直球はナシだ。ミカが何か隠してるとして――ま、十中八九隠してるだろうが……それでも懐に切り込むのが早すぎらぁ!」
「だって……」
「だってもクソもねえよ。そりゃお前の言うとおり襲ってくるかもって思ってないとあの行動はありえねえし、そうなるとミカは相手を知ってるって事になる。でもな、そのくらいは俺もソシィもわかってて、わざわざとぼけてたんだよ」
ようやく合点がいったのか、たちまちラファムの顔から血の気が引いてゆく。
ヴェクは強く鼻を鳴らし……そこでふっと打開策を思いつき、一転ラファムにビッと親指を立てく。
「いや……お前のおかげでいい考えが浮かんだぜ」
「いい考えって、あ、ちょっと」
ラファムを後ろに置いて、彼は再び控え室のドアを開けるとミカナムを呼んだ。
「ミカさん、ちょっとこっちで話したんだが……いやね、脅迫してくるような相手に無防備ってのはいけねえよな。そこで良かったらなんだが当日まで俺らを護衛につけないか? その方が安心だろ?」
突然の提案に面食らった様子のミカナム。その横でソシアが探るように彼を見てくるが、やがて納得の仕草でうなずいた。ヴェクはラファムのすっごく物問いたげな気配をヒョイヒョイと背中でブロックしながら、あとはアンタ次第だとミカナムに顔でうながす。
ずいぶんと迷っていたミカナムは、やがてポツポツとたずねてきた。
「嫌、ってわけじゃないけど……他の仕事もあるのに、私なんかに護衛をつける暇なんて」
「その辺はご心配なく。俺らまだ新士だからな、つかない都合なんてないぜ」
彼のよくわからない太鼓判に根負けしたのか、ミカナムがため息と共に肩をすくめ、あまり浮かない顔でうなずく。
「なら、よかったらでいいけど……お願いするわ」
「任せてくださいよ、っと」
そう気軽そうに請け負い、ヴェクはやおらラファムをふり返る。そして彼女が何かを言う前に、両肩にポンと手を乗せ耳打ちする。
「いいから、ここは黙って協力してくれ。悪いようにはしねえよ」
彼が手を退けると、ラファムがしばらく不満そうにこちらを見上げた。が、それも一時のことで、彼女はしぶしぶという様子でうなずいてみせる。
「……わかった」
かくして、ヴェクたちは少女闘士の護衛へと乗り出したのだった。