3.銃士の心
おおむね都市というのは、外にいけばいくほど家にかかる税金が安くなる。コンスナファルツでは城壁の近くが特に安く、下宿や借家が多くそこに集まっていた。
朝の忙しさも一段落ついて、市民が仕事や買い物に動き出すころ。職人が多く住む城壁そばの地区で古ぼけた町家の扉がノックされる。閂を外すゴトリという音のあとに扉が少し開き、家主だろうか冴えない中年男が顔を出した。
「はいどちらさ――げっ!」
招かれざる客、その黒い帯にあわてて扉を閉じようとする男性。
だがヴェクは間髪入れずにブーツのつま先をすき間にねじ込み、きつく挟まれた足の痛さに顔をしかめながらも男のささやかな抵抗を邪魔した。
「つっ! ……ちょっとオッサンそれはねえんじゃねえの!?」
ブーツをさらに押し込もうとするヴェクの後ろから、今日は青いカジュアルドレスに身を包んだソシアが進み出て、隙間ごしに男性へ一通の書状を見せつける。
「トニット・ガトンタールさん、私たちは民生銃士ギルドよりあなたを取り調べるために派遣されました。あなたの家の騒音について、隣家から苦情が上がっています。このとおり令状もありますので、素直に開けてくださらないと強制的に入る事になりますよ」
「そーゆーこと、でさっさと手ぇはなしてくんねぇか? これでも痛えんだよぉ」
ヴェクはドア枠ぎりぎりまで顔を寄せ、声に凄みを利かせて男を脅す。
相手は怯えた様子で扉を離す……と、間髪入れずに一目散に家の中へと走りだした。とても観念した様子には思えず、むしろ往生際などどこへやら、家具を引き倒す音が何度も聞こえてくる始末だ。
ヴェクは扉をはね開けると、予想どおりに家具がひっくり返りまくった狭い食堂に飛び込み、足を椅子だのカゴだのに引っかけながらも男の後を追った。すぐに男の汚い寝巻きを勝手口に認め、彼は吠えるように吐き捨てた。
「逃げるのはおすすめしねえぞ! 痛い目見るからな!」
だが男は勝手口を体当たりで破ると、ヴェクをふり返ることなく裏路地へと飛び出していく。ところがその背中は、横あいからの小柄な影に巻き込まれてサッと消える。やがて……。
「いっちょーあがり。ハイ動かないでね」
跳ねるような声にヴェクが勝手口からニヤリと顔を出せば、ホルスターに手をかけたラファムが男を砂地につっ転がし、その背に半ズボンから伸びたスラリとした足を置いたところだった。裏口からの逃走など最初から対策済みである。
「な、言ったろオッサン。痛い目を見るって」
ヴェクがしてやったりと言う横でソシアが合流し、ラファムと手を打ち合わせると男に再び令状を突きつける。
「ガトンタールさん、今の行動は褒められたものではありませんよ。逃亡を試みたと判断し、これより民生銃士の権利であなたを拘束させていただきます」
途端に「命だけは……」とつぶやいて男がオイオイと泣き崩れる。ヴェクは彼を立たせて後ろ手に縄をかけながら、ラファムと共にその情けない姿に呆れかえるのであった。
しかし、だ。
なぜに三人が民生銃士のまねごとをしているのだろう。
とうとう金に困ったか、暇をもてあましたのか。いやいや、実はこれこそが、ヴァルーシャが課した銃士の試練であったのだ。
***
理由を探るために、時は前日の昼下がりに戻る。
執務室で三人に薄黄色の織魔結晶を見せつけたヴァルーシャが、お茶を一口すすると試すような視線をこちらに投げかける。
「なんなら、おさらいからいきましょうか」
彼女は水晶の入った袋を再び袖にしまうと、自分の帯から八つの水晶を外してテーブルに置いた。ヴェクたちから見て右から、黄、藍、水、緑、紫、紅、そして金砂の混じった白と黒という順で並んだ水晶を、彼女は順に指しながら問いかける。
「銃士に備わるべき八つの徳。その銘はなあに?」
挙手したのはラファムだった。彼女はヴァルーシャと同じ順番で水晶を示しながらすらすらと答えていく。
「錬磨、友愛、誠実、不屈、慈悲、忠義、寛容、そして正義」
「はいよくできました。この八徳に位階があるのは知っているわよね? 錬磨の第八位から正義の第一位まで。あなた方の試練は言いかえれば八徳の修養。その門口に立ったなら、まず私からこの〈錬磨〉を勝ち取らなくてはいけないの」
「あー、ちょっといいか? 具体的に何をしたら、いや、この場合は何を成し遂げたら、かな。とにかく俺としては課題が知りてえんだが」
彼女の早口をヴェクは挙手でさえぎった。八徳と試練の関わりはともかくとして、彼らが何をするのか、何をもって徳に適うと示せばよいのかが彼女の話からまるで見えてこなかったせいだ。とはいえ……。
――ちょいと失礼だったか?
という遅まきながらの反省が彼の頭を重くし、さらに右からは少女たちが尖った視線を突き刺してくる。そして肝心のヴァルーシャはというと、怒るでもなしにただ彼に注目し、やがてささやかな笑いに肩を揺らした。
「ふふっ……せっかちだとは手紙に書いてあったけど、まさかここまでとは。がっつかないのヴェクくん、若さに任せてがむしゃらになるような歳でもないでしょ」
「ヴェクくんってアンタ…………ヒッ!」
妙に艶めかしく唇を舐めてみせるヴァルーシャに、フェアラムあたりとは別次元の怖気を感じて、ヴェクは呼称への疑問もそこそこに後じさりしそうになる。
仮にあの校長が怒りに燃える鉄甲牛だとするなら、ヴァルーシャはさながら砂にひそんだ幽霊蛇といったところか。どちらも化け物じみているが、彼女には迫力だけでなく、えもいわれぬ陰湿さが備わっていた。しかしヴァルーシャはそれを華々しい格好にサッとしまい込むと、次に何食わぬ顔で意外なことを口走った。
「まあ、正直に言うとね、実はまだ決まってないのよね」
拍子抜けにヴェクだけでなく少女たちまでがソファーからずり落ち、そんな彼らの反応にヴァルーシャが年がいもなく頬をふくらませる。
「そんなに驚かないでよぉ。だってこんなに早く来ると思わなかったんだもの。まだなーんの準備も出来てないのよ。前置きで引き延ばしてるうちになんとかしようとしてたのに、まったくヴェクくんのせいで台無しだわ」
「一応! その、お聞きしますが」
神妙な空気をあっさりひっくり返したヴァルーシャに、ソシアがあわてた様子で両手を振りつつ呼びかける。
「普通であれば、つまり準備が整っていた場合だと、一体どのような試練になるのでしょうか。た、たとえば去年であるとか――そう、先例はあるのでしょう?」
遠回しではあるがどうやら困った団長様に助け船を出したい様子のソシアに、ところが当の本人は天井を見上げて、アゴに指をトントンするばかり。
「先例って言われても、第八位の教導方針なんて『適当に苦労させろ』ってぐらいしかないのよね。いつもは面倒な相談とか捌かせてダメ出しして修了っ! てなものなんだけど、ここ数日まともな相談が来なくてねー。もぅ、そんなときに来ちゃうもんだからこっちが大変じゃないの」
「そ、れはそれでいいんじゃない? 平和ってことで……」
あまりの崩れっぷりに釣られて口調を崩したラファムに、ヴァルーシャはメッ、という感じに眉をひそめた。が、咎めるのは礼儀ではなく……。
「あーのーねー、平和って言うけど民生の仕事はいっぱいあるのよぉ。それも苦情とか相談とか地味なのばっかり。まったく手間だけは減らないんだから――」
こうなるともはや愚痴でしかない。そのまま早口かつ小声で何やらブチブチとつぶやき続けるヴァルーシャに、三人は打つ手なしと天を仰ぎかける。
ところがその矢先、突然ヴァルーシャがポンと手を叩いて歯を見せる。
――あー、いやな予感がするぜ?
ヴェクは直感が外れるようにとあわてて後から祈るが、残念ながら聖女もそれは聞きかねるご様子で、ヴァルーシャが笑みを深くして彼らに告げる。
「そうだ――こうしましょう! しばらくうちの手伝いをしなさいな。苦労なら腐るほど転がってるし、民生のトレーニングだと思えばこの先も無駄にならないわ。今なら手取り足取り教えてくれるスタッフもいてとってもお得よ?」
ランランと目を輝かせて身を乗り出してくるヴァルーシャに、たちまちジリジリと追いつめられていく三人。左端でヴェクは彼女の言葉をどうにか解きほぐす。
「そ、そりゃあ……いや、それってギルドで仕事もらうのとどこが違うんだ?」
「もちろん評価と指導はするわよ。そうねぇ、三ヶ月ぐらいみっちり苦労してもらえたら無条件、もし何らかの功があったらその時点で修了ってのはどうかしら」
「タダ働きじゃねえよな? たしか試練と仕事は別なんだろ?」
それをヴァルーシャがチッチッと指を振って否定した。
「そーんなケチ臭いこと言うもんですか。もちろん斡旋あつかいで報酬は出すわよぉ。あとうちのギルドの宿舎と食堂は、新士は格安料金で使えるのよん。ねぇ三ヶ月ぐらい住み込んでいきないさいな。そうしなさいなぁ」
もはやどう言おうとも彼女の思いつきが揺らぐ気配はなく、結局三人はその提案を飲んだ。こうして彼らはコンスナファルツ民生銃士ギルドに居候しながら、その業務を手伝う羽目になったのである。
***
理由がわかったところで時は捕りもの直後まで進む。太陽が空の八合目につま先を乗せたあたりで、ヴェクたちは騒音男をつれてギルドまで戻ってきた。
ギルドの建物はかつて大商人の屋敷だったものを改装して使っているそうで、堂々たる敷地にはいくつもの建物が並び、馬が遊べるほどに広い芝生の庭園と厩舎まで備わっていた。馬を預けたヴェクたちは、すぐに男を石造りの牢棟まで連れて行き、担当の銃士に引き渡した。
民生よりも保安あたりが似合いそうな屈強な銃士が、涙とホコリでぐしゃぐしゃになった男を牢に放りこむと、ヒゲ面をゆるめてヴェクたちを労ってくれる。
「当番どうもごくろーさん。あれが壁際三丁目の騒音男で間違いない?」
「本人は黙秘していますが、逃げようとしたので間違いはないと思います」
ソシアの報告に、ヒゲ銃士が手元の訴え状を開いて妙な顔をする。
「ええっと……訴えは『重い物を引きずる音、何かを床に落とす音が何度も……』うーん、あのヒョロさじゃ重い物なんて持ち上げられそうにないんだがなぁ」
「なんなら銃突きつけて吐かせてやろうか?」
冗談めかして銃へと手をやるヴェクを銃士が笑いつつ諫める。
「こらこら。いくら口を割らなくても脅しは禁止だぞ。有ること無いこと喋られても困るからな。ま、詳しい事は追々聞き出すとして、まずはこいつの家を誰かに検分してもらわなきゃな……と、君たちはあと一件ぐらい回ったら宿舎で休んじゃってくれ。旅から昨日の今日ってのも大変だろう?」
特に残る理由もなく、三人はヒゲの銃士の言葉に甘える形でその場を離れる。
思えば三人とも、昨日から動きっぱなしでとても旅の疲れを取るどころではなかった。ようやく休息が見えてきた今、その足も早くなろうというものだ。ヴェクたちは誰からともなく小走りに馬たちのところへ戻っていった。
まさかその先に待っている事件が、とんでもない大事件に発展することになろうとは、誰もがこの時は思いも寄らなかったのである。