1.塩の市場
かつて――と言ってもほんの五十年ほど前の話だが、フレアヒェル大陸はいまだかつてないほど大きな戦火にみまわれたことかある。今でも〈大戦〉と呼ばれ続けるその戦争は、当時の大国を全て巻き込み、五年にわたって大地を血に染め上げた。その幕引きは伝説と化しているのだが、ここで多くは語らない。
それはあまりにも大きな、そして変革をともなう戦争だった。戦を通じて人々にもたらされた銃と魔法は言うまでもなく、当時の城や砦の多くが、今も大きな都市として残っている。
アンメイア王国のコンスナファルツ。商都ともてはやされる偉容の街。
その街を囲む堂々とした大城壁もまた〈大戦〉の置きみやげの一つだ。
***
高く青黒い〈南大輪山脈〉の峰に縁取られ、見わたす限りに広がる大草原。峠からの広大な盆地の眺めに、ヴェクは馬を止めて高く口笛を吹いた。
草原のただ中に灰色の城壁を冠にいただくゆるい丘が持ち上がり、それを麦畑と草原とがまだらに埋めつくしている。深さの違う緑が風に波を立てるさまが、この遠さからでもはっきりと見てとれ、丘のすそに流れる大きな河は草原を海とするならさしずめ高い白波か。ヴェクはかつて山の上から遠目に見た海を思い出す。
「こいつは……すげぇ所だ」
そんなヴェクの単純すぎる感想に、横からぶぅ、とラファムが唇を鳴らした。
「あのさ。キレイとか美しいとか、他に言葉はないの?」
「――ラフィもたいして変わらない気がします」
言葉のつたなさでは五十歩百歩。彼らの言葉知らずに坂を追いついてきたソシアがうなだれ、かたや二人はふり返って仲良く口を尖らせる。
「でもよ、すげぇもんはすっげえだろ?」「いやでもヴェクほどじゃないし」
「んだよ」「な、なによぅ」
そして、これまた同時に互いを睨んだ。
青毛のメルと栗毛のオッツィ、馬どうしが仲良く首をはみ合う上で、乗り手たちが歯を剥いてのにらみ合い。ヴェクは黒いフェルト帽をかたむけ、それにラファムが白い帽子のつばを弾いて……。
「二人ともそこまでです!」
ソシアが藤色のボンネット帽の下で顔を真っ赤にして、二人の間に割り込んだ。彼女は馬用の鞭を双方に代わる代わる突きつけて声を強める。
「銃士たる者、務めに相応しい品格と知性をそなえるべきです! まるで子供みたいに張り合わないでくださいまし! まずはヴェクさんっ!」
「お、おう?」
「あの城壁をご覧なさいまし。あれを何と表しますか」
目つき鋭い〈ソシア先生〉に威風堂々たる城壁を示されたヴェクは、なんとか言葉を編もうと努力してみる。しかし辺境育ちの限界など、試される前からすでに見えていた。ややあって口をついた言葉は――。
「……馬鹿みたいにデカい」
「はい問題外です。次はラフィ」
彼をバッサリと切って捨てたソシアが、今度はラファムに水を向ける。ヒイッと声を出しておびえたがラファムだったが、草原を白く流れる河を示されると一転して余裕をちらつかせ、この勝負はもらったとばかりにヴェクに横目を送ってきた。
そして彼女は胸を張り、大きな見得を切ると高らかに答えた。
「キラキラしてて、スゥって感じで、とってもキレイ!」
ソシアの鞭が鳴り、ラファムの帽子はクルリと回って前後逆さまに。
「……やり直すなら幼年学校からかしら? それとも人生を最初からがいいの?」
ニコニコと笑ったソシアの冷たいつぶやき。もちろんそれは爆発しそうな怒気の裏返しに違いない。思わず抱き合って震え上がったヴェクたちに、ソシアは一息吸うと一方的に熱血授業を開始した。
「お二人ともそこに直りなさい! 言葉というのは状況を正確に描写するために発展してきたのです! それをあなたたちと来たらまったく! デカいとかスゴいとか大ざっぱな区分の形容詞は禁止! シュッとかバッとかの擬音は本来は動作語であって形容詞ではありません! いいですかそもそも――」
天気は今日も大陸晴れ。
朝の陽射しの下、青年と少女の二人分の悲鳴が荒れ野に響いたのであった。
***
そんなこんなで、彼らがコンスナファルツの門をくぐったのは、昼も目の前という時間になってからだ。
「ですから土地の名前にもちゃんとした由来があるのです。このコンスナファルツは古語の地名活用形で〈塩の市場〉を意味し、かつて岩塩の採掘と積み出しで栄えた往事の姿を――」
草原を横切るあいだに地名学に授業を変えた〈ソシア先生〉が、ヴェクたちを先導して中央大通りを進んでいく。そんな彼女の目を盗んでは街並みに目を飛ばし、ヴェクはひそかに都市の姿に圧倒されていた。
大通りの両側には色とりどりの日よけ布を張った屋台が肩を並べ、その後ろからは建物が空へと伸びあがる。それらは白い壁に赤の梁と素焼き瓦に統一されていて、祭のように賑やかでありながら舞踏会へ向かう淑女のように美しい。
三人は押し合いへし合いの人ごみを馬でかき分けながら、市の中心部、中央市場を目指していた。足もとの道にはきめの整った白砂が敷かれ、雨を流すミゾには隙間なく石畳が引いてある。それらを踏む人の量も、今までの街とはケタ違いだ。
「にしても、屋台や物売りがすっげぇ多いんだな」
ようやく冷静になれたのか、ヴェクのつぶやきにソシアがにこやかにふり返る。
「はい、この街はアンメイアとファービリオ、その間の物流の一大拠点ですから。荷の積み替えだけでなく行商や小売り向けの卸しも盛んなんですよ。この中央通りには旅人向けの小売り屋台が集中してます。もうちょっとわきに入ると、今度は問屋や運送屋でいっぱいで、ほんとに倉庫だらけなんですよ」
彼がやけに詳しい説明に、この街に住んでいたのかとたずねると、ソシアはなぜかちょっとだけ肩を落としてうなずく。
「小さいころに数年ほど。父の……仕事の関係でこの街にいましたから」
その言葉にどこか引っかかるものを感じるヴェク。と、そこへ馬の足もとからパタパタという足音と、かわいい歓声が上がってくる。
「まっくろのおんまさんだぁ!」「じゅーしさまだ! おーいじゅーしさま!」
「いつもありがとー!」「おしごと、がんばってくださいね!」
立ち止まったメルの股下をくぐって、街の子供たちがじゃれつく。彼は帽子を上げて子供たちに応えながら、彼らにソシアの子供時代を想像して重ね合わせた。あのきれいな髪をお下げにでも結っていたなら、さぞ人気者だったに違いない。
「……ソシィは、あんまり外に出なかったよね」
「ですね。でも、仕方ありません」
だが少女たちが交わした小声が想像を打ち消す。ほの暗い空気が声に横たわるのが気になり、ヴェクは何気ないふうを装って二人にたずねる。
「んー、なんかあったのかい?」
「また後でね、ヴェク」「機会があればお話ししますから」
少女たちは話をそっけなく、そして無理に切ってしまった。
――はーん? なにをあせってんだ、二人とも。
ここまで来るとますます気にかかるが、さしたる心当たりもなければ言葉を続けるわけにもいかない。ヴェクはただ口を閉じ、少し先を行くソシアを見やった。
ボンネットの覆い布に隠された長い髪。彼の記憶にある青銀色につなげて思い出せるのは、峠の一件での彼女の言葉とその後のやり取りだ。
(「私の髪の色で、お気づきになりませんか?」)
髪の色。アザ模様。ケタ外れの〈魔力〉。そして羽。彼女に隠された事情があるのはすぐに察しがつく。ヴェクはその中でも特に魔力が特に気になっていた。
いわゆる〈魔法〉と縁の遠かった彼も、王立大で一通りは学んでいる。それは人が持つ魔力を〈織魔水晶〉という特殊な水晶を通して変換する現象と、まつわる技術の総称だ。
放たれる魔法は水晶の種類によって大枠が決まり、その力の制御については使用者によるところが大きい。難しく聞こえるが、水晶を道具と考えれば少しは簡単になるだろう。使う道具によってできることが決まり、腕前によって出来栄えが変わるわけだ。
ただし道具と違って、腕前は生まれ持った素質に大きく左右される。たとえば熱を作り出す〈朱の織魔水晶〉を使ったとしても、小さな火花しか飛ばせない者もいれば、同じ水晶で鉄を真っ赤に溶かす者もいる。ありふれた水晶で峠の花畑を丸ごと黒コゲにしたソシアの素質などは、まず並外れていると言っていい。
そして彼女のように素質にあふれた者は、まわりから〈魔術師〉ともてはやされるのが普通だ。自分から言い出さずとも、それを隠そうとする者はまずいない。
だがソシアは、風になびくヴェールがそうであるように、自身の力を必死に隠そうとしているようにヴェクは思う。さらにはラファムも事情を知っているように思えてならないのだが。
――まぁ、無理に聞き出すほどの事でもなかろうよ。
深入りすべきとも思えず、ヴェクは肩をすくめて二人への探りを打ち切った。
そうしてしばらく進むと、彼らにもようやく中央市場の門が見えてきたのだった。青銅の盾が埋め込まれた立派な灰白石の門柱。盾に刻まれた六角形に三本の線が中心で結ばれた紋章は、おそらく塩の結晶を模したものだろう。
――なるほど塩の市場。さぞ誇りなんだろうなあ
広場に入ると人の波はいくぶんか和らぐ。まわりにそびえ立つ建物はどれも造りが立派で、広場に面した門には番が立っているものも多い。王立大の大校舎ほどではないが、どれも時代と威厳を感じさせた。
と、馬をヴェクに合わせてきたソシアが、彼を左へと引っぱる。
「正面は中心街で、いちばん目立つ三角屋根は市議場です。右を進めば公営の闘技場がありますが、民生銃士ギルドは左を進んだところにありますから」
彼が賭け事に目がないのはすでに少女たちも知るところ。ヴェクは茶目っ気に舌を出し、メルの腹にカカトを当てて左への合図を出したのであった。
コンスナファルツの昼下がりは強い陽射しをはね返すような活気にみちて、時間はゆっくりと、そしてとても濃く流れていた。