6.教えの在処
リーアムを助けるついでに思わぬ捕りものまでしてしまったヴェクたちは、当初の予定よりかなり早く峠むこうの街へ着き、件の仲買人を証拠の花束をそえてギルドに引き渡した。
三人の働きにはギルドから少なくない手間賃が出された。事件を納得してもらうのにけっこうな説明が必要だったのは、まあ愛きょうというものだろう。
もちろん仕事はそれで終わりではなく、犯人の引き渡しが済むや三人はリーアムを連れて医者を訪れる。彼女から母親の容態を聞いた医者は二つ返事で同行を申し出てくれた。
かくて往き帰りで数日を見込んでいた峠の往復は、終わってみればたった一昼夜の出来事となった。全ては仲買人が使っていた抜け道と、馬たちの素晴らしい働きのおかげだ。
ガルダドック村に戻った彼らは、村人たちの心からの感謝に迎えられた。特にあのアーラブ老人の喜びようと言ったら、三人が聖女の御使いであるかようにひれ伏そうとして、老銃士とリマール一家にあわてて止められるほどだったのだから。
思わぬ寄り道ではあったが、結果的に彼らは母娘二人、いや〈悪魔の麗花〉の被害を考えればそれ以上の人命を救ったのだ。
村にいる間ラファムがホクホク顔をしっぱなしで、ソシアすらあまりの上機嫌に呆れかえっていた。ヴェクは「まぐれじゃねーか」と彼女の言葉を返して釘を刺そうとしたが、その実、彼もまたまんざらでもない心持ちであった。
***
村での最終日。話せるほどによくなったリーアムの母親が、リマール家を訪問した三人と老銃士にベッドの上から深く頭を下げてくる。
「ほんとうにもう、なんとお礼をいったらいいのか……」
「お母さんまだ動いちゃダメだよ。お医者さんが困っちゃうよ」
母親を寝かしつけるリーアムの元気な姿にヴェクは微笑む。花の毒もすっかり抜けたようだ。様子を見に来ていたヒゲ面の医者も、白いローブを腕まくりしながら三人へと感謝する。
「薬も効いてきましたからもう安心ですよ。本当にありがとうございます。あの奥方はずいぶん弱っておいでで、着いたその日がちょうど峠でしたから。いやはやまったく、峠を越せて何よりでした」
医者の冴えない冗談はともかく、二人が無事に助かったことに誰もがホッと胸をなで下ろしたのだった。
やがて彼らは一家に見送られ、小さな羊牧場を後にする。いつまでも手を振るリーアムに少女たちがよろこんで振り返す横で、ヴェクは考え事のフリをしていた。そこへスッと老銃士が馬を寄せ、彼の肩を叩く。
「そろそろ報酬の話をしようかの」
「……――やっぱりわかっちまうか爺さん」
「声をかけ辛かったんだろう? 案ずるなきっちり払ってやるわいな」
「いや金もそうだが、何よりこっちはまずあれだ、教導者の居場所が聞きてえな」
「それは、私も気になります」
振り返れば、まだ手を振り続けるラファムを放ってソシアが後ろから話に追いついてきていた。
老銃士がヴェクたちに、枯れた顔に似合わない若々しい笑みを投げる。
「急くでない急くでない。しかし惜しいのう、あと五年早ければ、此度の働きだけでお前らに〈銃士の心〉を授けてやれたんだがのう」
ギョッと、ヴェクはソシアと顔を見合わせる。その言葉の意味するところはつまり――。
「爺さんあんた、まさか教導者だったのか?」
「五年前に引退したわい。まぁ街づとめをやめる潮時だったし、やっぱり生まれ故郷が一番だからのお」
何もない。そう言いたくなるような山すその荒れ地に、しかし老銃士がやわらかい眼差しを投げかけた。ここで生まれ育った人間にしかできない、とても安らいた顔で。やがて顔を戻した老銃士がヒヒッと笑って先を続ける。
「まあ、こんな爺の事なんかどうでも良かろうて。肝心の教導者だが、かつての部下の一人でコンスナファルツで民生銃士の長をやっとる。ヴァルーシャっちゅう娘っ子で――」
彼が名前を口にした途端に、ソシアが勢いこんで身を乗り出してきた。
「まさかヴァルーシャ・ルベアシャール卿ですか!? おばさ――いえ私たちの師匠である王立大の校長閣下より聞いたことがあります。たしか弟子の中でも五指に入る逸材だったと」
「はて、ヴァルーシャの師匠で王立大の校長といえば、かの〈殲滅卿〉ことフルールアルムの娘のはずだが。……よもや嬢ちゃんたちもフェアラちゃんの弟子かい? こいつはくわばら、道理で使い手のはずだわい」
老銃士が合点のいった様子で、そしてなぜだか首をすくめて震えてみせ、それにソシアが申し訳なさそうに頭を下げる。
そのやり取りがさっぱりなヴェクは、素直に老銃士にきいてみた。
「爺さん、そのオルク何とかってのは?」
「若いの……自分の師匠の二つ名ぐらいは知っておくがよい。〈殲滅卿〉とは古くから続く〈恐れ名〉でな、立ちはだかる敵をことごとく討ち滅ぼす、まるで血に飢えたがごとき豪傑に与えられる銘だて。同じ銃士でも〈殲滅卿〉の前に立てば死あるのみ、と、そういうわけでな」
言いながら首をかき切るジェスチャをする老銃士に、ヴェクはここにいないフェアラムの赤い瞳を見た気がした。恐ろしい銘を献上されるのも納得のギラリとした輝きが、はるかに荒野を越えて彼の背を寒くする。
「やっぱ校長トンデモねぇ……あ、ちなみに俺は弟子じゃないがな」
「弟子です」ぼそりつぶやくソシア「弟子に決まってます」さらに言葉をかぶせたその瞳が、一蓮托生、一抜け禁止、と彼を横目に威圧してくる。
ヴェクは口答えを諦め、タイミング良く嘶いたメルの首を撫でた。まるで愛馬に慰められているようだった。
ともあれ、これで彼らの目的地は決まった。
国境の街コンスナファルツ。それはアンメイア王国と西の大国〈ファービリオ通商会議〉との国境に近い、アンメイアの台所とも言われる大都市だ。
「まるっと国の反対側じゃねえの。こりゃ長旅になるな」
「これも訓練と思いましょうヴェクさん。ラフィ、聞いてましたか? 聞いてないんですか!?」
ぼやいたヴェクを柔らかく励ましたソシアが、話をすっかり聞き逃したラファムへと馬を下がらせていく。
彼女が離れたのを見てとり、老銃士がこそっとヴェクに問う。
「ときに若いの、どちらが好きな娘か?」
「げふっ! ちょ、爺さん何を! んなわけねえだろあんなガキンチョどもに」
「そうなのか? ……まあ、見立て違いという事もあるだろうて。ちなみにこれは忠告だがのう。銃士仲間に惚れたらちょっと考え直すとよいぞ。尻に敷かれたいなら構わんがのう」
それだけ言って、老銃士がヴェクの前に馬を進めて顔を隠してしまう。
――なーにが、だーれが……いや、今のってひょっとして、ひょっとするのか?
パンを渡してくれたあの老婦人のことが頭にちらつく。老銃士がさびた剣なら、あちらは使い込まれて角の取れた棍棒ってことは……いやいやまさかそんなはずはないと彼は笑う。
低い丘を越え、見えてきたのはガルダドックの家並み。谷底の村は賑わいこそなくとも、今日も身の丈の平和にキラキラと輝いている。
それを守れたことを、ヴェクはひそかに誇りに思ったのであった。