2.峠の村
ガルダドック村は〈薔薇岩山地〉に数ある峠町の中でもとりわけ小さい。というのも場所が悪いのだ。北の辺境に近く、西の王都からは遠く、訪れるものといえば砂嵐か霧か、あとは辺境への入植民が年に一回ぐらい。ヒツジの放牧が主な生業で、これといった特産品もない。
ヴェクたちがこの村に来たのはほんの偶然から。峠越えをあせって王立大にいちばん近い峠を選んだがゆえのことだ。地図に小さく書かれた村を見落としたのも仕方がないといえば、まあ、ないだろう。
***
店が七つ並べば大通りとは、村を指して都市の人間がバカにする言葉であるが、ヴェクが指折り数えたところで、村の坂になって曲がりくねった通りには六つがあるばかりだった。
「鍛冶に雑貨に宿屋に石工、あとは聖女教会に銃士ギルド、と。宿屋の酒場を別にしてようやく七軒かよ。こうなるとギルドがある方が驚きだぜ」
銃士ギルドとは、簡単に言えば銃士の事務所である。町ぐらいの人里には必ず存在し、大きなものになれば単に事務所だけではなく、詰め所に酒場に宿舎、さらに魔銃を手入れする工房や弾薬を販売する売店まで備えた一大拠点となる。とはいえそんなものがこんな村にあるものでもなく、軒先に下がった看板を除けば、こぢんまりした建物はそこらの家と変わりない。
ソシアたちと望みうすに視線を交わして、ヴェクはゆっくりとギルドらしき家へと馬を進めた。一応、彼らは銃士を表す黒の帯を付けていたのだが、注目する人間は一人もいない。それどころか通りには人っ子一人見当たらなかった。
「村に人がいない、ってわけじゃないみたいだけど」
家々の煙突から立ちのぼる煙を見てつぶやいたラファムに肩をすくめて、馬を銃士ギルド(?)の馬繋ぎにつないだヴェクは、建てつけの悪い扉をキシッと鳴らして押し開ける。
あに図らんや、そこでは朝食のテーブルを囲んだ老夫婦と少年が、パンを片手にこちらをふり返るところだった。老人の肩から下がった帯を見て、ヴェクは彼が銃士であると気付く。だがその見てくれはどうだか、腰はまがり頭は禿げ、服装にいたってはシャツにモモ引きという羊飼いスタイル。
お互いに少し黙ったあとで、老人がおどろいたふうに頭をなでながら三人に声をかける。
「こりゃびっくりした。印のない銃士って事はお前さんらは新士ですな? いんやぁ新士が来るとはいつぶりかの。こりゃ砂嵐も回れ右して逃げ出すわい」
「こっちも骸骨がしゃべってておどろ――がふっ!」
思わずノリで答えたヴェクの腹に、ラファムの拳が突き刺さったのであった。
***
無礼を侘びて礼を執った三人に、老銃士は呵々《かか》と笑い、かしこまらんでくださいと椅子を勧めてくれた。
「いやいや、もう半分は墓に足突っ込んだ老いぼれでしてのう。息子夫婦の力を借りてこの辺の村を見回るのが日課でして」
「息子さんも銃士なのですか?」
ソシアの問いに、老銃士は残り少ない歯を見せて笑った。
「自慢の息子でしてな。ですがあいにく一昨日から夫婦ゲンカの仲裁に、別の村へ行っておりましてのう。いや残念」
「父ちゃんは強いんだぞ!」
無邪気に拳を振り上げた少年の頭を、ヴェクは笑いながらポンと撫でる。
――俺にも父親がいればこんな感じだったかねえ。
考えてみても想像がつくわけがない。視線ごと考えを明後日へと放り投げたところで、彼はふと、少年を見るラファムの異様な目つきに気付く。そのクリッとした鳶色の瞳は、凪の水面を思わせる感情の失せた、それでいて焦がれるような色を湛えている。
――ひでえ目をしやがって……まさか、コイツも親父がいねえクチか?
だが彼の注目に気付いたラファムが顔をそらしたせいで、考え事はそこで中断された。
そんなヴェクたちをよそに老銃士と世間話を続けていたソシアが、やがて頃合いと見たのか控えめに話を切り出した。
「ところで、こちらはギルド業務――仕事の斡旋などは……」
「ああ、申し訳ないですがやっとりませんのお。この村は平和そのものでしてな。よそ者もほとんど来ませんし、夜回りは村の者で済んでしまうもんで」
「マジかよ。まあ、もしかしたらで寄っただけだし、しゃあねえやな」
老銃士の答えに、ヴェクは少女たちへと首を振った。
銃士はふつう国家や都市に仕えるが、一所に長くいる者は少なく、むしろ圧倒的にそうではない銃士――人呼んで〈自由銃士〉が大半を占めている。今や銃士の仕事はギルドが自由銃士に仕事を割りふることで成り立っており、内容によっては日雇いや時間給もありえる。そして新士も実習をかねて、自由銃士と同じように仕事を回してもらえる決まりになっていた。大陸を巡るには足りない金貨十枚という路銀はつまり、残りは自分で稼げということなのだ。
とはいえ仕事がないのではどうしようもない。ヴェクは老銃士に頭を下げた。
「邪魔しちまったな爺さん」
「いやいや、ほんにすまんこって。お詫びというてはなんだが良かったら婆さんのパンでも持ってってくれ。峠越しだと煮炊きは難しいだろうてな」
あんたったらまったくと柔らかく叱りながら、それでも笑顔でパンを取りに席を立った温和そうな老婦人にソシアが頭を上げ、ヴェクもそれに続く。
ちょうどその時だ。ギルドの扉がバツンと勢いよく開かれ、老銃士よりもさらに年かさの老人が杖も定まらない様子で駆け込んでくると、老銃士の足にすがりつきながらわめく。
「銃士様、銃士様! わ、わ、儂のところのリーアを見かけとりませんか!」
「アーラブかい? どうした、そんなに慌てて」
老銃士がなだめようとするが、アーラブと呼ばれた腕だけを半狂乱に振り回すばかりだ。
「リーアがいなくなってしもうた! きっと峠むこうに行ったんじゃ!」
「まあまあ落ち着けアーラブ、事情は向こうで聞こう。若いの、すまんが手伝ってくれんかのう。こいつ腰を抜かしたようだからな」
老銃士に案内され、ヴェクは混乱しきった老人を小さな書斎へと運んだ。ホコリっぽい長椅子に老人を座らせると、彼の後ろからラファムとソシアも付いてきた。
「アーラブ。まずは順序立てて聞かせてもらおうかの」
紙とペンを持つその手際のよさに昔の姿を感じさせつつ、老銃士が事の子細を聞き出しにかかる。ヴェクたちも横からその聞き取りに参加した。
老人はアーラブ・リマールという名の、牧羊家の主人だそうだ。
今朝のこと、一家が目を覚ますと十一歳になる孫娘のリーアムの姿が消えていたというのがその訴えだった。家中くまなく探したが見つからず、さらに彼女になついていたラバまで見当たらないという。
「ラバに乗っていったなら、谷に石でも拾いに行ったんじゃなかろうかのう?」
「いえそれが銃士様、うちにはもしやと思う事がありまして……」
「ふむ、もしかして嫁さんの病気の事かいの? もっと悪くなったのかい?」
何かに合点したらしく、老銃士がヴェクたちを手招きして説明する。
嫁さん、つまりリーアムの母親は咳と熱がくり返し襲う「ヒツジ熱」という病気にかかり、日ごとに弱っているそうだ。
アーラブによると昨日のことだ。峠むこうに住む羊毛の仲買人が一家をたずねてきて、ヒツジ熱を治せる医者があちらの町に滞在していると告げたらしい。しかし弱った母親に峠越えは無理で、とにかく仲買人に頼んで治し方だけでも聞いて来てもらう事にしたという。
「そのときリーアだけが反対したですじゃ。私がお医者様を連れてくると言って。何とかなだめて寝かしつけたんじゃが」
「とすれば峠へ向かったのかのう。片道三日はかかる道だぞい」
「三日ですか? この地図では一日半と書かれてますが」
老銃士の言葉に、ソシアが地図を持って会話に割りこんだ。
「ふむ……その地図の隧道ですが、半年前の山崩れでふさがっておりましてな。今はこっちの古い道をつかっているのですが」
ここで何を思ったのか、老銃士がチラリとヴェクたちに目を投げる。
「馬があればのぉ。あいにくと、うちの馬は息子夫婦に貸してしもうたし」
さらにチラッ。おまけに二度ほどチラチラッと。
「誰ぞ行ってくれんかのぉ。あまり手当は出せぬがのぉ」
――この爺さん、いい根性してんじゃねえか。
ヴェクは苦笑いを隠すと、涙に暮れるアーラブ老人の肩に手を置いた。
「爺さん、俺が孫ちゃんを捜しに行ってきてやるから――」
「それだけじゃなくて医者も連れてこようよ!」
そのとき、ずっと黙っていたラファムから予期せぬ声が飛んできた。身を乗り出して異様なほどのやる気を見せる彼女に面食らったのはヴェクの方だった。コソコソと声を低くして、彼はラファムの無茶な提案をやめさせようとした。
「おいちょい待ちお嬢ちゃん。いやラファムさんよ。そうすると俺たちは行き、帰り、行きで三度も峠を越える事になるぞ。いくら馬で走るとしても七日は見ないと……」
「リーアちゃんのお母さんが死にそうなんでしょ! もし間に合わなかったらどうするの!」
「そりゃ寝覚めが…………じゃねえよ銃士は便利屋じゃねえんだ、そこまで面倒は見きれねえぞ。だいたい教導者の居場所だって知らねえのに、こんな田舎で時間を無駄にしてたら」
「教導者の居所なら知っておるぞい」
「マジかよそりゃありがてえ…………ってうわジジィ!」
いつの間にやら、二人のヒソヒソ話に老銃士が首を突っ込っんでくる。
「儂の知り合いでのう。このまえ便りが届きましてのう」
そう言ってニタリと口角を上げた老銃士に、ヴェクは思わず天を仰いた。
――うっわ、とんでもねえタダ働きの予感。っていうかフェアラム校長や教官殿も含めてよぉ、銃士ってのはどうしてこうロクでもねえのがそろってんだ、えぇ?
彼の心の叫びを読んだかのように、老銃士がほくそ笑んだ。
「タダとは言わんぞい。アーラブよ、リーアちゃんと嫁が助かったら少しは金を出すかい?」
「そりゃ願ってもないが……ああ、少しならなぁ」
具体的な金額を出してこないのがとても疑わしい。だいたいエサで釣っておいて面倒事を押しつけるこの手口は、こすっからい盗賊頭がよくやるものだ。
だが一方で、もし老銃士の言葉が真実なら破格の報酬であるとも言える。さてどうしたものやら、とヴェクが慎重に返事を考えようとするのを、しかしソシアと手を取り合ったラファムが勢いこんで見事にぶちこわした。
「やるよ、私やってみせる! ソシィもやるよね?」
「はい。これも銃士の務めです!」
「……いやおい、勝手に決めんなよ、頼むぜ」
計算もへったくれも無く話が決まってゆく。この好ましくない事態に対し、彼はガックリとうなだれることしかできなかった。