1
本棚から本を取り出して一つ一つ確認しながら仕分けていく。次の段の本を取り出したら、はらりと何かが落ちた。手に持って見ると、セピア色に色褪せた写真だった。手を止めて思わず見入ってしまった。
「何を見ているんだい」
穏やかな声が話しかけてきた。
「写真をね、見ていたの」
その写真を声の主に渡した。彼は表を見て裏に返し、書かれていた言葉を読んで「ほお~」と一声発した。私にその写真を返しながら彼は言った。
「この写真はどうするのかな」
「そうねえ~。どうした方がいいと思う」
私の問いに立っていた彼は隣に座ってきた。そして別にしていたアルバムを手に取ると、それを開いた。最初のページも、セピア色に変わった写真だった。
「このまま捨ててしまうのも、もったいないな」
「そうよね~。でも場所をとるじゃない」
「だけど、これも立派な我が家誌だろ。それをなくしてしまうのもどうかと思わないか」
「我が家しって何」
「我が家の記念日誌、略して我が家誌さ」
彼の言葉に笑いが零れた。私につられたのか彼も笑い出した。その声を聞きつけたのか家族が集まってきた。
「父さん、母さん、何を笑っているんだよ」
「何か面白いものでもありましたか、お義母さん」
「じぃじ、ずるい~。ぼくにもみせて~」
「おばあちゃん、な~にこれ。古い写真ね」
息子夫婦と孫たちの言葉に私はにこりと笑った。
「これはね、お前たちのひいひいおじいちゃんから続く我が家誌なのよ」
「わがやし? なにそれ~」
「そんな言葉聞いたことないよ」
私は夫と見つめ合ってからフフッと笑った。
「それはそうでしょう。造語だもの」
「ぞうご~?」
「あっ、私知ってるよ~。既存の言葉じゃなくて、新しく造った言葉なんでしょ」
「まあ、陽菜はよく知っていたわね。小学校で習ったの」
「違うよ~。テレビで言っていたのを、意味がよく解らなかったから調べてみたの」
「偉いぞ、陽菜。解らないことをそのままにしないのは、とても良い事なんだぞ」
「えへへー」
夫に褒められた陽菜が、頬を染めて照れ笑いをした。
「ところでお義母さん、一休みしませんか。柏餅を買ってきたんですよ」
「まあ、柏餅。あら~、そういえば一週間後には子供の日よねえ~」
「ええ。その日はちまきを予約しているから、昭和の日の今日は柏餅にしてみました」
息子達と居間に移動して、緑茶と柏餅をいただいた。そうしたら孫の陽菜が訊いてきた。
「ねえ、おばあちゃん。さっきの写真って古いよね~」
「ええ、そうね」
「いつ頃の写真なの」
「おばあちゃんもね、いつの物なのかは見ないと分からないのよ」
「え~、じゃあ持ってくるから教えてくれる」
そういって陽菜はパタパタとアルバムを取りにリビングを出て行った。その後を息子が追いかけた。「陽菜、重いから父さんが持つよ」と言いながら。
戻ってきた時、陽菜は1冊のアルバムを持っていた。息子は5冊も抱えてきた。
「そんなにあったかしら」
「ついでに母さんのも持ってきたんだ。だって我が家誌を見るんだろう」
「まあ。でもそうね」
そしてそれぞれ1冊ずつのアルバムを手に取り開いてみた。
「ええっ! すごーい」
嫁の声にみんなの視線が集まった。みんなに見せるようにアルバムを見せてきた。みんなで覗いたらそのページにはセピア色の写真と新聞の切り抜き記事が挟み込まれていた。
「ええっ? 1926年(昭和元年)12月25日? この新聞記事は大正天皇崩御のことが書かれているじゃないか。なんでこんなものがとってあるんだよ」
記事を読んだ息子が素っ頓狂な声をあげた。孫の裕翔は驚いて嫁の服を握りしめていた。夫が他のアルバムと見比べて言った。
「これが最初の写真みたいだね」
「それでは我が家誌は昭和史でもあるのね」
私はその写真をじっと見つめた。写っているのは普通の民家の家。これは前の我が家だ。
「おばあちゃん、なんでこの新聞記事を取っておいてあるの」
「それはね、陽菜のひいひいおじいさんが新聞記者だったからなのよ」
「って、ことは俺のひい爺さんか。母さん、ひい爺さんって何年生まれだったのか知っているのかい」
「確か・・・明治40年だったかしら」
「げっ、明治。いったい何年前だよ」
「今が平成29年。昭和は64年。大正は15年。明治は45年までだったんだ。これくらいの計算は簡単だろ」
「えーと、明治40年生まれだから45年までってことで5歳で大正を足して20歳。昭和が64年で84歳。平成を足すと生きていれば113歳か。すごいな」
「こら、浩介。そこから3年引かないか」
「なんでだよ」
「明治45年と大正元年、大正15年と昭和元年、昭和64年と平成元年は同じ年だろう。いくらなんでも、それくらいのことは覚えていなさい」
「そんなややこしい事知るかよ。大体そういうことは西暦で表してくれよ」
「お前は・・・。情けないな」
「まあまあ、お義父さん。でも、すごいですね。92年分の写真ですか」
「そうだなあ。だけど、写真の年は飛び飛びだな。時代的にも難しかったのだろうけど」
「時代? おじいちゃん、写真が少ないことと何か関係があるの」
陽菜が不思議そうに訊いてきた。
「陽菜、この頃は写真はすごく高価な物だったんだぞ。それにな、昭和に入ると戦争の色が濃くなっていったと聞いたことがあるしな」
「そうねえ。私も昭和9年生まれの父から、うちの庭には防空壕を掘っていたって聞いているけど。祖父は召集されずにすんだけど、お隣や裏のうちは跡継ぎを亡くしたと聞いたわね」
アルバムをめくっていくと、蒸気機関車の写真、どこかの工場の写真、農村風景。
それから機関車の前で並ぶ人たち。出征していく人たちの見送りなのだろう。
本当に時代なのだと思い、次のページをめくったらその写真に息をのんだ。
その写真は建物が壊れ燃えている写真。白黒だけど、煙が上がっているのがよくわかる。
「これって、大丈夫だったのか。いくら新聞社でも、こんな写真」
夫の言葉にこの時代のことが思われる。戦争を否定するようなことを云えば、非国民扱いをされたという。夫や子供が召集されるのを、万歳をして送りだしたとも。別れることを悲しんで涙を見せることもできなかったとか。
ページをめくると掘っ建て小屋が並んでいた。そこから少しづつ復興していく様子が、写真に収められていた。
そして、そのアルバムの最後のページはまた我が家の写真だった。前と違って増築したのか右側に建物が増えていたのだった。