勇者やめたい。/勇者なりたい!
西暦20XX年。日本。某県某市内某地区内。
「大丈夫……出来る、出来る……。僕は、闇の勇者なんだから……」
胸に手をあてて、どきどきとうるさい心臓を落ち着かせる。
深呼吸をして、前を見据える。
「車にぶつかったくらいで、傷を負うような体じゃないんだ……!」
僕は、一世一代の勝負に出ようとしていた。
くすんだブロック塀と、灰色のアスファルト。剥がれた所が多い白線。なんてことのない、通学路。僕は、それに不満を抱いていた。
あまりにも平和な世界。あまりにも平穏な日々。ありふれた現代社会の日常。僕を取り巻くどれもこれもが、僕にふさわしいものではなかった。
──だって僕は……世界に選ばれし影の魔王、そのひとに指名された、闇の勇者なのだから……!
それなのに闇の眷属たる仲間が増える気配は一向にないし、ライバルの光の勇者(※友人のタケルくん)は「俺やーめた」とか言って戦争を放棄した。
僕に使命を思い出させた師匠(※従兄弟のトモキさん)は姿を消してしまった。これは、僕という勇者を再び生み出してしまった、世界からのペナルティ(※海外就職)に違いない……!
師匠もライバルも仲間も居なくなった(※仲間は居なかった)僕に残された道は、ただ一つ。
この身が闇の勇者であると証明し、この平穏無事な世界に、宣戦布告すること!
真昼のやさしい陽光を、誰もを焼く光線へと──パンダの誕生を祝うニュースを、軍単位での新たな被害が生じたニュースへと──友と遊ぶ子供たちのきらめく瞳を、仇敵討たんと復讐に燃える瞳へと──!
とにかく、闇の勇者たる僕が羽ばたくにふさわしい戦場に、変えることだ!
そのためにまず、闇の勇者がやすやすと死なないことを証明しなければ。
──そして冒頭に戻る。
僕は今、車に向かって飛び出そうとしていた。闇の勇者は車に轢かれたくらいでは傷付くことはないと証明するために。
深呼吸。恐れるな闇の勇者。
膝の屈伸。落ち着くんだ闇の勇者。
トラックが近付いてくる。
このあたりには速度制限の看板は無い。トラックの速度は十分。闇の勇者が闇の勇者だと証明するには丁度いい。
もう一度深呼吸。……よし。もう、大丈夫。
トラックとの距離、100メートル、……50メートル、……10メートル。
ぐっと足を踏み込んで。
勢いよく、飛ぶように。
「僕が、闇の勇者なんだ──!」
聖暦30XX年。トルレサーヴァ聖王国イエディ街西地区。
「……闇の勇者さあ、やめたいんだよな」
俺は、今日も今日とてお付き精霊に愚痴っていた。
「大体さ、勇者に闇も光もあると思うか? 無いよな。使える魔法に違いがあるわけじゃないし、別に俺が悪人で、あいつが聖人ってわけじゃない。神様のイタズラで、俺が汚れ仕事側に回っちまっただけなんだ。理不尽だろ。勇者やめたい」
俺は闇の勇者。任命したのは聖王国。もっと厳密に言えば、世界に選ばれし影の魔王──魔王の中でも人間に肩入れしている──その彼が、俺を、闇の勇者だと言ったのだ。
俺は辺鄙な村の出身だった。これが決まった瞬間、村はお祝いムードになった。
なぜなら、勇者を排出した村や町には、それだけで報酬が贈られるからだ。
世界を守る力を……なんて言っておいて、人ひとりを売り払うのと一緒だ。
「人身御供じゃん、こんなの。体よく間引きされたんだ、俺は。ちょっと適性があったから、働き潰される事になっただけだ」
自嘲するように言うと、お付き精霊がふわりとその身を俺に寄せてきた。
……魔力の塊のような存在だから、あまり実体は感じられないけれど。それでも羽の部分が肌に当たって、かすかにくすぐったい。
もしかしたら慰めているのかもしれない。やさしいことだ。
「……ごめんな、お前にこんな話しても仕方が無いよなぁ……」
もやもやきらきらとした体の真ん中あたりを撫でて、苦笑とともに呟く。
そう。誰に話しても仕方が無い。
闇の勇者の役目は他に任せるわけにはいかないのだ。それはすなわち、俺が死ぬことを示しているのだから。
それでもやめたい。
──だってもし、この使命から身を引けたなら。
「お前が闇の勇者だな! 俺の故郷をよくも────ァ、ぁ?」
突然現れて恨み節。間違いなく向けられた殺意。
それも一瞬で無くなった。首を切り落とせば相手は黙る。
剣に付いた血を振って払う。顔に付いた返り血は、拭くのも面倒臭かった。
「もう、血なんて浴びなくて済むだろ、俺」
ぽつりと呟いて、現実から背くように、目を閉じた。