第2話 二人の名は
【2】
生まれて初めての木登りは予想していたものよりもはるかに難易度が高く、もう二度と登らないと秘かに心に決めた。
「ほんにな~、何で降りられもせんのに登ったん? 最近多発しちょー誘拐かと思ったんか? だとしても叫びゃーええもんを……」
賊はしゃがみ込み、仰向けになって喘いでいる俺の顔を覗き込みながら言った。
俺は、もっともだ、と思いそのまま続ける賊の話に口を挟むことなく聞いていた。
「大体、何処の馬の骨って、どっからどう見てもウチは人間だから人間の骨しかねーっちゅうの! それにバレんかったら死刑になんぞならんわ」
なかなかたくましく、犯罪者めいた発言をしながら、ケタケタ、と楽しそうに笑った。
賊は俺の息が整うのを待つと、ゆっくり口を開いた。
「んで、どげすんの?」
「へっ?」
俺は何を問われたのかさっぱり分からず、首を傾げる。
「へっ? じゃないだろ。叫んで助けでも呼ぶか?」
なるほど……賊が侵入したのだから、そうするのが普通の人間がとる行動だろう。
しかし、その考えを否定するようにゆっくりと首を横に振った。
「仮にも命を助けてくれた奴を売るようなことはしない」
俺は真っ直ぐ見据え、至極真面目に言ったのだが、賊はそんな俺の目を見つめ返し大きく息を付いた。
「仮って……あんた、バカだろ」
その言葉に疲労でもう動けないと思っていた体を無理やり起こし、賊に掴み掛る。
「バっ、バカってなんだよ! 助けてもらったんだから当然だろ!」
何故自分が「バカ」と言われたのか全く理解できない。
そんな俺の姿に賊は更に大きな溜め息をつく。そして、自身の胸ぐらを掴む俺の手を払い退かせると大仰に肩をすくめると口を開いた。
「あんな~、もしウチが誘拐犯ならあんたを殺さないのは当然だろ。取引材料が死んでちゃ交渉が成立しないからな」
「……どう言う事だよ」
賊の言っている言葉の意味が分からず眉根を寄せていると、賊は何ということもない、というようにその言葉を口にした。
「下種な言い方をすりゃ、死んだものに価値はねぇってことだよ」
俺は思わず声を詰まらせた。
賊の言っている言葉の意味は分かる。でも、それと同時に分かりたくないと言う気持ちが俺の中を支配した。
「良いか、王族ってのは跡取りが欲しいんよ。だけん、子供の産めない女や跡の継げない子どもなんて要らんの。今のは王族の子どもに限った話だが、ただの子どもが相手だった場合にゃ、多額の金が払えるやつはいねーから捕まった時点で用無し、そんなもの全て廃棄処分対象なんよ」
防壁の外から来た人間から聞かされる話だからこそのリアルさが、俺の平和ボケした脳に突き刺さる。
今まで過ごしてきた平和な生活とはかけ離れた世界。そんな事件の報告を耳にしても自分とは全く違う、どこか遠い世界の話だと思っていた俺にはかなりの衝撃だった。 俺は頭を抱え、報告に上がり聞き流してきた様々な事件を思い出す。
「まぁ、安心せーや。ウチは誘拐犯でもなければ人殺しでもないからな。でもこれからは木の上に逃げるんじゃのーて、大声で叫ぶんだぞ?」
賊のその言葉に俺は頭を抱えた手をほどき、ゆっくりと顔を起こす。
「誘拐犯でもなければ人殺しでもない……じゃあ、お前は死刑のリスクを背負って一体何しに来たんだ?」
賊は一瞬首を傾げると、すぐに元に戻し、あっさりと今回の訪問理由を話した。
「ああ、ウチは次代国王候補サニー・アルフォードを見に来たんよ」
「えっ?」
俺は賊が一瞬何を言ったのか理解する事が出来なかった。
こいつ、気が付いていない?
何しろ賊の捜しているという『次代国王候補サニー・アルフォード』とは今、賊の目の前にいる自分自身なのだから。
賊はそれだけ言うと、まるで何事もなかったかのように、クルリ、と俺の方に顔を向け話し掛ける。
「所であんたはこの城の使用人かなんかか?」
まじか、こいつ。
賊はまだ、自分の目の前にいるこの俺こそが賊の探している『次代国王候補サニー・アルフォード』だということに気付いていない。
誘拐犯でも人殺しでもないと言ってはいたが、気を付けることに越したことはないだろう。
「ああ、うん、そう」
多少目が泳いだ気がするが、庭園に視線を巡らせていた賊は気が付かなかったようだった。
俺が何とか自分から注意を逸らそうと頭を巡らしていると、賊が突然、あっ、と声を立てた。悩んでいた頭を上げると、隣に座っていたはずの賊は既に立ち上がっており、真っ直ぐ一本の木の方に向かって走っていた。急いで側に駆け寄ると賊は何だか嬉しそうに黒いマントを翻しながらくるくると木の周りを回っている。
何なんだよ一体……
俺が首を傾げたその刹那、びゅう、と風が吹き賊が目深に被っていた薄汚いフードが頭から滑り落ちた。そして黒く薄汚いマントのフードから出てきたのは―――
「おっ、女⁉」
太陽に照らされて光る変に違和感のある金髪は長く腰元まで延び、さらされた顔は透き通るような白い肌をしていた。少し幼さを感じるが綺麗に整った顔立ち、少し曇りのある緑色の瞳。十代前半の少女と言った感じだ。
賊、否、少女は嬉しそうに顔をほころばせ、まだ木の周りをくるくると回っている。
「そっ、その木がどうかしたのか?」
俺は多少顔が引きつるのを感じながらも、少女の笑顔とその美しさに胸の高まりを感じた。
少女は木の周りを回るのを止め、愛しそうにその木を撫でた。
「この木、まだ花は咲いていないけどハナミズキの木でしょ?」
俺は草花には詳しくないので素直に、分からない、と首を振った。
すると、そんな俺の返答に気を悪くした様子もなく少女は、フフフ、と小さく笑いながら話した。
「まあ、知らない人も居るよな。これはハナミズキと言う花で別名アメリカヤマボウシって言うんよ」
「アメリカ…何だって?」
「アメリカヤマボウシ、花色は紅や白。花言葉は……華やぐ心」
少女はすごく優しい顔をしていた。まるで少女の周りには満開の花々があるかのように華やかな笑顔。城に侵入してきたあの時の鋭い目(そのように感じただけかもしれない)がまるで嘘のように――
「華やぐ心……」
「そう!」
少女はそのままハナミズキを見上げたままの俺を置いて庭園を駆け回り、植えられている様々な草花の名前を一つ一つ言いながら楽しそうにしていた。
しばらく楽しそうにしている少女を眺めながら、ふと、まだ少女の名前を聞いてないことに気が付いた。
「なぁ、お前! 名前は何て言うんだ?」
すると少女は、ぴたり、と駆け回るのを止め、ゆっくりと振り向いた。
「名前は……無い」
目をそらし、何か含みのある言い方が気になった。
「名前がないってどう言う事?」
「えーっと、みなしご孤児……だから?」
少女は人差し指を立て不自然にニコリと笑い、首を傾げる。
その様子になぜ語尾が疑問形なのか、などあえて深く追求することはせず、一つ提案を持ち掛けた。
「じゃあ、俺が付けても良い?」
「へ……何で?」
突然の申し出にさすがの少女も戸惑いを隠せないようだった。
そりゃそうだ。
しかし、俺の中にはもう、ある名前が浮かび上がってきていた。
「だって、名前がないと呼びにくいだろ? それとも犯罪者って呼んでほしい?」
にやり、と笑う俺に少女は半ば驚きつつ首を小さく振り、了承した。
了承を得た俺は先ほどから思っていたことを素直に口に出し、少女に呼びかけた。そう“華やぐ心”
「ミズキ」
「へっ?」
「君の名前、ミズキ」
そう呼びかけると、少女は俺が名前を付けると言い出したときよりも驚いたような顔をした。
「That`s right.」
少女が、ボソリ、とそう言うのが聞こえた。
随分と発音の良い英語だな……最近の孤児はいい教育を受けてんのか?
そう思いつつも、特に気にすることなく会話を続ける。
「何が“その通り”だって?」
「ああ、いや、気にしないでくれ。ミズキ、ミズキ、うん、良い名だ。今日からそう名乗らせてもらう」
少女、否、ミズキはニコリと笑い、つられて俺も笑う。そして、俺が最も恐れていた質問がミズキの口から発せられた。
「んで、あんたの名前は?」
一瞬、口ごもりつつも何とか答えた。
「ああ……名前な……実は俺もないんだ」
またまた背中に汗が流れるのを感じた。
「ふ~ん、じゃあ、あんたもナンバーなんだ」
「ナンバー?」
言葉の意味が理解できず聞き返すが、ミズキの耳には届いていなかったようだった。少し考えたようなそぶりを見せるとスタスタと近づいてきて、俺の瞳を覗き込んできた。
「そんじゃ、あんたの名前はウチが付けても良いね?」
ち、近い‼
あまりの顔の近さに俺の顔が熱くなる。しかし、ミズキはすぐに一歩身を引くと、にこりと笑った。
「じゃあ、あんたの名前は“レイン”」
「レイン?」
「そう、レイン雨」
俺はせっかくミズキがつけてくれた名だというのに思い切り顔をしかめて、不満を表した。
「レイン雨~。俺、雨嫌いなんだよな~」
「何で?」
ミズキが笑顔のまま、キョトン、と首を傾げる。
俺はそんなミズキの姿を、可愛いな、と思いつつも不満の理由を口にした。
「だって、濡れるし冷たいし……」
どこか投げやりな俺の物言いにミズキは拳を口元に当て更に、クスクス、と笑った。
「そっかそっか、そうだよね~」
「なんだよ」
「べっつに~」
キャッキャッ、と楽しそうに再度庭園を駆けまわるミズキに、俺はなおも食い下がる。
「何なんだよ、一体」
ミズキは、フフフ、と笑い優しく微笑んだ。
「雨はね、確かに降り過ぎるといろんな災害が起こって大変なんだけど、程良く降ると命の恵みなんよ」
ミズキは瞳を閉じると、全身で日の光を受けとめるかのように両腕を真っ直ぐ前に出した。
「草花は成長し輝き、動物は乾きを潤し、人々は悲しみを洗い流す」
呟くように紡いだ優しい声音が庭園全体にふわりと広がる。そしてミズキは瞳を開くと俺にゆっくりと近づき、目を覗き込む。
「あんたはそんな澄んだ綺麗な蒼い瞳をしている」
俺は茫然と自分の目元に手をのばし俯き加減に口を開く。
「そんなこと言われたのはミズキが初めてだ。皆この目を見て青空みたいだって言うから……」
そう、それが俺の名前の由来。“サニー晴れ”
「そうかね~?」
ミズキは覗き込むのを止めると、クルリ、と背を向け一歩二歩と離れていく。
「どちらかというと~何か悲しみが見えるな、レインの瞳には」
そう言うとミズキは何の前触れなく、ダッ、と走り出し、素早く鉤縄を投げて防壁を登った。バイバイと手を振り、フードを目深にかぶると、あっと言う間に外部へと姿を消した。
あまりに突然な出来事に呆気にとられ、ミズキが消えていった防壁を呆然と見ていると、すぐにドタドタと言う足音が聞こえ、兵士が数人姿を現した。
「サニー王子! 何か話し声が聞こえましたが何奴かいたのですか?」
兵士は周りを注意深く見渡し安全を確認すると俺に向き直った。
ミズキが突然外に出て行ったのは、これが原因か。
ずいぶんと言い耳を持っているな、と思いつつ俺は少し考えた後、先ほどの出来事を頭から追い出した。自分は“使用人レイン”ではなく“アルフォード城王子、サニー・アルフォード”なのだと言い聞かせて威厳たっぷりに兵士達に告げた。
「いいや、大事ない」




