4章 神童IN法廷―――六百六十年・九月(一)
「ふーん。ここか」
そう呟き、親父のクローゼットから拝借した黒のシルクハットを目深に被り直す。歩調にだけ気を付けつつ、意気揚々と大人達のごった返す裁判所の中へ。
(ちょろいモンだな)
これだけ大勢いて、誰一人魔術で化けて紛れ込んだ子供の存在に気付かないとは。呆気無さ過ぎて、少々拍子抜けの感すらある。
世間の注目度MAX、しかも自由観覧とあって傍聴席は満杯。どうにか本来の小さな身体を滑り込ませ検察側の真後ろ、裁判全体が見渡せる特等席を確保した。
(噂通り弁護席は空だな。まぁ無理も無いか)
宇宙至上最悪の犯罪者、『Dr.スカーレット』を弁護したいなんて奇特な人間はまずいないだろう。万が一引き受けたら総バッシングだろうし、度胸試しにしてもプレッシャーがキツ過ぎる。
開廷前なので、まだ主役の姿は無し。いるのは爺さんの裁判官と、大分若い検察官の二人だけだ。
(あんなひょろひょろの奴で大丈夫なのか?)
ここからでは後ろ姿、それも長めの金髪と机に広げた資料しか見えないが、最凶の怪女と対決するには如何にも頼りない。
―――まさか、初日から副聖王様自ら立つとはな。
―――裁判史上に残るわ、今日の審議は……。
へえ。あいつが聖族政府のナンバーツー、純血聖族の副聖王なのか。同じ街に住んでいるが初めて見た。てっきりもっと踏ん反り返った糞親父だと思っていたが。あ、そうか。純血は年取らないんだっけ。成程、了解した。
と、優男がこちらを振り返る。中々美形の顔構えに、スッと伸びた鼻梁。そこに薄茶の色素の目がバランス良く乗っている。
「君」唇が開き、奴は誰かに呼び掛けた。「君だよ、黒いシルクハットの紳士君。ちょっとこっちまで降りて来てくれるかな?」
げ、バレたか!?いや待て、まだそうと決まった訳じゃねえ。
「お、いや、私ですか?えっと、ですが壁が」
「これぐらい『身軽』なんだから乗り越えられるだろ?いいから来い」
「は、はい……」
訳が分からないまま傍聴席と検察席の境、七十センチ程度の衝立を登る。よっと!無事着地成功。
「御苦労。さ、こっちへ」
優男は何の躊躇いも無く本体の肩、幻では腕の辺りを掴んで、傍聴席の下へ続く入口へ連行する。検察側の控え室らしき部屋のテーブルには、今日の審議に必要と思われるファイルが山と積まれていた。
「あの、こんな大事な時に何を……?」
「君こそ新学年初日から学業を放り出し、こんな所で社会見学とは良い度胸だな。名前と年齢を言え」
やっぱりバレてら。しかも未成年って事まで。嘘だろ?今までどんな高名な魔術師にも見破られた事無いってのに。何者だよこいつ?
「いや、でも自分から名乗らない人に教えたら駄目って先生から言われてるんで」
「検察側の名前も知らないで観戦するつもりだったのか?まぁ僕は生憎主役ではないが、時間があるなら後でシャバム新聞に目を通しておくといい。この裁判にあたってインタヴューに答えている」
成程。だから親父とお袋が出掛ける前、何時に無く真剣に齧り付いて読んでいたのか。待てよ?まさか二人共、今ここに来てるんじゃなかろうな?そう言えば、仕事に行くにしては家を出る時間が随分遅かったような……。
「しかし、子供にしては一理ある」
そう頷くと、奴は年下相手に躊躇いも無く一礼。
「僕はエルシェンカ。聖族政府所属で、一応副聖王をやっている者だ。ん?……あ、分かったぞ」ぽん。「君が悪餓鬼のジョウン・フィクスだな。学校へも行かず、現役魔術師への道場破りに日々明け暮れていると言う」
エルは顎に手を当て、納得したのか二度頷く。
「いや、まぁ……はい、間違い御座いません」
ガクッ、幾分大袈裟に肩を下げてみせた。
「やっぱりそうか。親御さんからの更正依頼が、学校と教育委員会を経由して政府館まで来ていたぞ?」
「だって学校つまんねえもん。魔術も使うなって五月蝿いしさぁ」
「当たり前だ。授業中に空を飛んだり姿を消すなんて、前代未聞の問題児だよ」
「勉強だって簡単過ぎて退屈だしさ。ところでエル、俺の術おかしくなってないよな?どうやって見破ったんだ?」
「場にそぐわない不自然に強い魔力を感じただけだよ。にしても随分便利な術だ―――オリジナルで開発?触媒は?―――ほう、この手首に描いた紋様で。凄いな」
今日会ったばかりの他人に褒められ、ちょっと気分が良くなる。
(こいつ、大人だけど変わった奴だな)
上から頭ごなしに叱らず、あくまで対等に接する所が高得点だ。何より俺の魔術に興味津々で、素直に感心を示したのはこいつが初めてだった。
「わざわざ変装してまで来たって事は、君も相当見たい訳だ。今や時の人である『Dr.スカーレット』を」
「だって一週間ぐらい前から、街中その話題で持ち切りだしさ。どんな大悪党か一目拝んでみたいじゃん。噂では美女らしいけど?」
「まぁね。年は大体君のお母さんと同じぐらいだ。―――何なら特等席で見るかい?」
「へ?」
「好奇心旺盛な人間は好きだからね、特別に隣で座らせてあげるよ。但し悪戯は無しだぞ?」
「マジで!?勿論だよ!やった、ありがとエル!!」
喜びの舞を踊る俺の耳に、溜息混じりの副聖王の呟きが届く。
「僕こそ感謝するよ、ジョウン。あの怪物と戦うのに、一人は些か荷が重過ぎるからね……」
開廷三分前の鐘が鳴り、俺とエルは検察席に出た。正面は相変わらず空。向かって左側の裁判席には、先程も見た如何にも偉そうな白髪の爺さんが座っていた。
「しかし、まさか裁判院長自ら御出廷とは。これは僕等も気を引き締めていかないと」
「そんなに偉いのか、あの爺さん?」
「ああ、宇宙中の裁判官で一番ね」何だと!?「ここ数年は体調不良で殆ど審議に出なかったらしいんだけど、流石に事が事だから引っ張り出されてきたんだろう。―――ん、どうした?トイレなら控え室を抜けて左の廊下を」
「いや、そっちは大丈夫」
もじもじ。
「あのさ……凄く初歩的な質問で悪いけど、そもそも『Dr.スカーレット』って何やらかしたんだ?」
「はぁ!?それすら知らずにノコノコ潜入したのか君は!!?」
「うん」
来れば周りの大人達から情報を得られると思っていたが、完全に当てが外れてしまった。
両手を上にし、掌で大理石の高天井を仰いで最上級に呆れる。
「全く、つくづく規格外な……分かったよ、開廷までまだ少し時間がある。簡単に説明しよう」
「サンキュー」
又も溜息を吐いた奴は、机の一番上に乗った書類を示す。
「『Dr.スカーレット』には、判明しているだけで二百人以上を殺害した容疑が掛かっている。死因は何れも、彼女が独自開発したウイルスに感染しての物」
「マッドサイエンティストって奴?」
「ほう、随分難しい言葉を知っているじゃないか」感嘆の声を出す。「事件は一応個別に審議され、全十日間の法廷が開かれる予定だ。で、今日はその第一日目。被害者は被告の元夫のダン・ルマンディ氏と、彼の娘である故リリー・ルマンディ嬢だ」
「故って、娘さん殺されたのか?」
「ああ……今更だがジョウン。この場に立つなら覚悟しておいた方がいい。初日からこの法廷は荒れるぞ、それもとんでもなくな……」
煽ってくれるなあ。改めて予備知識が無いのが悔やまれる。
エルは米神を指でグリグリ解し、緊張を紛らわせ始めた。
「くそ、カフェインが切れてきた。ねえ、そこの係員君!済まないがコーヒーを二つ持って来てくれ」
法廷内で最終チェック中の職員に声を掛ける。
「いいのかよ、裁判中に飲んで」
「昼の休廷時間は午後一時だぞ。それまで飲まず食わずで戦えるか。心配しなくても金は取らないから、君も適宜頼むといい」
「ああ、分かった」
今十時だから、丸々三時間か。しかもランチ後も審議続行と。最後までじっとしてられるかな、俺。
そう暢気に考えている間に、俺達は本日の主役の登場を迎える事となった。