序章 解放―――九百年・八月(一)
※この話は『神殺し篇六 白花は咲き散る』の前日談、及び後日談ですが、本編を読むには特に支障ありません。また『花十篇一 鈴蘭』と『風十篇 秋扇』、並びに『神信じ篇』と『人戻し篇』に関連エピソードがありますので、より繋がりを知りたい奇特な方は御一読下さい。
「さあ、これで何処へでも飛び立てるわ」
たった今解除した契約の証を押さえながら、少女は別種の苦痛に睫毛を震わせた。その肩を抱く、逞しい宝探し屋の腕。
「いいのよアレク……元から彼女とはそう言う約束だったの……やっと見つけたんでしょう?なら、私に構わず早く行ってあげて」
「ありがとう、ルザ。初めて会ったのがあなたのような死霊術師で、私は本当に幸運だよ」
「お世辞なんていい」
節立つ指を隠すように強く握り締め、人を辞めつつある元契約者は、それでも精一杯の笑顔を浮かべてみせた。
「こっちこそ、今まで散々無茶を聞いてくれて感謝してるわ―――さよなら、キュクロス・レイテッド」
二年間連れ添った女主人と別れ、私は急ぎ終の家であるクオル王国へと舞い戻った。
(見間違えなんかじゃない!やっと、やっと見つけたんだ……!早く彼に知らせないと!!)
慣れれば霊体はとても便利だ。生前長く車椅子生活だったとしても、空中浮遊で楽々移動出来る。
小さな女王陛下の治めていた百年前より幾分寂びれた王国は、しかしまだまだ活気がある。あら、墓地の周りに綺麗な向日葵畑が。誰が種を蒔いてくれたのかしら?
陽光へ向け咲く花の傍へ降り立ち、墓石の間を素早く滑り抜ける。そして、
「起きて、ロウ君!!」
そう呼び掛け、完全に墓標の消えた十字架の真下に手を突っ込む。手応え有り。地中で丸くなっていた教え子を引き摺り出し、寝惚けた頬を叩いた。先輩幽霊としてすっかり貫禄が付いた彼は、もう!相変わらず上半身の服を纏わず、一見灰色の毛玉にしか見えなかった。
「んあ……何だよ先公?急に帰って来たと思ったら藪から棒に……」
ぶっきらぼうに呟き前脚、もとい手でバリバリ頭を掻く。十代の姿なのは生前、彼が精神的に一貫していたせいだろうか?かく言う私も、今は老婆から二十五歳当時へ戻っていた。
「今日は日差し強えから、あんま外へ出たくないんだけど……」
「幽霊が日焼けなんて気にしてどうするの!?見つけたのよ!今すぐ来る!!」
「へ?」
「あの子に決まっているでしょ!?“碧の星”にいるの!ほら服着て!!そんな猥褻な格好で行く気!?」
目をぱちぱちさせた彼は数秒後、慌てて布団代わりにしていた詰襟を纏い始める。
「え、嘘だろ?マジで見つけてきたのかよ!?」
一か八か付いて行って正解だった。会う事はもう恐らく無いけれど、ルザには感謝してもし切れない。でも、まさか前の家のすぐ傍にいただなんて!?
ズボンのチャックを上げ終えた(どれだけリラックスしていたのよ!?)教え子の手を取り、二人で再び空へ。ぎゃあっ!初めての浮遊体験に悲鳴を上げる彼。
(ああ、そう―――あの時みたいに、今度は私達が彼を迎えに行かなきゃ!!)
その強き一念を胸に最愛の教え子、ハイネ・レヴィアタ君の静かに眠る花畑を目指して出発した。