第五話(3):Rival
訴えを聞き入れたのはツァイト正夫人だった。フラウと共に正夫人の部屋に呼び出されたメーウィアはそこでエウロラが待ち構えていたのを知る。
使用人が分を弁えず女主人たちの会話を遮ったこと。淹れ立ての茶をエウロラの顔面にかけたこと。貴族の尊厳を酷く侮辱されたこと。エウロラはこれでもかと言うほど勢い良く捲くし立てた。
一通り話を聞き終えたツァイト正夫人は二人の主従に呼びかける。
「エウロラの話ばかりを聞くのも不公平ですから貴女がたを呼びました。彼女の訴えに納得行かない点があれば聞きましょう」
「この方が私の主人に毒を盛ろうとしたのです!」
フラウが猛然と反論した。
「どこに証拠が? ツァイト正夫人、よもや使用人風情の言葉などお信じにはなりませんよね?」
正夫人はひとごとのように傍観しているメーウィアを見遣った。
「メーウィア、この者は貴女の使用人でしょう。主として言い返さないの?」
「フラウが彼女にお茶を浴びせたのは事実ですから」
「お嬢様……っ」
「ふふっ、でしょう! 私は謝罪を求めます」
フラウの傷ついた声に調子づいたエウロラは嘲笑し、勝ち誇ったように要求した。
「謝罪はしません」
きっぱりとメーウィアは断る。
「お茶に毒が盛られていたのも事実です。差し出されたのはツァイト家の葉を使用したもの、ですが香りは違うものでした。フラウにお茶をかけられて異常に取り乱した彼女の様子で確信しました。ルシルターク令嬢、勉強不足ね。飲料に混ぜる毒は口に含まなければ害はないのよ」
「毒なんて恐ろしいもの、どうして私が? あれはいきなり熱いお茶をかけられて驚いただけのことよ」
「白々しい……!」
怒りを露にするフラウの傍らで、メーウィアは逆に冷ややかな気持ちになっていた。くだらない逆恨み。責めたりはしないから、もう構わないで欲しかった。
「……やはり、当家の主に判断を仰ぐことにしましょう。領地の管理で忙しい身ですが諍いを収めるのには慣れていらっしゃいますからね。花嫁候補たち、少しお待ちなさい」
正夫人は自らの夫を呼ぶために使用人を出て行かせる。刺々しい空気が漂ったが、好機とばかりにメーウィアは両目を休ませていた。
ほどなくしてツァイト家の当主は現れた。
「失礼するよ。花嫁候補の間でなにか揉めていると聞いたのだが?」
「あなた」
正夫人が立ち上がる。部屋に入って来た影はエウロラとメーウィアの間を素通りして正夫人の近くで足を止めた。
「ルシルターク令嬢がプリアベル令嬢の使用人にお茶を浴びせかけられたと怒っていらっしゃるの。プリアベル側はお茶に毒が含まれていたと反論しているのですが」
「毒など知りません! そんな証拠どこにもありませんわ」
エウロラは力強く否定する。語気の荒さに、謝ってしまおうかという考えがメーウィアの頭をよぎった。嘘まで吐いて訴えるのはフラウに恨みがあるからだろう。お茶を浴びせたのは事実なのだから、それで彼女の気が済むのならフラウの主人として責任を持たなければ……
「まあ、待ちたまえ」
そんなメーウィアを引き止めるかのように当主が口を挟んだ。
「ルシルターク令嬢、毒を盛っていないことを君は証明出来るのかな」
「証拠がないことがなによりの証明ではありませんの?」
不可解な反応を示すエウロラに対して当主は笑い返した。
「それもそうだね。ではプリアベル令嬢、毒を盛られたという事実を我々に証明出来るかね?」
「……」
素直にメーウィアは首を横に振る。不可能だった。使用された茶器は捨てられているか洗われた後だろうし、訴えを起こしながらエウロラが毒をまだ隠し持っているとは考え難い。
「そうか、証明出来ないのなら君たちのはとんだ言いがかりだ。ルシルターク令嬢に対する非礼を詫びたまえ」
「絨毯を!」
メーウィアの前に飛び出し、フラウが叫んだ。
「私がエウロラ様にお茶をかけた時、染みになったはずです。拭き取ったくらいでは毒性は消えません。エウロラ様の部屋の絨毯をお調べになって下さい、どの部分にかかったのかご説明します!」
「なっ、使用人のくせに口を挟まないでちょうだい!」
誰の目にも明らかにエウロラはうろたえた。目の不自由な、メーウィアにすらはっきりと分かるほどに。
「……毒を抜き鑑定するとなると専門家に頼む必要がある。調査費用はどうする?」
「こちらで負担します。プリアベル家の手を煩わせるまでもありません。私が、個人的に」
「ほう」
そこで初めて、感心したように当主は声を漏らした。一介の使用人が自腹を切るとは思わなかったのだろう。フラウがプリアベル家の財政難を気遣っているのは明らかだった。
「そ、そんなことをしたってなにも出ませんわ、やるまでもないこと! 無駄ですっ、そうですわよね? ねえ、正夫人」
「エウロラ……」
「さて、どうするかね? プリアベル令嬢、君の使用人は主張しているが」
当主はあくまで穏やかに判断を求めた。一変して怯え出したエウロラを前に、しかし雑音から逃れることを望むようにメーウィアは目を伏せた。
「どちらでも。ルシルターク令嬢のお望みのままに」
エウロラがツァイト正夫人に泣き縋って事態は収拾する。逆恨み、フラウへの仕返し、メーウィアに対する嫌がらせ。冷めた思いでメーウィアは突っ立っていた。腹を立てる気も起こらない。こんなくだらない事情で騒ぎを起こして周りに迷惑をかけて、名門ルシルターク家の令嬢とはこの程度なのかと思っただけだった。
「怖い人」
正夫人は非難めいた言葉を残してエウロラを慰めながら部屋を出た。自分も戻ろうとしたメーウィアを、当主が引き止める。
「プリアベル令嬢、君の人徳かな? 主人思いの使用人だね」
「……ツァイト当主、オルド様ですね。騒ぎを起こしてしまい申し訳ありませんでした」
オルドはメーウィアの言葉には答えず気安くフラウにも声をかけた。
「君の主人を助けるためにもっと他の方法はなかったのかな? 感情的になるのは若さ故だろう。だが、身分を弁えたまえ。忠義を深くして大切なことを見失ってはいけないよ」