第五話(1):Rival
「メーウィア様、おはようございます」
ある日の朝食中、突然声が聞こえたのでメーウィアは驚いて手を止めた。
「あら、いたの……コア」
「うっ……私、負けませんから! どんなに冷たくされたって……」
違う。気づかなかったのはメーウィアの落ち度だった。部屋の扉は頑丈で厚く、開けば小さいながらも音がする。いつもなら食事中でもフラウが側に控えているものを、今日はたまたまいなかったのが殊更にうかつだった。フラウは食事を並べた後、茶の葉を補充するために部屋を出ていた。
嫌がらせと解釈されたのを逆に利用してメーウィアは素知らぬ振りをする。嫌がらせで、十分だった。
「さっきそこでフラウとすれ違いました。他の候補様の使用人とお話し中だったので声はかけなかったのですが、大人気ですね。私たちの間でも噂になっているんです、あんなに格好良い人見たことないって!」
「……」
「身のこなしも美しくて……メーウィア様も、彼みたいな人が使用人だと私では物足りないですよね。でも私も負けないように精一杯頑張りますねっ」
相変わらずコアは懸命に話しかけてくる。それをやめてくれたら、なるべく自分と関わらないようにしてくれれば良いのに、と思う。無視を続けるのにも限界を感じる。煩わしくもあったが、フラウが戻るまではとメーウィアは彼女の努力に報いることにした。
「……そんなに頑張らなくても落とされたらこの試験でお別れよ」
「そんなこと! 今回は私にとっても大事な経験の一つなんです。これでお別れなんて仰らないで下さい。メーウィア様の良いところを見つけてツァイト家に報告するのが私の任務、他の候補様を担当してる仕事仲間に負けるつもりなんてないですからっ」
構ってもらえるのがこの上ない幸福のようにコアの返事は踊る。性格は悪くなかった。意地悪な発言にもめげず粗探しではなく良い面を見つけようとする姿勢は前向きで、ある意味では涙ぐましい。審査される側のメーウィアにとっては幸運としか言いようがない。
「そう……なら、私も頑張ってみるわ」
「はいっ」
弾んだ声、それを嬉しく感じてしまったのは心を許したからではない。使用人が主人を誇りに思って喜ぶのなら、それこそが彼らを従える貴族の品格だからだ。コアに対する好悪の感情とは別物だった。
「お嬢様」
フラウが食卓に戻ったのは食後の茶を楽しんでいる時になってからだった。コアの気配に気づけなかったのが悔しくてメーウィアは少し機嫌を損ねる。
「フラウ、遅い。もう食べ終わりました」
「では片づけて……」
「私にやらせて下さい。少しはお役に立たないと!」
フラウの言葉を遮り、コアは配膳台に食器を戻して慌しく運び去る。部屋には急に静寂が訪れた。
「お待たせして申し訳ありません。来客がございました」
「来客?」
部屋に戻る途中で他の使用人に呼び止められたのだとフラウは言った。女主人がいないのを良いことに大勢に囲まれているのだと思っていたメーウィアは食い違いを頭の中で修正する。
「お嬢様に、お誘いが。ルシルターク令嬢エウロラ様です」
「ルシルターク家のエウロラ……」
頭の中に叩き込んである貴族の家をざっと思い起こしてみる。ラオフ領内に限れば大きな家だ。ルシルターク家は高官を輩出していないが名家であり資産家としても知られている。中流ではあるが、プリアベル家と違い名実を伴っていた。
「明日の午後ですが、いかがなさいますか。無理に受ける必要はないと思いますが……」
好意的な招待だと思い込むほどメーウィアもフラウも馬鹿ではなかった。先日の庭園散策で目立っていた競争相手を、ご機嫌伺いと称して品定めするつもりなのだろう。
「断る理由はないわ。折角招待して下さったのですから行きましょう」
「ですが……」
フラウは少し過保護だとメーウィアは思った。家にいる時はあまり感じなかったが、ツァイト家に来てから彼はメーウィアの心配ばかりしている。そんなに頼りない主人に見えるのだろうか。
「フラウも来なさい、それなら心配ないでしょう?」
「では……そのように返答して参ります。コアが戻りましたら席を外しますのでお許しを」
ルシルターク令嬢の部屋から戻ったフラウは憤然としていた。その原因は彼が”お嬢様の部屋よりも広い”と告げたことで判明する。
「そんなはずはありません。候補様には同程度の部屋を用意させて頂いております。まったく同じ部屋をというのは不可能ですから、多少の違いはあるかもしれませんが……」
コアの弁解にメーウィアは頷いた。連れて来た使用人の数なども考慮すれば、フラウしか伴わないメーウィアに狭い部屋が割り振られても仕方がないだろう。それでもフラウは納得しなかった。
お嬢様の方が美しいのに。
お嬢様の方が品格が高いのに。
差をつけられた事実が許せないのだ。貴族は優劣の明確化にこだわる。少しでも下に扱われることには過敏だった。しかし女主人が納得している以上、それは使用人が腹を立てる事柄ではない。いい加減聞き飽きてきたメーウィアはすべてを無視することに決める。コアは一人おろおろしていた。
「ああ……メーウィア様、どうしたら」
「放っておきなさい」
案の定、一通り愚痴を言い終えたフラウは満足したのか大人しくなる。
「フラウ、部屋は狭くても私の方が貴族として上だと明日証明してみせます。それで我慢なさい」
「仰せのままに」
フラウは言葉だけは使用人らしくメーウィアに従った。
翌日、対抗心を燃やしているフラウを再度なだめてメーウィアはエウロラの部屋へ向かった。
「来て下さって嬉しいわ。私はルシルターク家の娘、エウロラ=ラオフ・ルシルターク。私たち、お互い花嫁候補だけれど仲良くしましょう」
エウロラの声は恐らく庭園で聞いているはずなのだが、イリアとの会話が印象的で記憶に残ってはいなかった。相手はルシルターク令嬢、寂れているかいないかの違いは大きいが”名門”という意味ではメーウィアも引けを取るつもりはない。名だけを見るなら落ちぶれてもプリアベル家の方が上だった。
「メーウィア=ラオフ・プリアベルです。本日はお招きありがとうございます。こちらに来てから友人を作る余裕はなかったので嬉しく思います」
「あら、そんなに忙しくて? 熱心に活動しているのね。イリア様からお声を受けるだけのことはあるわ」
エウロラは探るように言葉を返してくる。身に覚えのないメーウィアは苦笑を浮かべた。
「心の余裕という意味です。花嫁候補として相応しい振る舞いというのはあまりに抽象的で……他の方はどうなのでしょうね」
エウロラの使用人だろうか、部屋に複数の気配を感じる。中には彼女を担当するツァイト家の使用人も含まれているのだろう。
「エウロラお嬢様、お席の用意が整いました」
「どうぞこちらへ。おかけになって」
案内されて足を進める。目が見える振りを演じながらメーウィアには余裕があった。フラウが側にいる。どれほど霧が深くても杖さえあれば貴族令嬢として誰にも負けない自信があった。